ゆ き
六、
◆圭祐──1699年・初夏◆
昼間は住人から金が取れないので、犬小屋なんかにいるのは退屈だった。
犬小屋は衛明館という大層な名前がついているが、犬小屋の方が似合ってる。
城下町を歩いて物見遊山をし、飽きると林の奥で通りすがりの男を引っかけた。林を歩く男なんか大して金持ちではなかったが、退屈しのぎにはちょうどいい。
夕方に戻って夕食を取り、風呂のあとで誰かしら隊士と交渉するのがここでの日課。
身体を売ってばかりいるのも詮無いので、ひと月前に隠密衆の入隊試験を受けてみた。
剣術でも稼げるのはよかったが、人間がどれもくだらない奴らばかりだ。豺狼の群れと恐れられる隠密衆といえど、所詮は獄中の役人とも酒場の男とも大差ない。
刺激が欲しかった。
同じような行為ばかりする男達を相手にしていると、身体が鈍ってくるような気分だった。
刺激が欲しい、とまた思う。
身体の刺激か、精神の刺激か。
互角に張り合えるようなむかつく奴がいてもいいんじゃないかと悪態ついてみる。幹部の三人は曲者揃いだが、その辺は手を出しても引っかからないようなので眼中にない。
丑の刻を少し回ったところだった。
犬小屋の廊下を一周してみると、外で何かの音がした。江戸城内は静かすぎて、かすかな物音さえよく聞こえる。自分の聴覚が他人のそれより少し優れているせいでもあった。野良猫が塀から落ちたとか、大方そんなところだろう。
二周して誰も隊士が引っかからなかったら、今日はみんなお疲れということだ。
たまにはそういう日もある。
二周目もあと数歩、というところで突然背後から口を塞がれ、横の部屋へ引きずり込まれた。気配はまったくなかったが、匂ってくる特有の体臭で誰だかすぐに察しがつく。
一度も取引しようと思ったことがなく、これからも全然その気にならないだろう相手は、風呂場の壁に身体の前面を押し付けるように扱ってから、いきなり後ろから突っ込んできた。
いつの間にか自分の腿までズボンを下げられている。相手の素早さに少し感心した。
久しぶりに感心させてくれたお礼に、手荒に突っ込む男に喘いでやった。
不本意だったが、実際はけっこう気持ちよかったので三分の一くらいは本当の喘ぎだ。
「あ……ぁんっ」
「嘘っぽい喘ぎ声はやめようヨ。不愉快だ」
───何だこいつは。
訝しがって喘ぐ演技をやめると、途端にものすごい腕の力でうなじを壁に押し付けられ、首がのけ反った。手ではなく腕で首を押さえつけられている。その方が肩から動きを封じられるのだ。わりに頭は使えるらしい。
無骨者揃いの中でも特に目立つほど筋肉がないこの男のどこにそんな力があるんだろう。
首が苦しいのか執拗に中をうごめくものが快感なのか、自分でもちょっと分からない。
「麻績柴さん。あんたそんなに甘ったるい体臭しててよく自分でイヤにならないね。臭いよ」
「年間三百日以上は女を抱いてるからネ。白粉の匂いが染み付いちゃったんだヨ」
「僕が女に犯されてるみたいじゃん」
「おかしな頭だネェ。ま、嘘ったらしい演技されるより口減らずな方がおれは好きだけど」
「口減らずのなにが好きなの?」
「その口がいつになったら黙るかな、ってネ」
こいつこそおかしな男だった。
今まで抱かれてやった男達は、必ず最初に口での奉仕を強要してきた。少女のような赤い唇が艶めかしく舌を出して一物をしゃぶるのが快感らしいのだ。そのあとにキチガイじみた熱をもって何度も執拗に犯してくる。
だがこの頭のおかしい男は奉仕させるわけでもなく、入れたら入れたで興奮するでもない。
行為に執拗な熱がない代わりに、空気に執拗な気迫があった。
身体を壊すというよりも、精神を壊してやろうという風にさえ感じられる。
それは、自分がずっと待ち望んでいるものだった。
壊れた自分をさらに壊せる人間が本当にいるとしたら、この男に期待してみてもいい。
中に精液を出されると、首を押さえる腕が緩んだ。
最初の一戦で四半刻も自分の身体を犯し続けていた男は、数えても過去数人しかいない。
「けっこうそっちは強いね。しつこくてうざいくらい」
「しつこいって言われるのは嬉しいヨ」
やっぱり執拗な空気が絡みつく。
振り返ると、男は刀を腰に佩いたまま衣服を脱いでもいなかった。
「脱がないの、服。筋肉がついてなくて貧相なんだ?」
「嘘ったらしい淫売の前じゃ恥ずかしくて脱げないネ」
「よくそんなナヨい体格で女が抱けるよね。遊女が可哀想」
「女も抱いた事ない子供が何言ってるんだか」
