十.


「なーんかつまんなぁい。一緒に寝てくれそうなのは隆だけど、今日は実家に帰っちゃったし〜」

 廊下をぽてぽてと歩きながら、梓砂はまだ夜這い先を考えていた。
 子の刻を回った今、風呂場を覗いても人影はなく、皆寝静まっている。普段はこれほど早寝な隊士たちではなかったが、梓砂が来て異色の嵐を起こしてくれたおかげで、誰も彼も心身ともに疲労して床についていた。

「ただでさえイケメンが少ないっていうのに、これ以上選択肢ないじゃな〜い」

 簪をつまんで一本抜き、手で弄びながら一人文句を言って歩く。梓砂が通り過ぎていった部屋の襖の向こうで、隊士たちが襖に耳を当てて足音を確認していた。

「一階はつぐつぐでしょ、二階はともぴーでしょ、あと……」

 指を折り数えていくうちに、梓砂の足がぴたりと止まった。ぐっと簪が握られる。

「そうだわ。一緒に寝てくれそうなイケメンがあと一人いるじゃない!」

 暗い廊下でぴょんぴょん飛び跳ね、簪を差して襦袢の帯を丁寧に結び直した。襦袢の裾を翻し、二階の南側に向かって一目散に走っていく。

 梓砂が去ったあと、あちこちで部屋の襖が開いた。そこから申し合わせたように頭が現れて廊下を伺い、互いの顔を見合わせる。

「……立ち止まって何してたんだ、神宮のやつ」
「おい、“ともぴー”って能醍さんのことだろ。さっきのアホみたいな悲鳴、班長じゃないのか」
「不謹慎なこと言うな。襲われたんならそれでいい、とにかく明朝まで我が身の無事を祈ろう」
「そ、そうだな……明日の朝は何か凄まじいことが起こってるかも知れないが」
「ああ、俺もそんな予感がする」

 隊士たちは互いに目配せをすると、再びそっと襖を閉めて部屋に引っ込んだ。
 襖を閉めた男がおもむろに振り返って、急に神妙な顔をする。

「……ところでお前ら、池面って知ってるか?」
「いけめん?」
「知らないな。どこだそれ」
「池面があと一人って言ってたぜ。神宮が」
「池面。……いったい何者なんだ……」



 南側の一番奥から二番目、襖に朱墨で「卍」と落書きされた部屋がある。その襖をそっと開けると、目の前に箪笥の横腹が立ち塞がった。仕切られている箪笥だ。刀で削ったのか、『左・高井、右・麻績柴』と汚い字面で彫ってある。

「まだ仕切ってるんだぁ」
「……んだよ」

 左の方から寝言が聞こえた。宏幸が布団を撥ね退けて一回転している。梓砂は呆れながら、箪笥の右側へするりと体を滑り込ませた。

「だ・あ・りぃ〜ん。一緒に寝ましょ……」

 部屋の中央へ手を伸ばしたが、そこには甲斐も布団もなく、梓砂はきょろきょろと見渡す。

「甲斐くーん?」

 箪笥の引き出しを開けて呼びかけた。服がごそりと入っていて、興味深々に少し漁ってみる。今度は押し入れを開けて呼びかけてみたが、やはり甲斐はいなかった。梓砂は箪笥の向こう側へ行って宏幸の上に跨り、顔をぺちぺちと叩いて起こした。

「ゆっきぃ、あたしのダーリンどこ行っちゃったの?」
「打輪……? 知らねえそんなの……」

 宏幸は寝ぼけたまま体を捻って梓砂を落とす。

「甲斐くんはどこ? ねぇってばー。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇゆっきぃ〜っ」
「ねーねーねーねーうるせぇな、ったく! 自分で探せ!」

 夜着を剥ぎ取られそうな勢いで梓砂に揺すられ、宏幸は布団ごと梓砂を突き飛ばして上体を起こした。躱した梓砂は後ろに飛んでいった掛け布団を掴んで自分の肩に羽織り、宏幸の布団にずいっと乗っかって詰め寄る。

「探したけどいないんだもぉーん。実家に帰っちゃったの〜?」
「そりゃ隆さんだろ。とにかくあいつなんか知らねんだよ。早く出てけ」
「じゃあ、あずさ今日はここで寝る。甲斐くんが帰ってくるまでゆっきーと寝る〜」
「俺が嫌だっつの!」
「ゆっきーのことはあんまスキじゃないけど、一緒に寝るくらいなら許したげるわ」
「許してくれんでいいからさっさと行く! 隣で寝ろ、隣」

 宏幸が自棄になって箪笥を指差すと、梓砂は意外なほどあっさりと納得して引き下がった。

「そうね、甲斐くんの布団に包まって待つのもアリね」

 宏幸にはその心理がさっぱり理解できなかったが、とにかく梓砂と一緒に寝るのだけは逃れられ、掛け布団を奪い返してフテ寝する。梓砂はまた右の部屋へ行き、弾むような足取りで押し入れから甲斐の布団を引っ張り出してきちんと敷布団を均した。

「なんかぁ〜、初夜を待つ新妻ってカンジで緊張しちゃ〜う!」

 隣で宏幸が鳥肌を立てたのも気にせず、梓砂はいそいそと掛け布団を被って横になる。

「早く帰ってこないかしらん」

 しかし待てども待てども甲斐は帰って来ず、梓砂はそのまま寝てしまった。



 明け方。
 卍の襖を開けて甲斐が戻ると、そこで目にしたものは自分の布団に梓砂がくるんと丸まって寝ている光景だった。掛け布団が部屋の端まで飛ばされている。隣を伺うと、宏幸が夢にうなされて唇を噛み締めていた。あの顔は相当な夢だ。

「どうしたものかネェ」

 ひとまず自分の部屋に入って刀を置くと、梓砂が寝言で甲斐の名前を呼ぶ。宏幸が聞いたら身悶えして逃げ出しそうな寝言だったが、聞き流した。上着を脱ぎながら何気なく梓砂を見下ろすと、ふとその寝相がリスのように見え、甲斐は微笑する。

「ま、こっちでいいかナ」

 着替えて掛け布団を取り、梓砂の上からそっと掛けた。座布団を半分に折って頭の下に入れ、布団の脇にごろりと横たわる。体に染み付いた白粉の匂いと梓砂から漂う花の香りに、甲斐はまた少し笑って目を閉じた。


 衛明館に怒濤の朝がやってくるのは、あと二時間。
 浄次は眠れぬまま、白んでいく窓の外を見て放心していた。



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