三十.


 砲台の近くでぶらぶらしていると安西たちのいる上段からキンと鋼の音がした。何事かと飛び出してみれば、話し合いをしているはずの二人がなぜか刀を抜いて一騎打ちの構え。
 安西の血の気の多さは知っているが、曲がりなりにも老中の勝呂が城内で抜刀とは……。

「こらこら何してるんだお前ら。どっちが先に抜いたか知らんが収めろ、御前だぞ」
「このオッサンがぐずぐず未練たらしいこと言っとるからですよ」
「ほざけ若造が。貴様をクビにできるのはこいつの能無し息子だけじゃないってのを」
「どさくさに紛れて浄次のダメさを強調しないでくれる」
「ていうか先代、あっちで待ってろっつったでしょう」
「そうだ、のこのこしゃしゃり出てくるな」
「や、ちょっと待った、お前らなんで急に同調して俺を責めるわけ?」

 話し合いから刀を抜くほどの諍いに発展した相容れない様子はどこへやら。
 今や目の敵は第三者の自分に集中している。

「まあ何だ、ひとまず話は終わったようだし今日はこのへんにしとけ」

 これ以上顔を突き合わせていてもろくな事にならないだろうと提案した。
 二人は今一度お互いを睨み、消化不良の体でしぶしぶ刀を収める。
 思えばこんなに激しい気性の勝呂を見たことがない。年のわりに爺臭い奴だと思っていた今までの印象が軽く上書きされた。
 安西は人の奥底に隠されている感情の一端──その大部分が幼稚じみた恥部──を引き出すのが上手い。少しでも相手が動揺すればもっと本性をさらけ出せと追い討ちをかけてくる。
 最初はそういう行為で人を馬鹿にして楽しんでいるのかと思った。
 だが日常を見ているとそこに悪意はまったくないのだと知る。
 上っ面の付き合いをしない為に本性を知ろうとしていたのだ。いつまでも表面を取り繕う人間に対しては特に厳しい。
 おそらく、いや確実に、隠密衆で最初に丸裸にされたのは自分だろう。
 安西が入隊した時のことはよく覚えている。良くも悪くも型破りな奴で、ある意味では彼が組織の土台をひっくり返した。自覚はないようだが。


「ふん、犬はどこまでも犬だな。老いぼれ犬になる前に躾け直してやる」

 勝呂が襟元を整えて吐き捨てると、安西も一瞥をくれて「老いぼれた飼い主が何言ってやがる」とまた要らぬ応酬に逆戻り。
 浄正は自分の頬をぽりぽりと掻きながら双方を眺め、まず間違いを正すことにした。

「お前ら、逆だぞ」
「何がですか」

 怪訝な顔で安西が振り返る。

「さっきからオッサンだの若造だの言い合ってるが、勝呂は三十、安西は四十一」
「……!?」
「オッサンなのは安西、若造なのは勝呂。分かったか?」
「……!?」

 途端に二人とも硬直して黙ってしまった。
 外見的な印象では二人の認識通り逆なのだから無理もないか。
 若造だと思っていた安西が十も年上だと知った勝呂は無遠慮に相手の頭から爪先までを往復して疑心の眼差しを向け、年寄りだと思っていた勝呂が十も年下だと知った安西は食い入るように相手の顔を見て唐突に胸倉を掴んだ。

「おい、何す……」
「すいません、俺あんたのこと美少年趣味の変態ジジイだと思ってました」

 ジジイ以外は間違っていないが、胸倉を掴んでおいてすいませんも何もあったものではない。

「年寄りだからと遠慮してたんですが、若造なら構わんですね」

 そう言うなり本気で勝呂をぶん殴った。
 ここまでやってしまったらもはや仲裁は無意味、余計な口は出さない方が賢明だ。
 よろけた勝呂を立たせ直し、安西は場違いのように爽やかな笑顔を浮かべる。

「辻斬りと痴話喧嘩の件、繋がってるんでしょう。んで可愛い恋人にも隠密衆にもその背景を絶対に知られたくないと」
「……口止め料か。いくらだ」
「カネなんざ要りませんよ」

 そんなものは職務でいくらでも稼げる、と自信家らしい発言で一蹴し、勝呂の胸のど真ん中を指差した。

「あんたの一番大事なモンを貰いたい」
「それは……」
「嫌なら隠密に辻斬りの件を回すか、祇城と和解するか。二択でお願いします」
「どっちも同じ事だ」
「ほう、何が同じなんです?」
「…………」

 事情を知っているだけに、だんだん勝呂が不憫になってくる。安西の言い方からしてもう勘付いているのだろう。勝呂の口から直接聞きたいだけなのだ。まったく人が悪い。とことん楽しむことを忘れない奴だ。

「正直に吐いた方がラクだぞ勝呂。こいつの鬼畜っぷりは昔から有名でな、俺も皓司もしょっちゅう泣かされたクチだ」
「……貴様に話した上でこの若ぞ…若作りにまで曝け出せというのか」

 こういう状況に限って誰も行き来しないのが幸いというべきか、とにかくさっさと場を収めて解散した方がいい。
 勝呂はひとしきり唸って観念し、まんまと安西の罠に嵌った。




「甲斐、教えて欲しい事があるんだ」

 縁側で猫と戯れていると、出先から戻ってきた巴が珍しく話しかけてくる。

「何でもどうぞ」
「マオってどういう意味かな」
「マオ?」

 また唐突で脈絡のない切り出しだなと呆れたが、日常では使われない言葉だから自分に相談しに来たんだろうとは分かった。

「祇城が何か言ったんデスか?」
「いや。町で…耳にして」
「町で、ネ。巴サンは嘘をつくのが下手だな」

 長崎ならともかく江戸でマオなんていかにもな異国語を耳にするわけないだろう。
 巴の表情を窺うとなぜかじっとりと睨まれた。珍しく露骨に嫌がっている。それほどに必要な情報で、かつ余計な詮索はされたくないという意味に受け取った。

「清の言葉なら『猫』が一般的ですヨ。あとは『毛』という人の姓もある」
「そうなのか、ありがとう」
「どういたしまして」

 なんだか知らないが、巴が自ら調べ物とはやはり珍しい。




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