三十三. 安西の説明である程度の情報が得られたのはいいとして、問題はどのタイミングで獲物を得るか、だ。 朱雀に持ちかけられた取引はこの上なく美味しい。逃すわけにはいかない。 しかし自分は安西の作戦に入っていないようで、神田に足を運ぶ理由がなかった。甲斐を囮にしたのは異国の言葉が分かるからだ。納得の適役を前に自分が代行するとも言えず、皓司はひたすら思考を回転させながら安西たちのやりとりに耳を傾ける。 「行商でも酔っ払いでもいいから変装してこのあたりをうろつけ」 「大雑把ですネェ。相手が探し物をしてるならこっちは解決屋でいきますヨ」 「何でもいい。奴らに出くわしたら適当に話を合わせてアジトを聞き出せ。日本にいらしたお客さん全員をとっ捕まえなきゃ意味ねえからな」 鎖国で港の取締りが強化されている現在、どうやって入国できたのか。日本側に協力者がいると考えるのが妥当だが、そうでなければこじ開けられた穴を塞がねばなるまい。ゆえに殺さず生け捕りにする。といっても全員を生かす必要はないので雑魚は見つけ次第始末するだろう。 「その場では捕まえないんデスか」 「状況によりけりだな。うまく聞き出せりゃ放っていい。後日襲撃する」 「聞き出せなければ?」 「不利だと判断したら合図しろ」 周辺に隊士を潜ませる、と安西が言ったところで好機が回ってきた。 「私も潜伏隊に参加してよろしいでしょうか」 武力行使になれば自分は良い戦力になれると自薦し、部下の仕事ぶりと安全を見届ける為にも都合がいいと理由をつける。すると甲斐は当然のようにこの件を免罪符稼ぎに入れてくれと注文してきた。 免罪符とは何ぞやの安西に、甲斐はいわゆる死刑囚なのだと説明する。 処刑の代わりに隠密として貢献すること。免罪は戦績に準じて。遠征だけでは一生清算できないので時々単発の仕事を与えているのだと話すと、安西は呆れ顔で甲斐の頭を小突いた。 「んじゃ斗上さんはここらへんにいて下さい」 「分かりました。他の潜伏は誰をご指名なのですか」 「うちの隊士を数人。斗上さんの隊は誰一人使えねえし、殿下んとこは隊長殿が文句垂れるでしょうから」 なるほど。たしかに隆の隊士を借りるのは面倒だ。うちの隊士に至っては仰せの通りこういう任務に向いていない。 兎にも角にも、あとは好機を見計らって敵の親玉を捕らえるのみ。 囮なんて簡単に考えていたが、実際は身動きが取れなくてやり辛い。 単発任務は主に暗殺、その他いろいろな調査。事前に対象人の情報が揃っているのであとは待ち伏せるなり屋敷に潜入するなり、どれも容易い仕事だった。 だが今回は対象人の下調べもできなければ、必ずここに現れるとも限らない。 といって少しでも不審な動きを見せれば敵はこちらを避けるだろう。 「よろず〜よろず〜。亭主の浮気から物探しまで、何でもござい〜」 夜中に町を徘徊する怪しい職業らしく、のらりくらりと適当な歌を口ずさんだ。地味な着物に小籠を背負い、昼間質屋で見つけた南蛮の眼鏡を鼻に引っ掛けている。時折煙管をふかして休むフリ。江戸だから通用するが地方でこんなことをしようものなら即御用だ。 それにしても祇城が狙われているとは驚いた。 唐突に別れを告げ、不定期ながら月に数回は呼んでいた私宅へも来るなと拒んだ勝呂。 もしかして……いや、推測に及ばず。理由は分かった。 それならそうと本当のことを教えればいいのに、勝呂も意外に臆病というか小心というか。不器用な人だ。知ったところで祇城は身勝手な行動などしないだろうし、ましてや記憶のない母国に帰るとも思えない。 好奇心だか何だか、ずいぶんと大層なものをおびき寄せてくれたものだ。 何気なく腰元に肘を乗せようとして、刀の柄がないことに内心舌打ちする。 「よろず〜よろず〜」 短刀か苦無ぐらい許可して欲しかった。何でも屋なら刃物を持っていてもおかしくないだろう。 周辺の家はどこもぴたりと戸を閉ざし、灯りもついていない。さながら無人の町。 「もし。そこの御方」 音もなく、気配もなく、それは突然背後に現れた。 とぼけた風を装って振り返ると笠をかぶった男が一人立っている。思いのほか近い。というより近すぎる。笠のつば先が触れるか触れないか、そんな距離だった。 「毎度。ご用命は何でしょ?」 まずは和国語で。 「猫をご存知ないか」 ひた、と首筋に刃物が当てられた。たしかに清の言葉だ。 「あれ、あなた異国の方ですか? いやこんな商売で全国歩いてるもので、南の方じゃ異国人さんから依頼を受けることも多くてね。二、三ほど勉強したんです。通じてるかな?」 やや発音を悪くしつつ清の言葉に替え、呑気を装う。 「猫をご存知ないか」 同じことを二度聞いてきた。 無口で隙もなく雑談には乗ってこない。なるほど、たしかに暗殺集団らしい。 「はいはい、どんな猫でもお探ししますよ。もちろん秘密は守りますのでご安心を」 声の調子を落とし、取引に誘導する。 まだ刃物を引く気配はないが、笠の下からじっとこちらを窺っているのは分かった。 日本人も大概のっぺりした顔だが、こいつもまた平面的で極端に目尻の釣り上がった悪人面だ。これだけ接近されれば夜目とはいえ肌の質感くらい見える。こめかみから唇の横まで輪郭をなぞるように大きな傷痕があった。 男はこちらを利用するか殺そうかと次の行動を考えている。いい傾向だ。 「特徴は? 体長、毛色、瞳の色、尻尾の長さと形、雌雄。呼び名があれば名も」 「───耳の後ろに烙印がある。名は 夜猫。本名か芸名か知らないが、祇城の容貌には似合っている。 「少年? ヒトなんですか。じゃあ髪と目の色、おおよその身長を」 「そなた」 「何でしょう?」 「夜猫はこの近くにいる。連れて来い」 刃物が食い込んできた。例の毒塗り刀ではなさそうだが下を向いて確認する余地がない。 「お急ぎですか、まあ落ち着いて。この近くにいるんですね?」 「いる」 「それなら簡単だ。今宵はご覧の通り月明かりもなく真っ暗です。明日ここらを回って猫を見つけ、安全にお届けしますよ。ぼくは万屋ですから真昼間に不審なことを尋ね歩いても怪しまれませんし、そちらだっておおっぴらにできないからこんな夜更けに探してるんでしょう。効率のいい取引条件だと思うけど、どうです?」 長い沈黙。 アジトを聞き出すまであと一押し。 待つか、持ちかけるか。 |
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