ゆ き
四、
◆隆──1699年・初夏ノ弐◆
「かざぐるまなんか買ってきたんですか? しかも本条様まで……」
衛明館に戻ると、問題の保智が廊下の手前を掃除していた。
「保智が掃除するなんてめずらしいね。明日は雨かもしれないなあ」
竹箒で掃いているのは土らしかった。どうして廊下に土があるんだろうと思ったが、司が脇に腰を屈めて何かを拾ってみせる。植木用の鉢だった。
「植木、割れちゃったのか」
「違いますよ。割られたんです、下谷に」
不機嫌な声でぶっきらぼうに言う保智を、ついじっと見てしまった。
「割られたって……一体どうしたんだい」
「どうしたもこうしたも、いきなり俺めがけて外からがちゃーんとやられたんですよっ」
夏の日中は衛明館の廊下の窓を全開にしてある。そこから放り込まれたらしい。
司と顔を見合わせ、足元に散らばっている朝顔の蔓をつまんだ。
「朝顔が可哀想だねえ。下谷はどこに行ったんだい?」
「知りません」
箒を不器用に動かして土を外に払っている。
司は欠けた鉢を隅に置いて、一歩前へ出た。
「鉢を投げられるような事をした覚えは?」
途端に箒を動かす手がぴたっと止まり、保智の不機嫌な顔が一層不機嫌になった。入隊して以来、丸一日上機嫌でいることが少ない男なのだ。短気なだけで、根は悪くもなく態度も見た目は誤解を招くが真面目だった。
「鉢を投げられるような諍いがあったのか?」
司の落ち着いた声がもう一度訊くと、保智はふてくされたように床を向く。
「……部屋で、ちょっと口論しただけです」
「どんな口論があったのか言いたくはないか」
「……言えません」
司がこちらに軽く目配せして、保智の肩を叩いた。
「それならお前と下谷できちんと解決する事だ。相方に振り回されて短気に拍車をかけるなよ」
「振り回されてなんか……! あいつがですね……っ」
隆はその先を聞きたくてじっと見つめていると、保智は困惑したように年長二人を交互に見て頭をかき回す。司も同じように保智を見ていたらしかった。
「すみません……自分で解決します」
「まあまあ。とにかく、下谷を見かけたら教えてくれ。鉢は危ないから早めに片付けてね」
保智はぺこりと頭を下げてから、また土を掃い始めた。
「何を口論していたんだろうな」
「さあ。口論なんてどの班長同士もしょっちゅうやってますからね。甲斐なんて前の相方に毎日喧嘩ふっかけられてたじゃないですか」
「あれは麻績柴がうまく躱してたからまだよかったが、能醍と下谷の場合は能醍が極度の短気質な上に下谷があの態度だからな」
「双方に偏った性格の欠点がありますねえ」
「欠点がお互いに見えてれば問題ない」
「先が思いやられるなあ、うちの隊は。いま大詰めの遠征なんかあったらおしまいな気がしますよ」
「そこは寒河江の腕の見せ所だ。頑張れよ」
司はかざぐるまを振って広間の方へ歩いていった。
下谷は多分広間にはいないだろうと思い、我躯斬龍の方へ足を向ける。
我躯斬龍にはいなかった。
代わりに、皓司とその配下の班長二人がそこを使っている。
「何してるんだい、皓司。稽古?」
「お帰りなさい。なんですか、そのかざぐるまと朝顔の蔓は」
我躯斬龍の外に立っていた皓司が振り返り、手元を見て冷ややかな目を向けた。
軽蔑しているわけではなく、元がこういう視線を寄越す人間なので気にならない。軽蔑する時はそれで区別のつけ難い目をする男ではあったが。
「かざぐるまってそんなに変かな。朝顔の鉢が割れちゃったんで、植え替えようと思ってね」
「下谷なら知りませんよ。部屋にいるのではないですか」
言わなくても分かるところが皓司の鋭いところだった。物事を見ていないような素振りで実はしっかり見ているが、手を貸してやらないのも皓司の性格だ。
それはそれでいいと思う。
