ゆ き


十、


 ◆隆──1699年・季秋ノ参◆


 泣き止んだ老婆はしわがれた両手で手拭いを握り締め、拳を震わせた。

「冬の年は、年に一度の大きな村行事があってねぇ。渋海川の周りでお囃子をしながらご先祖様を祀る、『御与の儀』っていう儀式さ。村の者がお囃子をして、三与里を守る長の一族はお囃子が終わるまで家から出たらいけない。ご先祖様が長の家に入って里の安泰を運ぶんだよ。旦那様が先代の長から家督を受けられた時も、御与の儀の前だった。私ら村の者は、ついに長の代が変わると分かっていたよ。労咳を抱えたご長男か、十三歳の次男か、元服したばかりの妾腹の子供か。その誰かに必ず家督が言い渡される……はずだった……」

 老婆の声が震える。
 無意識のうちに、自分も眉を顰めて息を詰まらせていた。

「……お囃子が終わってから長を待っていると、なかなかいらっしゃらなかった。不審に思って村の若衆がこの家に駆けつけたら……妾とその子供が、転がるように雪を掻き分けて家から出てきたんだよ。『殺された、家の者が殺された!』って大声で叫んで……手や肩に刀で斬られたような怪我をしていた。お囃子のあとに儀式を納めるどころじゃなくなってしまって、若衆が家の中に入ると……」

 啜り泣きながら、老婆は土に手をついて廃屋へ頭を下げ出した。

「どうか、この里をお守り下さいませ……あの子が、純粋で心優しかったあのお圭ちゃんが罪を犯したなどとおっしゃらないで下さいませぇ……ッ」

 堰を切らしたように咽び泣く老婆の姿に、自分の腰が勝手に浮いていた。
 立ち上がって廃屋を見ると、蜻蛉の群れも秋風もなくなっている。
 夕闇に黒く浮かび上がる廃屋から大量に血の臭いがした。
 錯覚だ。
 だが三年前の凍てついた空気が、怨念のような血臭を運んできた気がした。
 地面に額を押し付けて咽び泣く老婆の悲痛な声が響く。

「あの子がどうして旦那様を殺められましょうか……! あの子がどうして、奥さんを殺められましょうか……っ! あの子が、どうして……ご長男を殺められますで、しょう、か……」

 そんなはずはない、と自分も体の中で叫んでいた。
 何が起こったのだ、何がこの家の中で起こったのだ、と廃屋を睨みつけた。
 暗い家屋の中から二対の目が嘲笑っているように見える。
 誰の目だ。
 お前は誰なんだ。
 この家を滅ぼしたのは、一体誰なんだ───



 凍えるような冷たい風が吹いてくる。冬の気配が近づいていた。
 渋海川は豪雪が溶け出した後は増水するだろうが、秋は水位が低い。
 満たされる事のない川は、水面を満たす積雪だけを待っている。
 覆う雪だけが、その身体を凍らせて極寒から守ってくれるのだ。
 冷たい庇護だった。
 それはとても冷たい、一時的な庇護だ。
 雪が溶け出したら、また満たされる事のない世を流れ続けなくてはならない。

 川沿いを歩き、歩き、歩き続けて信濃川とぶつかった。
 渋海川の水はこの国最大の川に抱き込まれ、緩やかに混ざり合っていく。
 ひとつの大きな川にたどり着く為に、狭い川を懸命に流れているのだと分かった。
 幾冬も凍てつき、それでもなお母の川に抱かれるのを望みながら懸命に流れている。

 秋の夜の信濃川にはまだ蛍が飛び交っていた。
 一斉に明かりを灯し、川を照らすように飛び交っている。
 この光景を、幼い頃の下谷は見たのだろうか。




 ◆圭祐──1699年・季秋◆


 二日間の休暇を与えられても、こんな土地ですることなんか何もない。
 否、一つだけあった。
 せっかく越後に帰ってきたのだから、この機会を逃すのも惜しいような気がする。
 場所がどこにあるかは覚えていた。
 越後は江戸なんかに比べるとかなり広い。
 それでも、目的の場所はこの越後にたった一つしかないのだ。

 蜻蛉がうるさくまとわりついてくる。
 刀を抜いて、片っ端から両断してやった。
 日が暮れると蜻蛉がわんさか出てきて、日が落ちると蛍がわんさか出てくる時期だ。
 そんなに飛び回って何が楽しいんだろう。
 どうせ季節が終われば死ぬのに、何も考えてないように飛び交う蜻蛉が目障りだった。
 川沿いを歩いていると、後ろから草を掻き分けてついてくる足音がする。

