十八.


「いま何時だと思ってんだバカ浄正」
「あーしまった。年寄りはもうおねむの時間だよなー」

 城下町の外れの廃れた家屋。
 浄正に引きずられて連れてこられた場所は、たしかに世間とは隔離されたうってつけの土地だった。周りに民家がひとつもないばかりか、鬱蒼とした雑木林の只中にある。
 だが礼を言う気にはまったくなれなかった。

「そっちの酔っ払いは誰かと思えば勝呂じゃねえか」
「惚れ薬が回ってるから解毒してやって。お前さんの得意分野だろ」
「毒殺は得意だが解毒法なんざ知るかよ」

 俺は隣の家に、と外へ出て行こうとした浄正の襟を家主が捕まえる。一軒だと思ったが奥にもう一軒あるらしい。

「隣は留守。夜勤中だ」
「えっ何、今度は夜の仕事?」

 黒服集団が放った苦無のような短刀に毒が塗ってあり、浄正が割り込んでくる直前に一本食らった。幸いというべきか致死性の毒ではないようで、手足の痺れや意識混濁はあるもののその他の異常は感じない。生かして捕らえるつもりだったのだろう。

 解毒法など知らないと言いながら、水無瀬 樹は肩の傷口から採った血を怪しげな液体と草に混ぜ合わせてヘドロのようなものを手渡してくる。手際がいい。

「ちなみに毒が塗ってある得物はこれ。雨で流れちまったかもしれんが」

 傘に突き刺さったうちの一本を懐紙に包んで持ってきたらしく、浄正の抜かりなさに少し感心した。否、隠密頭だったのならこのぐらい当然だろう。
 樹はその短刀をしげしげと眺め、浄正ではなく自分に向き直った。

「なんでお前が清の殺し屋と関わってるんだ?」

 得物を見て一発で素性を当てられる。
 浄正までもがさあ洗いざらい話せと言わんばかりの顔で横目に注視してきた。

 今のところ個人的な問題に留まっているが、奴らの出方次第では幕府に火の粉が飛ぶかもしれない。となれば浄正は交渉如何で使えるかと考えた。少なくとも隠密衆よりこの男ひとりの方が動かしやすいのは明白だ。すでに幕府の臣下にはない隠居の身。
 それとなく抱き込んで暗々裏に問題を片付けてしまえばいい。

「詳細はさておき、清の間者がこの国に紛れ込んでいるのは事実だ。清との外交及び居住については出島に全権を与えている。江戸に清の人間が入り込んだとあらば出島の」
「協力してやるからそのかたっくるしい話し方やめろ。くしゃみが出る」

 さっきの奴らとは異国語で喋っていたようだが日本語ならくだけた感じだったんだろう、と言いながら立ち上がった浄正の傍らで、樹は興味なさそうに畳へ寝転がった。
 家主をよそに浄正は土間から勝手に酒と手拭いを持ち出し、一枚を投げて寄越す。
 そういえば自分もずぶ濡れだ。

「お前さんが腹を割って話す気があるなら、できる限りの協力は惜しまん。岡っ引きの手前でしらばっくれた事といい、幕府にゃ関係ないんだろ? だがすでに犠牲者も出てるようだし、政治に絡んでくるのは時間の問題だ。この先お前ひとりでできるのは切腹ぐらいだろうよ」

 酒器がなかったらしく、家主の茶碗と湯呑みに酒を注いで湯呑みの方を差し出してきた。

「俺を利用しようなんて小賢しい考えは見せるな。ちょっとでも分かったらぶん殴るぞ」

 それはつまり、利用するなら上手く使えという意味か。
 以前にも似たような事をこの男から言われた。
 さすがというべきか、幕府に利用されてきた犬だけのことはある。




 勝呂より先に門を出たが、途中で待ち伏せて後をつけてみた。
 というのも、どうやら同じ神田へ向かう様子だったので宏幸を捜索するついでに、だ。
 私宅へ帰るのかと思えばずいぶんと道を迂回している。遠回りなのではなく、誰かを探しているような足取りだと思った。

 そんな事を考えているうちに相手の方から勝呂の前に姿を現し、只ならぬ展開になる。
 しかし介入する気はなかった。
 宏幸の捜索が目的だったのもあるが、浄正の気配を感じたからだ。
 近くではなくとも、そして彼がどれだけ気配を消していようとも、なぜか伝わってくる。
 その気配が勝呂へ近づいたのを頃合いに尾行をやめた。


 遣いを頼んだ店はとっくに閉まっている。
 店の前に立って周辺を見渡したが、宏幸の気配はもう残っていなかった。
 たとえばこんな時に式神や妖しが使えれば───

 妖怪。

 昔から実家にそういうものが寄り集まっていたおかげか、妖しの姿はよく見える。常に見えているわけではなく、見ようと意識すれば見える程度のものだが。
 橋の袂の小さな祠に目をやると、地蔵の影に隠れてそれらしきものがいた。

「黄色い頭の人間の男を見かけませんでしたか」

 地蔵の前に屈んで話しかけてみる。人の言葉を解する妖しは稀だ。
 黒い煤饅頭のような姿のそれは人間に話しかけられて慌てふためき、土に潜ろうとする。言葉を解さない妖しだったようだ。

「そなたは妙な気配を醸し出していらっしゃる」

 ふいに橋の方から声がした。無論、人の声ではない。
 顔を上げると足元まで届く顎髭をたくわえた人型の妖しが立っていた。

「貴方がたにはご迷惑なものでしょうか」
「小者には邪気のようだがの。わたしにはとても興味深い」

 そう言って髭を撫でた妖しの仙人がスイ、と道の先を指差した。

「夕方ここを通った黄色い頭の人間、今は四谷に気配を感じる。心当たりのある場所か」

 四谷といえば宏幸の実家がある。
 仙人に礼を言い、後日この祠へ甘いものを供えに来ると約束した。

 これ以上は案ずる必要もなく衛明館へ戻る。
 無駄足だったとは思わないが、隆の言葉に再び苦笑した。
 自分の過保護さは誰譲りなのだろうかと。




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