ゆ き


五、


 ◆圭祐──1697年・初春◆


「気持ちよかった?」
「最高だったぜ……。もう一回やりてぇな」
「いいよ。今日が最後だから何でもしてあげる」

 見飽きた男の一物を手に取り、自らの中心に当てて身体を沈めていった。深呼吸が大事なのだ。力を抜き、身体中の穴という穴を広げるつもりで息を吐く。すんなりと収まった。
 半年くらい前はこの男の一物が一番きつくて痛かったのに、今では物足りなささえ感じられる。
 なんで満足させてくれないんだよ。
 そんなことを思いながら、息を吸って身体に力を入れた。

「くっ……いい感じだ……。こんな上等の娼夫を手放すのが惜しいぜまったく……」
「本所は僕とお役人さんがおいしいことしてるなんて知らないんだもんね」
「そうだ、お前が揉め事起こせばもうちっと楽しめるぜ……あぁ、腰の動きがたまらねぇ」

 元から赤ら顔の男がさらに顔を赤くして興奮し、腰を掴んで揺さぶってくる。手の甲まで生えた体毛が気持ち悪い。濃い胸毛に手を滑らせ、これを引き毟ってやれたらと思ったが、牢屋も今日で終わりだ。
 こんな空気のまずい場所なんか、一刻でも早く出るに越したことはない。
 揉め事を起こさず、こいつらが言う「良い子」とやらを学んで一年も耐えてきたのだ。
 無駄にしてたまるか。

「くぅっ…………おぉぉぉおう!」

 阿呆みたいな咆哮を上げて中で果てる男を見下ろし、自分の精液を男の腹にぶちまけた。

「ごめんね、田沼さん。腹の上に出しちゃった」

 上に乗ってるんだからそこに出すのは当たり前だ。
 なのに以前はそれだけで殴られ、綺麗に舐め取れと髪を掴まれた。
 今はそんなことをされる必要もない。言われる前に実行すればいいだけ。
 毛が渦巻いている男の臍に舌を差し込み、回りに飛び散った自分の体液を舐め取っていく。
 いつからか、これは毎日出される粥だと思うことにした。まずくてどろどろしていて、粘っこい。まずいものはみんなここの食事に例え、男の腹を舐め回した。
 たまに顔にかけられる小便は、竹筒に入った水だ。
 そう思えば何でもできる。
 潤んだ目で見上げる自分がそんなことを考えているのを、この男も含めた六人はまったく知らないんだろう。

(大人ってバカだよな)

 最後の一滴を舐め取ると、自然に顔から笑みがこぼれた。
 涙なんかもうこぼれやしない。
 泣いてみせるのはしょっちゅうだったが、本当は笑っているのだ。
 弛緩して伸びきった男の服から刑期中の手当てと男の財布を取り、支給された質素な着物を着て、開け放たれた檻の間を潜った。

「楽しい勉強を一年間も教えてくれてありがとね。こんなところで職業が身についたのも、みーんなあんた達のおかげだよ」


 牢獄の外に出ると、桜はもう散ったあとだった。
 掠め取ってきた財布と手当ての中身を開けると、大した金は入ってない。
 刀を買いたかった。
 それから剣術の腕も磨きたい。
 竹刀を振っていた頃なんか覚えてやしないのだから、この際一から真剣を学ぶことに決めた。





 ◆ゆき──1697年・仲秋◆


 半年近く剣術を教えてくれた男は、片目がなかった。
 片目がないのを独眼竜というらしい。
 竜でも鯉でもいいが、眼帯の下の傷を舐めるのが稽古のあとの楽しみだった。
 傷を舐めると金をくれるのだ。

「ぼこぼこしてて気持ちいいな。目玉はないんだっけ?」
「ある。が、瞼が開かないから無いも同然だ」
「片目見えないのに、先生の刀さばきはすごいよね」
「お前のような餓鬼にはまだ俺の剣は分からん。奥義を極めたくらいで軽口を叩くな」

 ぶっきらぼうにむかつくことを言うのが、この男の嫌いなところだった。
 感じるように舐めてやってるのに、うんともすんとも反応がない。
 それでも金さえくれれば文句を口に出すことはしなかった。

「ねぇ先生。あとどれくらい奥義あるの?」
「今日の一手が最後だ。半年で極めた事は褒めてやる」

 ついさっき教えてもらって修得した奥義が最後。
 あんなのが最後なのかと思うと、習う人を間違えたのかもしれない。
 もしくは自分の腕がかなり上達したということか。
 男の刀さばきは、つい見惚れて放心してしまうくらい鮮やかなものだった。
 少しでもそれを得られたのなら、自分の剣術もまんざらでもないんだろう。

「じゃあさ、教えてくれたお礼に口でしてあげるよ。先生の」
「餓鬼を抱く趣味も奉仕させる趣味もない。剣の腕がついたと思うなら、とっとと消えろ」

 今まで自分の容姿を気に入らなかった男はいないのに、この男だけは手を出してこなかった。不能なのかもしれないと思うと、あまりにも可哀想で面白くて、潰れた片目を思いっきり舐めてやりたくなった。
 だが教えてもらうことがなくなった今、それをする義理もない。

 半年前に買った刀を鞘から抜き、手に馴染む柄を握って刃の光具合を確かめた。
 すでに何人か人を斬った刀だ。
 銘に『白水』と彫ってあるのを店で見た時、咄嗟に思い浮かんだのは粥に例えた白い精液だった。自分の刀にするならこれしかないと、ありったけの金を払って買った。
 修得したらそうしてやろうと思っていたことがある。

 それを実現する時が、きた。

「先生。僕に名前を付けてくれない?」

 意外なことを言われたと感じたらしく、男は片目をちろりと上げた。

「名前なんか自分で付ければいいだろう」
「先生に付けて欲しいんだよ。自分の名前を忘れちゃったんだ。ねぇ、なんかいい名前付けて」

 草の生い茂った地に座っている男の正面に立ち、答えてくれるのを待った。
 冷たい秋風が吹く。
 ススキがさわさわと揺れていた。


「ゆき」

 男の声が小さすぎて風に消される。

「なに?」
「ゆき、と名乗れ」
「どういう意味で付けてくれたの?」
「肌が雪のように白い。灰の色をした空から降る、結晶でできた美しい花だ」
「それで“ゆき”ね。いい名前じゃない」
「儚く脆い、泡沫の花の名だ。偽物の花ともいう」
「すごく気に入ったよ。名づけてくれてありがとう、双月先生」

 白水を閃かせた。
 肉の感触が伝わってくる。
 身体の奥に捩じり込まれてきた、数々の男達の肉棒のような感触。
 それをまとめて切り取ってやった。

 双月の首が、ごろりと草むらの中に転がり落ちる。
 ススキが赤い草に変わった。

 赤いものは不愉快で好きだ。
 見るものを興奮させ、自分に流れる血を引っかき回して狂わせる。
 いつか手に載せられた赤い鶴の折り紙は、とっくの昔に踏み潰してどこかへ飛んでいった。
 朱に染まったススキも、やがて風に吹かれて飛んでいくのだろう。




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