「なんだよ、金魚の糞みたいにくっついてきて」
「なんだよって、お前がどこかに行く時は目を離すなって隊長から言われてるんだよっ」

 ぶっきらぼうな物言いは相変わらずむかついた。
 おまけに隊長命令なら何でも聞くこの男に呆れる。
 犬みたいに馬鹿正直だ。

「あんたさぁ、人の命令ばっかハイハイ聞いて、自分がバカみたいに思わない?」
「それが仕事なんだから仕方ないだろ!」
「仕事命ってわけか。仕事中だったら誰の命令でも聞くんだ、ふーん」

 半分面倒になっていた目的地への道のりを振り返り、そんなつまらない事よりもこの馬鹿正直な犬男を相手にした方が楽しいかもしれない。
 考えると面白くなってきたので、それ以上進むのはやめて男の方へ歩き出した。

「ここ、まわりに民家がないからすっごい静かだよね。何したって誰も聞こえやしない」
「な……何をするつもりだったんだ?」
「つもりだったんじゃなくて、これからしようと思ってんの」

 目を見ながら近づくと、男は身体を硬くして肩を張った。
 こんな馬鹿みたいな反応をする男はちょっと見ない。女に弱いみたいだと気付いていたので、自分のこの顔も弱いってことだろう。たっぷりと誘惑するような気を作って、男の前で足を止めた。

「抱いてよ。部屋じゃないんだから、隣にバレたらなんてびくびくしなくていいでしょ」

 この男の場合、誘うよりも襲った方が早い。
 硬直したまましかめっ面して見下ろしてくる男を突き飛ばしてやった。
 簡単に後ろへ尻餅をつく。
 間を空けずに上からのしかかって、筋肉の張った肩を草むらに押し付けた。

「ちょ、ちょ……ちょっと待て下谷……! あのな、俺は……っ!」

 前に部屋で襲った時もおたおたして口ばかり拒絶文句でうるさかったので、もう耳には入れないことにした。隊服の間からへにゃへにゃした一物を引っ張り出し、さっさと口に入れる。すぐに硬さを増してきた。
 男の生理だから当たり前だが、意に反しても身体が感じてるってことには変わりない。

「や、やめてくれ……俺はこんなのは嫌だ!」
「こんなのって? あんたが合意すればいいだけじゃん」
「そうじゃなくてっ! ……とにかくやめてくれったら!」
「気持ちよくなったら声出していいよ」

 お喋りな男というなら、麻績柴の方がまだ会話に知性と凶暴性がある。
 あれはむかついて面白いけど、この男は苛めがいがあるから面白い。一物だけはご立派だが、技も何もあったもんじゃないところが宝の持ち腐れだ。
 根元から絞り上げて何度も舌で擦ると、短い呻きと一緒にまずい体液が吐き出される。口の中でそれを一物に擦り付けながら、もう一回くらい勃つだろうと扱いてみた。
 泣きそうな顔でそっぽを向いて諦めた男の一物はすぐに精力をたぎらせる。
 その上に腰を持ってきて、ご立派な一物を身体の中に飲み込んでやった。
 どうにでもしてくれ、というような力の抜けた間抜け面がいい。
 精神上では自分がこの男を犯してるのだと思うと、腰の動きが勝手に早くなった。



「……蛍だ……。下谷、蛍が飛んでる」
「上りつめたあとだから目がチカチカしてんじゃないの」
「違うってば! 見てみろよ、まわり」

 身体を繋げたまま周りを見渡すと、夕焼けに染まっていた空はもう暗かった。
 細い三日月が出ている。
 三日月なのに、月明かりは仄かに草むらを照らしていた。
 無数の蛍が飛び交っている。
 どこで誰が何をしていようと、蛍はただ光を放って川辺を飛び交っていた。

「気が済んだら降りてくれないか……。その、痛いんだけど……」

 柔らかい変なものが身体の中に入ったままだった。
 一瞬、どうしてこんなものが自分の中に入ってるんだろうと不思議に思った。
 家族と蛍を見ていた自分が、どうしてこんな所で男と身体を重ねているんだろう。
 頭がぼうっとしていた。
 自分は、本当は何を探して飛び交っているんだろうか。




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