二.


 厨房から味噌汁のいい匂いが漂ってきた。釣られるようにして寝ぼけ眼の隊士がぞろぞろと集まり始め、衛明館の一日が始まる。
 すでに起きて半刻、毎日早起き組の隆や皓司と共に静かな広間で過ごしている圭祐はこの時間が一番好きだった。寝ぼけて隊服を裏返しに着ている者、寝癖頭で出てくる者、朝から威勢のいい者。みんな無防備なのが面白く、精鋭揃いの龍華隊も例外ではない。

「おはよう祇城。襟のとこ折れてるよ」
「おはようございます」

 祇城はぺこりと頭を下げながら前襟をいじった。そこじゃないと言おうとして、彼の後から入ってきた虎卍隊の隊士が何も言わずに祇城の後ろ襟を直す。甲斐の班の隊士はあまり愛想がよくないが、時折こういう面を見せたりするのが不思議だ。
 祇城が礼を言っても返事すらせず、さっさと奥に入れと背中を押していた。

 ほどなくして、どたどたと走ってくる元気な足音が聞こえる。これは冴希だ。廊下の先々で「うるせえ」だの「危ねえ」だのと叫ぶ隊士達の声も聞こえた。

「おはよーさーん! 聞いてや聞いてや!実はタヌキがな」
「わーっ! 言いふらさないで下さいよ椋鳥さん!」

 冴希の足音で聞こえなかったが、深慈郎も一緒だったらしい。

「おはよう。何、どうしたの?」
「お圭ちゃん聞いたらびっくりするでー。だってこのタヌキが」
「お願いですから変な広め方しないで下さいー!」

 話も気になるが、この二人は部屋が別々の班長同士なのに仲が良くて少し羨ましいと思った。
 同じ部屋で過ごしていても保智とは未だにこういう親密さがない。相手の性格が無口なのもあるが、こっちから近づいても彼は遠慮して一歩引くのだ。押してダメなら引いてみろとは言えど、保智の方から近づいてきてくれることもなく。

「……何してるんだ? 後ろがつっかえてるんだけど」

 噂をすれば何とやら、相方のことを考えていたら保智が起きてきた。
 入り口でわいわいと話している冴希達を見下ろし、困ったようにうなじを掻く。どけ、とも言わなければ強引に割り込んだりもしないのが彼のいいところだが、立ち尽くしているだけでは埒が明かないだろうに。
 圭祐が立ち上がると同時に、保智の後ろから剣菱の野太い声が飛んできた。

「ちょっとぉ、立ち止まらないでよ木偶の坊さん。入れないじゃないの」
「いや、前が」
「こらチビッコちゃん達! さっさと退きなさいよっ」
「なんや青ヒゲ! 下座から入ったらええやん!」
「めんどくさいのよ!」

 女の子らしくないとはいえやはり冴希は女の子で、その高い声が男所帯には心地いい。
 掴み合いになった剣菱と冴希の間に入り、圭祐は双方を宥めて入り口を開けた。

「ほらほら、お膳が来たよ。保くんも早く座って」

 侍女の配膳が始まったのを頃合いに各々席につくと、虎卍隊の隊長以下三名が揃って不在なことに気づいた浄次が眉を顰める。

「斗上と班長二人はどうした」
「皓司は所用で明け方に出かけましたよ。班長二人は色町でしょう」

 縁側でのんびりと朝陽に当たっていた隆が戻ってくる。よっこらしょ、などと呟いて腰を下ろすにはまだ早すぎる年だが、なぜか隆が言うと年寄り臭く聞こえない。

「まったく……班長が同時に不在というのはけしからんな」
「その上隊長まで不在ですからねえ。隊士は気が楽でしょうけど」

 だから虎卍隊はいつまで経っても無法者集団なんだと言わんばかりの相槌に、浄次は深く頷いて賛同した。今のうちに虎卍隊限定の掟を作っておくか、などと話している二人をよそに、 件の隊士は下座でさっそくお祭り騒ぎ。
 とはいえ皓司が復職して以降、ちょっとした諍いから斬り合いになるという蛮行はほとんどなくなった。おかげで畳の張替えも激減し、平和なことこの上ない。



「そういえばさっきの話って何?」

 鰆をほぐしながら深慈郎に尋ねると、彼は「え!?」と不自然に驚いて箸を落とした。
 寝小便でもしたのだろうか……。

「せや! タヌキがお見合いするんやって!」

 冴希の一際大きな声が天井の梁にまで響き渡る。
 騒々しかった下座の隊士達が一斉に箸を止め、そのまま宙を見つめ、一呼吸置いて一斉に米粒や味噌汁を噴き出した。笑い声とどよめきが一緒くたになって上座へ届く。

「本当かい? おめでたい話じゃないか」

 同じく箸を止めていた隆が祝福すると、深慈郎は頬を染めながら頷いて箸を置いた。

「身内話でお恥ずかしいんですが……実は兄嫁が母と不仲になったとかで、先月兄と一緒に家を出てしまったんです。うちは小さい道場なので形だけでも跡取りを据えておきたいみたいで」
「え、じゃあ縁談が決まったら隠密を辞めちゃうの?」

 何やらそういう方向に話が進んでいる気がして、圭祐は無意識に身を乗り出す。
 お子様班長だとか役職と実力が見合ってないとか言われていようと、同じ釜の飯を食べてきた仲間だ。急にいなくなってしまうのは寂しい。

「や、そんなことはないです。まだ父が現役ですし、僕よりお弟子さんの方が師範に向いてる人がいると思うのでほんとに形だけかと」
「そっか。お祝いしなきゃいけないのに寂しいなって思っちゃった。ごめんね」
「というかだな、お祝いも何も見合いすらしとらんのに話が進みすぎてないか」

 和やかな雰囲気を一言でぶち壊した浄次を無視し、隣で黙々と箸を進めている保智の顔を覗き込んだ。当然、変な目で見返される。
 保智とて容姿や性格に難があるわけではないのに、どうしてめでたい話が転がってこないのだろう。年に一度は実家に帰っているのだからいつかは縁談の土産話があると思っているのだが、一向にその気配はなかった。

「保くんにも早くお嫁さんが見つかるといいのに」

 ぽろりと零すと、保智の口からも漬物がぽろりと落ちる。

「な……なんで」
「優しくて真面目で力持ちだし、いい男だもん。僕が女性だったら結婚してってお願いしてたよ」
「おいおい、早まるなお圭さん! んなこと言ったら『嫁は男でも別にいい』とか開き直って今夜手篭めにされちまいますよ!」
「保くんにそんな度胸があるわけないでしょ」

 なるほど、と即座に納得した下座のお祭り隊士はさておき、深慈郎の縁談が上手くいくことを願った。正式に結婚となれば是非お嫁さんを連れてきてほしい。


「なー、それよかうちの隊はどうなるん? 巴御前が隊長辞めてからこっち一ヶ月やで」

 何杯目かのお替りを頼んでご飯待ちの冴希が、浄次と隆を交互に見た。
 浄次が隆に視線を投げ、隆は不在の皓司に任せることもできず。苦笑して箸を置く。

「それは皓司に任せてあるから大丈夫だと思うよ。最近ちょくちょく出かけるし、相手と交渉してるんじゃないのかな」

 誰か跡つけてみろ、と虎卍隊の中で冗談が始まった。
 それにしても皓司が目星をつけたという相手がさっぱり思い浮かばない。
 黙って任せてはいるが、そろそろせっついてみるか。




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