九.


 思った通り、安西は龍華隊ばかりか組織そのものに影響する鍵となりそうだ。
 彼を引き戻したのはその性格が最たる理由。
 別の候補として脳裏をよぎった安西の片割れでは狙い通りにならなかっただろう。綺堂には根っから人に警戒されにくい雰囲気があり、安西と同じ事をしても強烈な印象を植えつけるほどには至らない。裏を返せば綺堂ほど安心して信頼を寄せられる人間はいないという事。

 今の龍華隊に必要なのは黙って見守る情け深い上司ではなく、カミナリ親父だ。
 その意味では先代がもっとも適任なのだが。
 たとえ本人がやると言っても浄正は生来「隊長」の器などではない。



「悪いな。俺、野郎に下の名前で呼ばれるの嫌いなんだ」

 下の名前で呼んでもいいかと聞いた宏幸に、安西は正面から断った。しかし悪気はなく、あからさまに落胆した宏幸の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「昔の相棒にも苗字で呼ばせてるし、宏幸だけ断ったわけじゃねえよ」
「そうっスか……」

 夜は恒例の宴で歓迎会。
 といっても質素な食事が好きだという安西の要望で定番の牛肉や高級魚などは却下された。代わりに美味い酒と肴を隊士達に不自由なく用意してやってくれと言い、その笑顔と器量に侍女たちの悲鳴が衛明館を震わせたのは言うまでもない。

 一方、昼間の安西を見て腰が引けているのは氷鷺隊の一部だけで、虎卍隊はさっそく「兄貴」だの「お兄様」だのと呼んで親しくなっていた。紅蓮隊の後継だから兄弟というわけだ。
 そして肝心の龍華隊は───

「悠ちゃん、隊名どうするん? せっかくやし色も変えたらええねんな」
「赤がいい」
「かぶっとるやろ。赤と青抜きで考えてや」
「赤だって色々あるだろ、色だけに。あっちが臙脂ならこっちは真紅だ」
「それじゃあ赤と青を混ぜて紫なんてどうですか?」
「タヌキ君。俺の話聞いてた?」
「ほな紫で決まりな。で、隊名は?」
「めんどくせえから真ん中の華を火にして『龍火隊』でいこう。荒ぶる感じで」
「えーおもろないやん。呼び方同じやし」
「頭使わなくていいだろ。使わない脳みそをその貧しい胸に押し込ん……でっ!」

 昼間のお返しだといって安西の頭を殴った冴希は、ぷくりと腫れている自身の頬をさらに張らして白米を掻き込んだ。耳の下に綿を貼り付けている深慈郎も臆することなく普段通り。
 我躯斬龍での手荒な挨拶だけで終わっていれば、今頃は二人とも距離を置いていた。
 あの後、安西は二人を呼んで自ら傷の手当てをしてやったのだ。もちろん説教つきで。
 傍から見るとそれはまるで兄弟喧嘩の後始末のようで、三人が何を話していたのかはあえて聞かなかったが冴希も深慈郎も不満そうな顔はしていなかった。


「斗上さんと安西さんて似てますね。見た目や言葉遣いは違いますけど、やり方がそっくり」

 圭祐が佃煮をつつきながら顔を綻ばせると、皓司が口を開くより先に安西が先攻する。

「育ての親だからな。雛は最初に見た奴を親だと思って真似するのと同じ」
「真似したわけではありませんよ。安西さんの悪影響が細胞にまで及んでしまった証拠です」
「にしちゃ不完全ですね。俺の影響ならそんなお局様みたいな性格にはならんでしょう。おい野郎ども、今日から斗上さんのこと御皓の局様って呼んでやれ」

 ノリのいい虎卍隊が声を揃えて復唱した。
 まったく、いつでもどこでも好き勝手にやってくれる。

「これ以上あだ名を増やされると『悠』と呼ばれても私が返事をしてしまいそうです」
「呼ぶなっつってんでしょうが」
「何を恥らっておいでなのですか。十年も私に恋焦がれておきながらつれない人ですね」
「十年も片思いするほど繊細なんですよ。あ、江美ちゃん、たくあん追加」

 先刻からたくあんばかり食べている安西は酒を持ってきた侍女にさらなるたくあんを注文し、下座にもつまみを追加するよう言いつけた。

「安西さんておいくつなんですか? 斗上さんより前に入隊されてたんですよね」
「せやったら御皓の局様より年上なん? 悠ちゃんの方が若く見えんねんなあ」
「私が少々大人の色気を醸し出しすぎなのですね」
「鬱陶しい気配ならよう感じるわ」

 冴希の年齢から見た鬱陶しさというのは果たして親父臭いのかババ臭いのか。
 鬱陶しさの種類について考え込んでいる間、広間は安西の年当てで持ちきりになっていた。

「三十四……いや三十二!」
「意表をついて二十七!」
「意表って何だよ。二十代には到底見えねえってのか?」
「ご不満入りました! 二十代にご不満の様子です!」

 それなら二十代だな、と今度は二十八だの六だのと競りのように数字が飛び交う。

 改めて安西の顔つきや佇まいを眺めると、たしかに自分が入隊した当時からほとんど変わっていない。どころか昔の方が老けていたように思う。戦疲れだったのかもしれないが。
 五体満足のうちに引退した事が今の安西や綺堂に繋がるのならそれで良かった。あのまま親気取りで無理されていれば、最悪どちらかは失っていただろう。
 己の潮時を知る事もまたこの仕事であると教えられた気がする。

「こら、そこ。喧嘩しないで」

 途中から関係ないことで乱闘し始めた虎卍隊を圭祐が諌める。止めようとした氷鷺隊の隊士が巻き添えを食らって投げ飛ばされていた。

「圭祐は隊士のまとめ役なんだな。一言で収まっちまった」

 即座に謝った隊士達の様子を見ていた安西が感心した声で褒める。
 圭祐は「いつもの事ですから」と気恥ずかしそうに向き直り、安西の盃に酒を注いだ。

「それより実際おいくつなんですか?」
「何歳に見える? 正直にどうぞ」
「三十一、くらいでしょうか」

 落ち着いた雰囲気ながら冴希や若い隊士、子供達との付き合い方も上手なのでお兄さんとお父さんの中間あたりではないか、と圭祐が言う。それでも選択幅は広く、決定打は三十歳の隆が親しみのこもった敬語で接するから少し年上の兄みたいな存在だろうかと。

「四十代の肌艶じゃないですし、二十代の若さとも違いますよね」
「そうか。じゃ三十一でいいよ」

 爽やかな微笑ではぐらかされ、圭祐は消化不良のような顔をした。あの様子だと本当は三十五前後かもしれない、などと方々から憶測が飛び交う。
 酔いつぶれる隊士がちらほら出てきたのを頃合に、宴は幕を閉じた。




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