言い返そうとしたが、今度は首根っこを掴まれて風呂場の床に這いつくばらせる。
顔を後ろに向けようとすると、後頭部を鷲掴みにされた。
「いちいち綺麗な顔見せてくれなくていいヨ。淫売なら尻だけあれば十分でしょ」
そう言ってから、また遠慮もなく後ろに一物を突っ込んでくる。
熱も荒い息遣いもないのに、中でうごめかせるものだけは相変わらず執拗だった。格段に一物が大きいわけじゃないが、技を巧みに使ってぞくっとする部分ばかり攻めるのだ。乱暴に扱う男達は興奮して抜き差しするだけで、技もへったくれもなくこの身体に溺れる。
だがこの男は、手荒に扱うくせに技はしっかり施すだけの余裕を持っていた。
「強姦する奴はいっぱいいたけど、あんたは異色だね。僕の身体じゃ感じない?」
「うん? 気持ちいいヨ。気持ちよすぎてこのまま殺したくなる」
「やっぱり異色だよ。ねぇ、後ろが好きなの? これ終わったら口でしてあげるよ」
「結構」
「あ、もしかしてビビってんの? 噛み付いたりしないよ」
「顔が綺麗なら中身が何だろうと手を出したくなるけどね、それは女の舌がいい」
「女だと思ってればいいじゃん。終わったらやらせてよ」
ご勝手に、とかいうやる気のない返事を聞きながら、巧みに内部の性感帯を突いてくる男へ少しだけ喘いだ。本当に喘いだのは初めてかもしれない。
大袈裟な声は出なかった。
熱を帯びてくる自分の身体を感じ、相手の動きにつられて息が上がるだけだ。
ぬるぬるした蛇の頭に犯されているみたいだった。
結局そのあとも後ろから犯され、体位は変えても向かい合っては絶対しなかった。
口で奉仕しながら挑発的に男を見上げてみると、苦痛と快感なんてものは思った通りその顔になく、乱暴に髪を掴まれて喉に突き立てられる。奥まで三度往復して、掴まれた髪を後ろに引っ張られた。
口から出る男の一物に吸い付くようにして、出すものを絞り取ってやろうと思った。
だが一滴も出さずに口から引き剥がし、顔にぶちまけてきたのだ。
一物の粘り強さは稀に見ないほどしつこかった。
さっきとは別の意味で遊女が可哀想だ。
こんなしつこい男を相手にしていたんじゃ、身がもたないんじゃないかと思う。
「そうしてると女に見えるヨ。顔が一層綺麗に見える」
「だから言ったじゃん。実はほんとにビビってたんでしょ」
「まだ減らず口が黙らないネェ。ちょっと計算外だったヨ」
「こっちも予定外だよ。こんなに粘られると思わなかった。もう朝になっちゃったじゃん」
「眠いなら寝ていいヨ」
「やだ。あと半刻だけしようよ。あんたは嫌いだけど上手いからもっとしたい」
「それは光栄なことで」
お互いに利害が一致している。
相手が折れるのを待ち続けていたのだ。
だが、自分もこの男も一向に折れる気配がない。
相変わらず犬のように這いつくばらせるので、ワン、と鳴いてみた。
その瞬間、目の前に刀が突き立てられる。今では滅多に使われない直刀だった。
「さっき塀に登ってた夜盗の手首を斬っちゃってネ。脂と血、掃除してくれない?」
てらてらと光る血糊がついている。
刀を掃っても残ってしまうのは仕方ないことだ。
「いいけど揺らさないでよ。噛み付かなかったんだからそれぐらい聞いてくれるでしょ」
「もちろん」
刃の表面を舐めていると、背後から妙な気配が伝わってきた。
尻に入れられているものがぴくりと動き、少しだけ痙攣する。
刀を舐める行為に興奮したのかと思った。
男はまだ放出してない一物を引き抜くと、床に突き立ててある自分の刀を抜く。
「おいくら?」
南蛮物らしい鞘に刀を収めながら、額の鉢巻をほどいていた。
最中はまったく汗をかいていなかったのに、うっすらと汗が滲み出ている。
「二十両」
「朝飯の前に渡す」
よく喋る男が、言葉少なにそう言って風呂場を出て行った。
狐につままれたような気分だった。
身体を洗おうと水に手を伸ばした時、風呂場の外で押し殺した喘ぎ声がする。
窓枠からそっと覗いてみると、今出て行った男の背中が見えた。
井戸のそばで吐いているのだ。
吐くほど嫌なんだったら、なんでわざわざ自分を抱いたのだろう。
変な男だと思ったが、これであの男には勝ったということになるかもしれない。
そう考えると気分がよかった。
有り得ない金額をふっかけたのに、嫌な顔ひとつしなかった頭のおかしな男。
同室の男もこれくらい技と憎たらしさがあったらいいのに、とひそかに思う。
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