ゆ き
十二、
◆隆──1700年・上春◆
「寒河江、ちょっといいか」
年が明け、御頭一行が遠征から戻った翌日だった。
司に呼ばれて自室から出ると、御頭の部屋へ、と言われる。
「また遠征でもあるんですか?」
「下谷の事だ。遠征が終わった時に、向こうで御頭に話しておいた」
自分が御頭には言いにくいだろうと、気を回してくれていたのだ。司の背に礼を言うと、少し首を回して肩越しに見てきたが、それだけだった。
正直なところ、司が御頭に話しておいてくれたのは助かる。御頭が苦手というわけではなく、あくまでも自分の配下の問題なのだ。御頭に報告して煩わせるような真似はできないと、自分は思っていたのかもしれない。
一礼して部屋に入ると、御頭の横に皓司が座っていた。
幹部の会議そのものだ。
司と同時に腰を下ろし、刀を脇に置いた。
「四ヶ月以上も俺に報告しなかったのは、よほどの理由があるんだろうな」
御頭は正面から威圧するような気を放って、そう切り出してくる。
反論の余地は与えられなかった。
「申し訳ございません」
手をついて詫びると、正面ではなく斜めから軽い溜息が聞こえる。
「買い被られたものですね、御頭も。神か教祖に思われているようですよ」
「まったくだ。おい隆、こいつの尊大な態度を見てみろ。無礼以外の何者でもないだろ」
御頭の気迫が一瞬で失せ、がらりと普段の大らかな雰囲気に変わった。
顔を上げると、だらりと退屈そうに座った御頭が目の前にいる。その横で正座をしたままの皓司は、相変わらず涼やかな顔で茶を啜った。
「これでも無礼と無遠慮は使い分けております」
「皓司の無遠慮はそのまま無礼じゃん。近所で生まれたお前のおしめ替えた時なんか、いきなり小便ひっかけてきたしなー。俺が御頭やって一年目ん時」
自分の傍らに胡座をかいている司がふっと笑った。
苦笑なのか微笑なのか、曖昧な笑顔を浮かべている。
空気を掴み兼ねていると、一つ下にも関わらず、皓司は沈着冷静な物腰で口を開く。
「諸藩の諜報各一名に、とある人物を探すよう指令を出しております。御頭が勝手に指令を下してから私どもに教えて下さった事ですが」
嫌味を嫌味とも思わない顔で言い、畳に置かれていた紙をすっとこちらに押してきた。
そこに書かれている名前を目にした瞬間、御頭の顔を見上げてしまう。
御頭は好奇心の混ざったような笑みで口元を緩ませていた。
「司から下谷の話は聞いた。ぷんぷん臭うな、冤罪の臭味が」
「……冤罪、と申されますと……」
「下谷だ、下谷。虚勢を張って突っ張ってるだけだろ。そんな肝のちっさい小僧が、行事の最中に何食わぬ顔で家族を殺せると思うか? 俺は思わないね」
改めて手元の紙に墨で書かれた二人の名を見つめる。
「では、この二人が下手人だと思われているという事ですか……」
「状況を考えてみろよ。三与里の長が代替わりする直前だったんだろ? てことはだな、下谷の親父が家督を譲り渡した判決に納得いかない奴が下手人って以外に考えられるか」
「しかし……それでは何故この二人が怪我を負っていたんです?」
「偽装だ。どうせたいした傷じゃなかったんだろうよ。神聖な里らしいから刃傷の程度が浅いか深いかなんて分かるもんか」
自分に傷を負わせてまでの偽装。
おそらく一家惨殺の背景には土地や財産の譲渡が絡んでいる。
なんという醜悪な恨みだろうと今更になって廃屋から感じた怨念を思い出した。あの怨念は殺された者の気ではなく、殺した方の怨念だったのだろう。
「俺が思うに、お尋ね者の二人は三与里にはいないはずだ。下谷家の財産をぶん取って、どっかで贅沢三昧やってると見える。怪我を負って助けてくれと言えば大抵はそれで状況証拠になるからな」
トントントン、と御頭は自分の刀の鞘で肩を叩きながら言った。
「家の中で何があったか知らないが、下谷が殺したように見せかけてトンズラこいたんだろうよ。三与里の土地を奪えば怪しまれる。財産だけ盗んで村を出ているだろうから、諜報に任せた」
「それでは三年の間、下谷は……」
