十一. 翌朝、誰もが薄々と感づいていた一騒動が起こった。皆、自分に降りかからない災難は身振り手振りも大仰にして、瞬く間に広めてしまう無責任揃いである。 「聞いたか!? 御頭が神宮に夜這いしようとしたって話」 「しようとしてたんじゃなくて、もうしてたんじゃねえの?」 「なんでも襲う前から上半身裸だったってよ!」 「俺は素っ裸だったって聞いたぞ!?」 「ヤってるとこ見たって誰か言ってたぜ」 隊士達が井戸端会議をしているのは一階。それも浄次の部屋の前だった。真相を知りたくて、出てくるのを待っているのだ。真相を知りたいというよりは、御頭の反応を見てネタを取りたいだけであった。 「神宮が泣き叫んでたとか何とか」 「カマは嫌いだが、少し同情するな……」 その時、浄次の部屋からぼすん、という音がし、襖が廊下に倒れてくる。隊士たちは一斉に避け、倒れた襖の風を受けて涼しそうな顔をした。 「尾ひれを付けてべらべらと勝手な事をほざくな!!」 襖を蹴り倒して出てきた浄次は、額に青筋を浮かべて隊士たちを一喝する。尋常じゃないものが全身から噴き出していた。一人が手を上げて前に乗り出す。 「はい質問です。じゃあ尾ひれのない部分はどこまでなんですか?」 「元からそんなものはないっ。大体だな、夜這いされたのは俺の方だ」 「夜這いしたのは本当だ、と」 「何を聞いてるんだ貴様! 俺は今、夜這いされたのは俺の方だと言わなかったか!?」 「聞いてました。事実を隠すにはもってこいの口実でしょう」 「……何を言っても口実だと決め付けるつもりだな」 「だって、御頭がいきなり部屋に引っ張り込んで、騒いだらクビにするとか脅しかけて神宮に乱暴したって話ですよ。十分信憑性があります」 「…………」 一体どんな噂が広がっているのか、浄次はそれだけ聞いても卒倒しそうな気分だった。梓砂に弁解しておけと釘を刺したが、弁解どころかありもしない事を喋られている。梓砂の性格を考えれば読めそうなものだった。 浄次は倒した襖の上に膝をつき、両手を拳にして肩を震わせた。隊士たちは御頭が敗北している姿に満足したのか、ひとしきり笑って広間の方へ去っていく。冗談です、とは誰も言わなかった。 広間では、梓砂の巧妙な演技と悪知恵の働く男がコンビで噂を大きくしている。 「つぐつぐが裸になって野獣みたいな息遣いで圧し掛かってきてね。そしたらたまたま深川くんが入ってきたんだけど、彼ったら驚いて逃げちゃって、そのあと御頭に超ヒドイことされたのぉ〜! それで甲斐くんに助けてもらおうと思ったのに、いないんだもぉん。あたし怖くってそのまま寝ちゃって、さっき一緒にお風呂入って見てもらったんだけど」 「腫れちゃっててネェ。あんなになるまで乱暴するなんて、御頭も相当欲求不満かナ」 梓砂は甲斐に寄りかかって沈痛な表情を作り、甲斐がそれを宥めるように肩を抱いた。先程起きてきた宏幸が甲斐の後ろで茶を啜り、まわりに聞こえないようにそっと耳打ちする。 「……アホらしいことをまぁぽんぽんと、よく思いつくな」 「余計なことは喋らないようにネ」 「言われんでも分かってら。最近退屈してたし」 越後屋の囁きのような会話をし、甲斐と宏幸は互いにふっと笑ってまた背中を合わせた。 突然、梓砂の回りにできた野次の外で何かが割れる音がする。振り返ると、手で湯飲みを握りつぶした冴希が立ち上がって梓砂を見ていた。 「甲斐くんと一緒に風呂やて……!?」 冴希は破片を畳にばら撒いて、梓砂に指を突きつける。 