ゆ き
十五、
◆圭祐──1700年・季春ノ弐◆
三年間の夜が明けた。
昨夜に泣き続けたせいか、目の奥がちくちくしている。昨日まで大嫌いだと思っていた部屋は違った場所に思え、改めてまわりを見渡した。
布で仕切っていた隣から、軽い寝息が聞こえる。
入隊してこの部屋を宛がわれた時、仕切りを作ったのは自分の方だった。
着替えてから布をめくると、相方の男が布団に包まって寝ている。
この男にも酷いことをたくさんしてきた。思い出してみれば、最初から彼はうまくやろうとしてくれていたのだ。それを自分が突っぱねてしまったので、関係がこじれたままだった。
「能醍さん。朝だよ」
よく寝坊する相方だったので、初めてだったが起こしてみる。
人を起こすのは数年ぶりだった。
今の自分とだったら、関係を戻してやり直してくれるだろうか。
なかなか起きないので、もう一度肩を揺すって起こした。
「能醍さん、もう朝だよ」
「あさ…………って、うわあっ!!」
布団を撥ね退けた勢いで顔に風がくる。
彼は立ち上がって押し入れまで後退りし、口をぱくぱく開きながら指差してきた。
「しっ……した、下谷!?」
「ええと、今までいろいろ迷惑かけてごめんなさい。能醍さんが嫌じゃなかったら、これから仲良くしてくれると嬉しいんだけど」
「……なんか企んでるのか……?」
彼が戸惑うのも無理はなかった。一晩で人格が変われば驚くのは当たり前。
苦笑してから、昨日の経緯を聞いてもらった。
今までの事も、全部。
「そういうことで、本当はこれが僕なんだ。たくさん迷惑かけてすみませんでした」
「そういうことなのは……分かった。分かったけど、変りましたって言われてもな……」
「やっぱり、僕が相方だと迷惑……?」
すぐに受け入れてもらおうとは思わないまでも、迷惑そうな顔をされては高望みだったかと少し落ち込む。知らないうちに涙が出ていた。
「な、泣くなよいきなり……」
「ごめんなさい……。迷惑だよね、今までひどいことしてきたんだし」
「そういう意味じゃなくて……こういう顔だから誤解しないでもらいたいんだが、別にお前が迷惑とかそんな事は思ってない」
「じゃあ、僕の何が嫌? 正直に言ってほしい」
「嫌っていうか、だからつまり、寝起きで心の準備がまだ……」
思わず吹き出してしまった。
「笑うことないだろ……」
「ごめん、能醍さんて不器用なんだね。そう思ったらおかしくなっちゃった」
「どうせ不器用だよっ」
背を離して戻ってくると、彼はいい加減に布団を畳んで押し入れに突っ込んだ。着替えている間もどこか戸惑っている風で、見るなよ、とふてくされた声が返ってくる。
「あの、この仕切り取り外していいかな。これから仲良くやっていきたいし、前の僕がやったことだから嫌なんだ」
昨日までの自分がしたこと、自分が意図的に着ていた薄い生地の服は全部処分した。
この布だけが、前の自分を処分する最後のものだ。
「いいけど。そういえばその服見たことないな」
「ゆうべ城下町に行った時に、寒河江様のご実家で仕立ててもらったんだよ。使用人の人が総出で着物作ってくれたんだ。寒河江様の家って呉服屋だったんだね。大きなお店でびっくりしちゃった」
「なんで夜中に服なんか仕立ててもらったんだ……?」
「だから、前の自分のものは全部処分しようと思って。この仕切りが最後」
そういう事か、という顔で彼は仕切りを見て、自分からべりべりと布を剥がした。
天井に釘を打って留めていたので、自分には背が届かない。
彼は小さな踏み台に乗っただけで天井に手が届いていた。
「俺が寝てる間に取ればいいのに」
「背が届かないんだよ。釘打ってくれたのも能醍さんだったしね」
「……あの時、なんで俺が天井に釘打たなきゃならないんだろうって思ってた」
「ごめんね。ほんとに、今までごめんなさい」
「もういいってば。謝られたりするの苦手なんだよ」
「そう? じゃあもう言わない」
「そうしてくれ」
ぶっきらぼうに言って顔を逸らされる。
耳が赤くなっていた。
「耳、赤いよ?」
「生まれつきなんだよっ」
生まれつき耳が赤いわけじゃないのは分かっていた。
照れ隠しも不器用で、本当はこんな優しい人だったのだ。
むりやり酷いことをしてきた彼に、もう一度だけ心の中で謝った。
広間に行ってからどうしようかと思っていたが、そんな不安も消し飛ぶくらいまわりが自分の変貌に驚いて大騒ぎしていた。でも今までのように卑猥な言葉をかけてくる人はおらず、かつて隊長が言ったように、ここは一つの家庭なのだ。
優しい気が満ち溢れている。
三年間失っていた家族の愛情のようなものが、ここにはあった。
これから、この衛明館が自分の家になる。
「夜の桜はどうでしたか」
後ろから声をかけられて振り向くと、端正な美貌の男が立っていた。
「おはようございます、斗上様。あの、今まですみませんでした」
「何も迷惑は被っておりませんよ。私はね」
毒舌はこの人の持ち味なのだ。そういう事が一つ一つ分かってくる。
「どうして昨夜のことを知ってるんですか?」
「御頭のちょっとした悪趣味です。部屋から見ていたんですよ」
「見ていらっしゃったんですか……」
「御頭が、です。私は見ていません」
「皓司も俺の部屋に転がり込んで聞いてたじゃん。すぐ人を悪モンにすんのはやめれ」
広間で茶を啜っていた御頭の声が割り込んできた。
御頭にはきちんと謝るべきだと思い、手前に手をついて頭を下げる。
「今までの数々の行い、深く反省しています。申し訳ありませんでした」
厳しく罰せられるだろうと覚悟していたが、なかなか返答が返ってこない。
顔を上げるのも無礼なのでしばらくそのままでいると、突然頭を無骨な手に撫でられて驚いた。
「みんな見てみろ! こーんな素直で可愛い奴がうちにいるか!?」
「あの、御頭……」
「昨日までのお前は腕だけだったが、今日から性格も買ってやる。ふにふにしてて可愛いなー」
頭を豪快に撫でてくるので、ひとつに結った髪が乱れてぱらぱらと落ちてくる。
「たしかに可愛くなったな」
御頭の横で、煙狼隊の隊長がじっと見つめてきた。深い海のようなその目で見られると、何もかも見透かされているようで恥ずかしくなる。
だが、今は見透かされて困るようなことなど何もない。
「本条様にも、ご迷惑をおかけしてすみません」
「斗上と同じ台詞を言う気はないよ」
静かな声でそう言われ、咎める大人が誰もいないことに少し苦笑した。
御頭にかき回されて乱れた髪を直そうとしていると、静かな声が続く。
「髪、切ってやろうか。少し長すぎるだろう」
切りたいとは思っていたが、自分の隊長に頼み損なっていた。
「じゃあ、お願いします。半分くらいばっさり切って下さい」
「半分は勿体ないな」
その場で切ってくれるというので縁側に移動する。
本条隊長は短刀を器用に動かし、肩甲骨の下まで切ってから髪を結ってくれた。
なんとなく母親の手の仕草に似ていて、涙が溢れてくる。
もっと早くこの人達を知る努力をすればよかった。
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