三十五.


 集団の筆頭らしい男を連れて衛明館の裏手へ回り、主に謀反人の拷問や規律違反を犯した隊士の懲罰を行う小屋に入る。男が四、五人も入れば窮屈な場所だ。
 拷問は適任であれば誰でもいいのだが、今回は自ら志願した皓司と安西が担当した。
 とはいえ大抵においてこの役は昔から皓司の仕事でもある。声を荒げず終始馬鹿丁寧な口調が絶対零度の眼光と相まって心理的に恐怖を与えるらしい。その効果については虎卍隊の隊士がこぞって「よく分かる」と頷いた。

「では始めましょうか。まずお名前を伺いましょう」

 安西が男を柱に縛りつけたところで皓司が正面に立つ。
 甲斐が通訳すると、男は鉄轡の隙間からふっと息を吐いた。細い鉄の棒を噛ませているだけで、舌を噛み切るのは不可能だが喋れないわけではない。余計なことを喋れば喋るほど鉄を噛み、黙れば轡ごと殴られて歯が折れる。質問に簡潔に答えれば無痛で済むというわけだ。

「名前なんかいらんですよ、生かして帰すわけでもなし。甲斐、日本への侵入経路と祇城を狙った理由を聞け」
「彼の名前を聞けば祇城の記憶に引っかかるかもしれませんよ」

 皓司の案に安西はちらりと外へ目を向け、何も言わずに小屋を出て行く。

「まさか祇城を連れてくるんじゃないでしょうネ」
「連れてくるのでしょう。何か不都合でもありますか」

 甲斐は内心呆れた。こちらの言わんとすることを分かっていて皓司はそう言うのだ。

「こいつの目的も聞かないうちから引き合わせるのはどうかと。祇城は自分が母国の殺し屋に狙われてるなんて知らないんですヨ」
「貴方も存外優しいですね。身の危険に対しては勿論十分な配慮をしますが、祇城が記憶を戻して取り乱したとしてもそれは別の面で解決のひとつでしょう」
「記憶を取り戻したいとは言ってませんヨ。少なくとも本人は」
「異国へ侵入し祇城を探す為に殺戮を繰り返す者が現れた限り、彼の素性を明らかにするのは重要です。材料が多いに越した事はありません。そもそも勝呂さんが集団を焚き付けたのですから、祇城の後始末はあの御方に任せれば良いのですよ」

 その御方が祇城を突き放したからややこしいのだが、皓司に必要な情報ではないと判断した甲斐は口を噤み、一点を見つめたまま微動だにしない男に名前を問うた。当然返事はない。


 安西が祇城を伴って戻ってくる。
 祇城はいつもと変わらない表情で皓司と甲斐に一礼し、柱に縛られた男を見た。男の目が鋭く祇城を捉える。

「この男を見て何か分かる事はありますか。清の国の間者です」

 皓司が柔らかな声音で祇城に尋ねた。さっきの辛辣な発言はどこへやら。

「分かりません。俺を知ってる人ですか?」
「そうです。お名前を教えて下さらないので、貴方の記憶にあれば助かったのですが」

 祇城は一寸考える素振りをし、皓司の隣へ近づいて男に話しかけた。安西が甲斐の脇を小突いて「何だって?」と通訳を求めてくる。
 祇城は男に名を尋ねたのだ。
 すると男はいともあっさり名を吐いた。本名かは分からないが、少なくともその名を祇城が知っている前提で告げたのは確かだ。自分の名に聞き覚えがあるだろう、と。
 そして祇城に記憶がないと知っても驚きはしなかった。
 祇城の「本体」が必要なだけで「中身」が目的ではないという事か。

「武 星涛。彼の名前です」
「ウー・シンタオですか。ウーが苗字ですね」
「彼が『清へ戻れ』と言いました。俺は親に捨てられて日本へ来たんだと思ってましたが、違うんですか?」
「それも含めてこいつが知ってるらしいから拷問してんだよ」

 壁に寄りかかっている安西が口を挟む。

「お前にとっちゃ知りたくもないことまで暴かれるかもしれんが、まあ正直お前の素性は真っ当なもんじゃねえだろうな。暗殺集団に狙われるぐらいだ」
「暗殺集団……?」

 自分は命を狙われているのかと問う祇城に、皓司は肯定も否定もせず前へ出た。
 星涛から目を逸らさず彼の周りをゆっくりと一周し、正面に戻る。何を問うでもなく冷たい双眸で見下ろす皓司の視線に、星涛もまた無機質な眼差しを向けた。
 こういう相手はどれだけ痛めつけられても白状しないだろう。
 苦痛に耐え得るだけの訓練をしている。自分の命よりも任務遂行、失敗した場合は死んだも同然。だから自暴自棄にならず命乞いもしない。ひたすら死だけを待っているのだ。

 祇城の横顔を窺うと微かな狼狽が見て取れた。
 記憶が戻った様子はないが、自分が覚えていない『本当の自分』を知りたいという気持ちが少しはあるのか。
 祇城に特別な情けを掛けているわけじゃない。ただ彼が入隊した頃から言語の不自由さでよく相談されたせいか、他の隊士よりは彼の本音や言いたい事を知っている。この二年でただの一度も過去を知りたいとは言わなかった。

(自分からは言わないだけで、聞けば答えたのカナ)

 そんなことを考えている隙に業を煮やした安西が星涛に歩み寄り、腹にひと蹴り入れる。

「おい。寝てんじゃねえぞ」
「安西さんは尋問が下手なのですから私が良しと申し上げるまで暴力はお止め頂けませんか」
「お上手ならさっさと吐かせて下さいよ」
「私の眼差しが純粋すぎるせいか効き目がありません」
「ツッコミは後。今何時だと思っとるんですか」

 捕虜と直接言葉を交わせないのも手こずる原因だろう。かといって言葉の通じる自分は拷問役に向いていない。昔誰かに意外だと言われたが、興味もない人間の心理を読み取る作業など自分の方が拷問だ。殺すか、見逃すか。選択はそれだけでいい。
 祇城が袖を引っ張って見上げてきた。微かな狼狽は消え、いつも通りの真っ直ぐな眼差しに戻っている。こういうところは強かで好きだ。

「俺から質問してもいいですか」
「この男に? 斗上サン、祇城が尋問したいそうですヨ」

 安西と話していた皓司が振り向き、場所を空ける。
 祇城は再び星涛に近づき、鉄轡を外した。捕虜が舌を噛んで自害することぐらい祇城も分かっている。あえて外したのは星涛がすぐにはそうしないだろうと踏んだからだろう。

「あなたはどうして俺を探したんですか?」

 しつこく安西が小突いてくるので小声で通訳をする。

「お前は王のお気に入りだ」
「王とは誰ですか?」
「我々の祖国、清の仁皇帝だ」
「お気に入りとはどういう意味ですか? 子供?恋人?」

 そこで星涛はこちらを向き、「出て行け」と言った。当然皓司は首を振る。

「捕虜の分際で場を取り仕切るとはよほどの高官でいらっしゃるのですね」
「もう少し内容のある返事にして下さい」

 皮肉は通訳しない。
 少々不満げな視線を向けられたが、皓司はひとつ頷いて切り替えた。

「ではこうお伝え下さい。『密入国の経路と祇城の素性を偽りなく吐いて頂ければ日本幕府直々に彼を清王朝仁皇帝の元へ安全に送り返します。清王から祇城の受取証明を頂戴するまで貴方を生かしておけば取引成立でしょう』」




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