「あんた昨日から好かへん思てたけど、ほんま好かへんわ! チチもなさそうな体で甲斐くんと風呂入ろうやなんて、五十年早いんとちゃうか!?」 梓砂が男だと知らない冴希は、滑稽なほど広間で浮いていた。誰か教えてやれよ、という囁きがあちこちで飛ぶが、面白くなりそうなことは潰さずに見届ける主義の隊士たちは結局黙っていた。 梓砂は甲斐に寄り添うと、冴希をちらりと横目で見て溜息をつく。 「オトコに襲われる危険がない子は呑気でいいわぁ〜。あたしなんか身も心もズッタズタぁ〜」 「ジョージに襲われたかて甲斐くんに泣きつくことないやろ!」 「あたしのダーリンだもん、慰めてもらってあったりまえじゃなーい」 「甲斐くんが夜中に遊郭行っとるってことは、あんたなんか相手にならんちゅうことやないんか」 「男にとって遊びは遊び、女は女。ねっ、ダーリン。それよりあずさ、なんかちょっと痛くなってきたみたい〜」 梓砂が猫なで声で甘えた時、廊下からどすどすと足音がして浄次が入ってきた。 またしても手には刀が握られている。 「貴様、いい加減なことを吹聴するな! たたっ斬るぞ!」 「こんなカンジで昨日あたしのこと襲ってきたの〜」 「襲っとらん!!」 「ていうかつぐつぐ〜ぅ。あずさ昨日のことは許してあげるからぁー、これからはもっと優しくしてね?」 「だっ…………」 「うおーっ、やっぱ御頭って衆道だったんですか!」 「違うっ! 夜這いをかけてきたのは神宮の……」 「夜這いの話は本物だ! みんなに伝えろ、夜這いは本物だ!」 「俺がしたんじゃな……」 「カマ野郎に手を出すなんて、御頭もヤキが回ってたんスか!?」 「何遍違うと言ったら……」 浄次の弁解などかき消され、一気に広間が喚声に包まれた。何人かが廊下に駆け出して東西南北それぞれの方向に叫ぶ。聞きつけた隊士がバタバタと広間に出入りし、石化して青ざめた浄次と昨日のことをまだでっち上げて喋っている梓砂を見て、さらに話を広げていった。 衛明館に響き渡る、喚声とも歓声ともつかぬ声を聞きながら、冴希は目を丸くして突っ立っていた。深慈郎が風呂掃除を終えて広間に入ってくる。同僚になったばかりの冴希を見つけると、駆け回る隊士を掻い潜ってそばに近づいた。 「お、御頭が神宮さんに手を出したって聞いたんだけど……」 「……カマ野郎」 「えっ!? ぼぼぼ僕おかまじゃないですよっ!」 ぼそりと呟いた冴希に両手を翳して慌てる。冴希はその手を掴むと、深慈郎にずいっと詰め寄って壁に追い込み、異常な目で睨みつけた。 「あの神宮いう子、男なんか?」 深慈郎は胸倉を掴まれ、何を今さら言うのだろうと思った。そしてはたと気付く。 「そっか、椋鳥さんはまだ神宮さんと会ったことなかったんですよね」 「ほんまにあの色白で黄色い声のちんちくりんが男?」 「です。年は椋鳥さんと同じだったかなー」 冴希は、甲斐と宏幸に茶を注ぎながら笑っている梓砂を凝視して唸った。 (……むっちゃ可愛いやん……! ほんまに下のもん付いとるんかいな……) 細い手首で急須を傾け、宏幸に何か言って抱きついている。逃げる宏幸を追いかけながら、梓砂の視線が冴希のそれとぶつかった。梓砂が軽く片目を瞑って手をひらひらと振る。 (…………うちより可愛すぎて、なんか腹立つわ) 冴希は深慈郎の胸倉に力を込め、一本背負いで畳に叩き落として広間を出て行った。チカチカする天井を見上げ、深慈郎はそばで放心している浄次と異口同音に呟く。 「なんでこんな目に遭うんだ……」 |
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