六.


 虎卍隊の隊長以下三名が帰ってきたのは朝食後。
 なぜか憔悴した様子の宏幸を連れて素知らぬ顔で広間に入ってきた皓司は、出迎えた浄次の説教を右から左へ流すべくその前に正座した。甲斐に至っては玄関から自室へ直行、浄次の制止も聞かずに 広間を通り過ぎていく。

「斗上。麻績柴を呼んで来い」
「彼の分まで私が謹んでお受け致します。何なりと御説教をどうぞ」
「……いや、どうぞではなくてだな」

 謹むどころか応戦する気満々の皓司に怒る気力も失せ、浄次は宏幸へ目を遣った。
 いつもなら真っ先に噛み付いてくるか、さっさと逃げた相方への不満をぶちまけるはずだが。どうしたことか、きちんと正座までしてしおらしく俯いている。

「何かあったのか、高井?」
「え……あーまあ色々と」

 理想的な態度とはいえ、彼に限っては気持ち悪い。

「偶然出会った私の母に一目惚れしたようで、不倫に発展すべきか悩んでいるのです」
「って何勝手にべらべら喋ってんスか! 大体皓司さんだって、実のお袋さんに何スかあの冷てえ態度!すっげー感じ悪かったっスよ」
「身内の事情ですから。宏幸はおとなしく人妻との恋の行く末をお考えなさい」
「どの方向から考えても無理っス!」

 つまり一目惚れした人妻との恋は不可能だが諦めもつかないというわけか。浄次はすっかり人生相談の窓口的な気分で一連の出来事を想像した。
 瀞舟相手に決闘を申し込んでも口で負かされるのは必須、ならば旦那の目を盗んで逢引するとしても、事がバレた時はすでに宏幸が生きていないだろう。何せ皓司の父だ。予測もつかない報復を仕掛けてくるに違いない。


「御頭。お取り込み中のところ申し訳ないんですが」

 平隊士の一人が廊下から顔を出し、客が来たと告げる。

「客?」
「私がお招きした方でしょうか」

 そそくさと立ち上がった皓司を目で追い、浄次は溜息を吐いた。
 残された宏幸はとっくに胡坐を掻いて耳をほじっている始末。虎卍隊に何を言っても通用しないのは幹部からしてこの体たらくだからだ。やはり隆が言うように限定の規律を作った方がいいかもしれない。

「寒河江、先刻の話だが虎卍隊の……」
「それどころじゃなさそうですよ御頭」
「何だ?」

 縁側で黒猫と戯れていた隆が廊下の先に目を遣った。

「とんでもない人が来ちゃいましたねえ」




「安西さん!」

 広間へ入ってきた客人を見た瞬間、圭祐は思わず立ち上がって駆け寄った。
 一年ほど前に些細な出来事から皓司を通じて知り合った人。京橋で庶民の子供達に学問を教えている先生だ。あれ以来会っていないが、こちらに気づくとすぐ微笑を浮かべてくれた。風を纏ったような颯爽とした人なりで、細められた眼差しが何とも優しい。

「久しぶりですね、下谷さん。その節はどうも」
「覚えてて下さって嬉しいです。あ、こちらへどうぞ」

 誰だ何者だと隊士が遠巻きにざわめく中、ごく普通にしているのは隆だけだった。上座の浄次は蒼ざめた顔で安西の一挙一動をガン見し、宏幸は毎度のこと『優しそうなお兄さん』に一目惚れ状態で問題外。


「皆、席にお戻りなさい。就任のご紹介を致します」

 隊士の一人に何事か言付けていた皓司が廊下から戻ってきて両手を打ち鳴らした。
 就任、と聞いて圭祐は小首を傾げ、来たばかりの安西を見る。
 もしかしてこれは───

「本日よりこちらの御方に龍華隊の隊長役を務めて頂きます」
「え!?」

 真っ先に驚きの声をあげたのは、なぜか当の安西だった。
 驚く間合いを計りかねた隊士達も消化不良のような顔で安西と皓司を交互に窺う。

「ちょっと待って下さい斗上さん。話が違うじゃないですか」
「何が違うのですか。『組織を熟知し且つ統治力に長けた優秀な人材として是非とも隠密衆へ、否、私の元へ戻ってきて頂けませんか』と申し上げたはずです」
「一字一句そのまんま申し受けましたが、俺もこう言いましたよね。『俺を班長に戻して後悔しても知りませんよ』って。ハ・ン・チョ・ウって俺言いましたよね」
「ええ。勘違いなさっているのは承知でしたが私情で聞き流しました」
「このクソガキ……」


 誰も割り込めない二人の怒涛の応酬に、圭祐は堪らず笑い出してしまった。
 一年前の初対面の時、皓司に対する安西の態度はどこか遠慮がちに見えた。十年ぶりに再会したのだと言っていたが、色々あってお互い無意識に敬遠してしまうのだと。
 そんな雰囲気が綺麗さっぱり消えている。
 現役時代の二人はこんな風に過ごしていたんだなと想像するのに難くない、両者とも一歩踏み込んだ関係を楽しんでいるような空気が端々に感じられた。


「二人ともその辺にしてくれないかな。隊士が困ってるよ」

 ようやく隆が止めに入る。隆にとっても安西は旧知だ。
 しかし現在ここにいる隊士は全員、安西のことを知らない。もちろん圭祐もほんのひと時会話を交わした程度で、彼がどういう存在なのかはまったくの未知。それでも人を見抜く目にはわりと自信があり、間違いなく安西は適任だ。皓司の悪戯に気分を害して帰られてしまってはもったいない。

「安西さん。僕がこんなこと言うのもおかしいんですけど、安西さんなら素晴らしい隊長になられると思います」
「そうそう。安西さんなら何の問題もなくこなしてくれますよね」

 隊士が状況に困っていると言ったばかりの隆までもが便乗してきた。

「安西さんなら安西さんならって、無責任なこと言わんで下さいよ。この人がわざわざ俺に頭下げるぐらいだからどんな危機かと思えば、むしろ嬉々としてるじゃないですか。俺帰ります」

 安西は本当に立ち上がってずかずかと広間を出て行く。どうしたものかと皓司を窺うと、悠長に茶を啜っていた彼は静かに湯飲みを置いた。

「安西さんともあろう御方が、まさか今さら出来ないなどとおっしゃいませんよね」

 荷物に手をかけた安西がぴくりと動作を止める。

「隊長は無理でも班長なら出来るのですか。十年経っても貴方はその程度という事ですね」
「挑発には乗りませんよ。乗りませんが、そこまで言うならやってやろうじゃないですか」
「ではよろしくお願い致します」

 結局乗せられているではないか、とは誰も言わなかった。




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