二十九. 上段から降りてきた勝呂が一寸足を止め、無言で浄正の横を通り過ぎる。 「勝呂様。あちらの隊士が少々お時間を頂きたいと申してましてな」 すれ違いざま、浄正の慇懃無礼な物言いに眉間の皺を一層深く刻んだ勝呂は再びその足を止めた。次いでおもむろにこちらを見る。 勝呂の顔を知ったのはこれが初めてだった。 待ち伏せていたとはいえ行き来する人の中で知らない奴にいちいち確認したわけでもなく、どうやって本人を捕まえるつもりだったのか自分に問い質したい。もっとも、知らない顔はやたら気張った雰囲気を丸出しにしている若造くらいで、そんな奴が隠密担当ではあるまいという曖昧な根拠に基づいていたのだが。 「龍火隊隊長役の安西と申します。ご多忙のところ恐縮ですが二三お伺いしたい事がありまして。都合が悪ければ後ほどで構いません」 「要約を申せ。内容次第だ」 第一印象、隠密担当になるべくしてなったようなオッサン。 自分よりいくらか年上だろうか。無駄に肥えた古狸たちとは違い、長身で引き締まった体型が袴姿の上から見て取れる。祇城に剣術を教えたのだから武術にも長けているんだろう。 やくざ者のように黒髪を後ろへ撫でつけ、浅黒い顔に光る両目は鷲のごとく鋭い。元隠密でも十分通じそうな人相の悪さが思いのほか好印象だった。無法者集団の元締めにこれほど相応しいツラ構えの人間はいないのではないか。 性格もそうだ。一個人のことは完全無視、雑談も愛想笑いもなし。用件次第では一切取り合わないといった不遜な気配が眉間の皺の谷底からひしひしと伝わってくる。 まあ、こういっては何だが分かりやすい相手ということだ。 終始相好を崩さず腹の内も見せなかった前代の穂積とは対極的な人間に思えた。 「浄正様のお手前ですが、よろしいですか」 「……いつまでそこにいる気ですかな、葛西殿」 「話が終わるまでですな。何、他言無用は重々心得ております」 にやにやといやらしい笑みを浮かべたまま立ち去る様子はなく、勝呂は鬱陶しそうに浄正を一瞥して「構わん、申せ」と観念する。浄正に弱味でも握られているのだろうか。 「では遠慮なく。まずひとつ、我々の頭である浄次様をより一層精進させるべく集中鍛錬を行います。つきましては今後お目に余る行為が発生すると見込み、勝呂様にご理解を頂きたく」 それに反応したのは勝呂ではなく浄正だった。 「何だその集中鍛錬って」 「おたくのガキは天才的に阿呆で頭と腕が釣り合っとらんのですよ」 「反論できないのが痛いけど、誰が叩き直すの? お前?」 「殿下がやる気満々です」 のっけから取り残されている勝呂に、指導は主に寒河江が担当すると注釈を入れる。 すると勝呂は「また前回のように遠征を利用して馬鹿騒ぎをするのか」と呆れ、浄正が「あの時は安西いませんでしたよ」と揚げ足を取った。勝呂の渋面がさらに濃くなる。 巴の件については詳しく聞いているがあれとは違い、あくまでも日々の鍛錬として浄次を特訓するのだと説明した。 「という事で万が一登城に差し支える場合は斗上が代行します」 「承知した」 「即答だし」 呆れる浄正をよそに、勝呂は次の用件を催促してくる。皓司や隆が言うほど話の通じない相手には思えなかったが、話題が浄次のことだったので単にどうでもいいだけかもしれない。 本性が出るなら次の話題か。 「それから勝呂様の私生活におけるご交友関係について」 今度は勝呂と浄正が揃って反応した。 二人ともなぜか神妙な顔つきになっている。 これは何かあるな───どことなく『共犯』めいたものを臭わせる態度にピンときた。 祇城を泣かせた原因を尋ねるだけの予定だったが、どう展開してやろうか。 といっても彼らが共有していると思しき情報が分からないのでどうしようもないのだが。面白いことになりそうなこの機会を逃すのは実に惜しい。 