「投獄されていたはずだ。十三だったか? 殺しでも田舎は一年か二年の刑期だな」
「一年か、二年……」
「ひね曲がるには十分な時間だ」
冤罪であれば越後の奉行所と当時の役人を含めて再審が問われる事になる。
だが、たとえ二人が見つかったとしても証拠がなければ変わらない。
御頭は証拠が出ると踏んでいるのか。
「二人が見つかった場合、どのようになさるおつもりなんですか?」
つい弾みで聞いてしまったが、御頭はにやりと笑って肩を叩いていた刀を抜いた。
手にした紙の中央から切っ先が飛び出てくる。
刀で取り上げた紙を両断して破いた御頭は、獰猛な獣のような眼光を放っていた。
「吐かせるまでだ。奉行所に裏金を回した事をな」
事件の真相が今、ようやく全貌を現したように思えた。
下谷が証拠不十分で役人に捕まったとしても、奉行所が裏で大金を受け取っていれば罪は決定的だ。ましてや家督争いであの二人が下谷に恨みを持っていたのなら、財産の一部を使って奉行所に金を渡すのは当然かもしれない。
十三歳の下谷に家督が譲られたのだろうか。
それならば、下谷だけが殺されていたはずだ、と思う。
下谷が殺されずに下手人に仕立てられたという事は、家督は労咳の長男に譲られたか。下谷が二年後に元服を迎えるまでの一時的な家督だとしても。
妾とその子供というだけで一族を継ぐ事を拒まれれば、二人が恨むのも納得できる。
「……下谷が家族を殺したとは、思ってらっしゃらないんですね」
「あんな小僧に何ができる。入隊試験の刀捌きは見事なものだったが、それでも俺から見れば子供騙しだ。刀を扱ってせいぜい二年目がいい所だな。当時に三人も殺せるような年季はない」
そうだろうか、とまだ考え込んでいると、見透かしたように司が口を挟んだ。
「刀を扱った事がなくても人は殺せます。しかし一度に三人は難しいでしょうね」
「だろ? そもそもな、若い女やばーさんが言ったらしい言葉を照らし合わせれば、当時の下谷は相当なカワイコちゃんで純粋な坊やだったわけだ。俺達よりも当時の下谷を知ってる村のもんがそう言うんだから、下谷が下手人とは考えられん。皓司、どうだ?」
先刻から岩のように微動だにしなかった皓司は、ちらりと横を見て湯呑みを置いた。
「妾腹の理由で家督を譲られなかった義兄が恨みを持ったという説が有力でしょうね。ところで、さっさと刀を仕舞って下さい。きちがいに何とやらと言いますから」
「そういうわけだ。見つかり次第、江戸に引きずってこいと指示してある。話はそれからだ」
むき出しの刀の背で肩を叩く御頭に、皓司は一瞥してから立ち上がる。
庭に面した障子を開けると、冬と春が入れ替わる時期のような風が入ってきた。
御頭の部屋を後にして、ふと廊下で立ち止まる。
例年よりも少し早く鶯の鳴き声が聞こえた。
「あ、隊長。どこに行ってたんですか」
廊下の角から現れた保智が不機嫌そうな顔で見上げてくる。
「御頭のところだよ。どうしたんだい?」
「下谷と紅蓮隊の隊士が乱闘してたんですよ……もう収まりましたけど」
次から次へと問題を引っ提げてくるのは、衛明館ならではか。
収まったと聞いて一安心したが、皓司の隊の者が乱闘となると流血沙汰かもしれない。隊長が隊長なので、隊士も野心家揃いだ。
「原因は?」
「下谷が、その……昨夜の金の額が足りないとかで……」
「だろうと思った。乱闘は誰が収めたんだい?」
「甲斐です。収めたっていうか……」
広間へ出向くと、見事に畳から天井まで血が飛んでいた。
その場にいた者が固唾を呑んでこちらを振り返る。
「下谷は?」
「出ていきました……」
やれやれ、と溜息が出る。
腕と首が離れた死体の前に歩み寄ると、刀を懐紙で拭っていた甲斐が笑った。
「お騒がせしてすみませんネ。おれの班の隊士ですからご心配なく」
問題児が揃うとまったく手に負えない。
解決口が見えてきた矢先の出来事にまた溜息を漏らす。
それでも、下谷がここで人を殺さなくて済んだ事に本心から安堵した。
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