「昼間はあまり見かけないから、やっぱり部屋にいるのかもしれないな」
朝顔の花がしぼんできてしまった。植え替えればまだ大丈夫だろう。
我躯斬龍の中で、刀がぶつかり合う音がした。
「今年の新人は順調かい?」
「順調ではありますが大した腕でもありません。貴方のところに下谷が行かなければ、上杉の代わりに頂きたかった」
「うちの班長が指名されちゃったからねえ。ところで、甲斐が不調みたいだけど」
我躯斬龍へ目を向けると、上杉の刀を弾いた甲斐が息を切らせていた。
珍しいこともあるんだなと驚く。
だが、珍しいのではなくて本当に不調だったらしい。
「二年前の胃の傷が開いたんですよ」
「御頭とのあれか。でも何で二年も経ってから開いたのかな」
「傷を負わせた相手がしつこい性質ですから、傷もしつこく治らないのでしょう」
隠密衆に入る前から御頭と旧知である皓司は、さらりと言ってのけて我躯斬龍内の二人を見た。御頭がここにいても平然と言っただろうな、とつい苦笑する。
「ずいぶん荒治療だね」
「療養を与えるほど慈悲深い性格ではありませんから」
「甲斐も負けず嫌いだからなあ」
「往生際が悪いだけです。痛いなら痛いと言えばいいものを」
「言っても荒治療するんだろう?」
「当然です。班長同士がうまくやっていただかなくては私の面目が立ちませんからね」
面目が立たない、と皓司は言った。
皓司は冷めたようでいて、本質のところは野心家なのだ。
自分はそこまで考える余裕がないと思う。
まず第一に、個人の状態が気になってしまう。
個人個人の状態がよくなければ、つなぎ合わせたところで隙間だらけだ。
今の班長二人と自分の関係は、そんな曖昧で脆い場所にあった。
幹部がこれでは、それこそ御頭に面目が立たないというものだろう。
それから下谷の部屋に行ってみたが、そこにも彼はいなかった。
保智が余っている鉢に土を入れ直していたので、木の枝を折って朝顔の蔓を巻きつけた。
「どうしても下谷とうまくやれなかったら、御頭に相談してみるよ」
鉢を庭に出してからそう言うと、保智は困ったような顔で手についた土を払う。
「うまくやろうとは思ってるんですが……全然噛みあわなくて……」
「さっき本条さんと話してたんだけどね、下谷は何か嘘をついてるような所がありそうだな」
「嘘ですか……? そんなこと言ってるようには感じませんけど」
「いや。口で嘘を言ってるんじゃなくて、人間そのものが嘘のような感じがするんだよ」
保智は心理的な話が苦手で、困る時の癖のように頭をかき回して目を逸らした。
思い当たる節はないらしく、渋面を作ったまま見上げてくる。
「俺にはあいつが分かりません。夜中に色目使ってくるんですよ……。それが口論の原因です」
なるほど、そういう事だったのか。
保智の生真面目な性格ならその手はさぞ困るだろうと同情した。同室なのだから仕方ないとはいえ、部屋を分けようにも今はまだ新人が入ったばかりで、一室も空き部屋がない。
皓司が言っていたことを思い出し、期待半分で訊いてみた。
「甲斐だったら、下谷とうまくやれると思うかい?」
幼馴染の性格を知っている保智なら、その答えはしっかりと返ってくるはずだ。
案の定、無愛想な顔が正面からぶつかってきた。
「絶対無理です。殺し合いになりますよ」
「下谷はそんなにひどいのか……」
「ひどいっていうか、とにかくイライラするんですよ。甲斐はそういう相手に敏感だから惨状になるのは必須です」
甲斐の幼馴染なだけあって、いい面も悪い面もよく知っていた。
それでは打つ手がない。
やはり自分がなんとかしなくてはならないんだろうと、朝顔のしぼんだ房を見つめた。
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