情報の断片でも引き出してみるか。祇城に関係なさそうなら話題を戻せばいい。 「神田には勝呂様の私宅があるそうですが、近頃辻斬りが多いですね」 「それがどうした」 「と、一言で片付けるには異様です。神田広しといえどこの土地に集中して辻斬りが何件も発生し、目撃情報は皆無に等しい。犠牲者の共通点は今のところなく、逮捕に躍起になっているのは岡っ引きだけです。なぜ本職の我々に指令がこないんですかね?」 勝呂の渋面に別の色が浮かんだのをはっきりと見た。 辻斬りに関する情報は耳に届いているらしい。おまけに何か知っているようでもある。 謀反とは断言できないにせよ、こういった不可解な事件は岡っ引きが走り回っている間に諜報も動いているはずだ。諜報は老中の命令では動かせない。御頭の浄次を通し、浄次から三人衆に伝えられ、そこで初めて何を調べろと特命が下される。 だが就任して以来そんな話はひとつもなかった。無論、辻斬りが始まったのは就任後だ。 「現状どう考えてもこの事件は長期化しますよ」 そう脅すと、勝呂は鷲のような眼光で噛み付いてくる。 「貴殿がどう考えようと私の与り知るところではない。犬は犬らしく命令を待っていろ」 「犬だから警告しているんです。大事なご主人様に何かあってからでは遅いですから」 もったいぶって天守閣を見上げ、またゆっくりと視線を戻した。 一か八かのカマをかけてみる。 「しかし勝呂様には、我々を動かしてはまずい特別な事情がおありのようだ」 ぴくりと眉尻が動いた。そして沈黙。 なかなかに素直な御仁だ。 浄次相手は容易いだろうが、皓司や隆相手に膝を突き合わせた日にはいい様に丸め込まれているのではないかと同情の念さえ込み上げてくる。 さておき調子に乗って追い詰めると肝心の情報さえ得られなくなる可能性があり、これを目途に話題を変えることにした。二兎を追う者は何とやら、だ。 「ま、ややこしい事態になる前に片付くか命令を頂ければ結構です」 あっさり方向転換されて警戒心のやり場をなくしたのか、勝呂と浄正は同時にこそりと肩の力を抜いた。いい年した中年が何をやっているのかと笑いそうになり、気づかぬふりをしてやる。 「最後にもうひとつ。浄正様には是非とも席を外してもらいたいんですが」 「はいはい邪魔者は引っ込みます。あんま破廉恥なコトはするなよ」 石段を降りていく浄正の背を見届けてから、改めて勝呂に向き直った。 今度は何を言われるのかと一瞬警戒したような視線が可笑しい。 「実は祇城の様子が少し変だと隊士からタレ込みがありまして……ああ面倒くせえな、ぶっちゃけ申し上げますが彼を傷つけたのはあなたでしょう。何が原因なんですか」 男同士の痴話喧嘩は男女のそれより繊細で奥ゆかしい理由が多いと相場は決まっている。 どうせ相手は恥らって言い渋るのだから回りくどい質問をするのもやぶさかだ。 勝呂は今度こそ徹底した無表情で鎧を固め、話す必要はないとばかりに脇をすり抜けた。 「それこそ貴殿には関係ない。お引取り願おう」 「可愛い恋人がつまらん喧嘩を引きずって遠征で大怪我でもしたらどうするんです?」 「喧嘩ではない」 即座に否定が返ってくる。 「喧嘩じゃないなら何ですか。嫌われた理由を知りたい、自分が何か気に障ることをしたんじゃないか、成績が悪くて愛想を尽かされたんじゃないかって健気に落ち込んでますが」 「知る必要はない。だが祇城が原因でない事だけは言っておく」 本人に直接言え、と後ろからド突いてやりたくなった。 「じゃ結論だけお聞きします。勝呂様は縁を切ったおつもりですか」 「……そうだ」 「なら俺が祇城を抱いても略奪にはなりませんね」 |
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