十二.


 出羽に着くのが夜中になると嫌なので、梓砂は昼前に江戸を立つと言った。衛明館の外まで見送りに出てきた者は数十人。梓砂に面白いネタをもらったお礼とばかりに、「彼女」を毛嫌いしていた隊士までが笑顔で並んでいた。

「神宮、ネタをありがとな」

 隊士の一人が梓砂と距離を置いて言う。見送りはしても近づきたくないのは変わらないらしい。

「つぐつぐはまだ広間でいじけてるわけぇ?」
「そういや朝飯食ってなかったな、御頭」

 隊士たちが顔を見合わせていると、衛明館の中から圭祐がぱたぱたと走ってきて、梓砂に小さな包みを渡した。それを受け取った梓砂は、人差し指を片頬に当てて首を傾げる。

「これなぁに、お圭ちゃん?」
「炊き込みご飯です」
「お圭ちゃんが作ったの?」

 梓砂が包みを見て驚くと、圭祐は笑って首を振った。

「貴嶺さんからですよ。今朝作ったと言ってました。早起きして眠いので、見送りに行けないから持ってってくれと頼まれたんです」
「うっそぉ! 朝ニガテなさーちゃんがあたしの為に早起きして作ってくれたのぉー!? きゃーっ、あずさ超ハッピ〜ッ!」
「また遊びに来て下さいね」
「もっちろんじゃな〜い! っていうかお圭ちゃん、ともぴーを甘やかしてちゃダメよん」
「え?」

 圭祐が意味を測り兼ねて聞き返すと、梓砂は圭祐の耳に顔を寄せて何か囁く。途端に圭祐の顔が赤くなり、梓砂はくすっと笑って包みを大事そうに抱えた。

「さーちゃんによろしくね。みんなも、今度あたしが来る時まで死んじゃったらダメよ〜」

 隊士たちは苦笑して片手を上げ、余計なこと言わずに早く行けと手を振る。そんなにすぐ死んでたまるか、という気持ちは皆同じだった。冴希も見送りに来ていたが、まだ男だと納得いかないような顔で小柄な梓砂を観察していた。

「オカマっちゅうんは、簪一本まで念入りなんやな」

 簪など祝い行事以外に付けたこともなく、艶のいい梓砂の髪を見て呟く。袖を振りながら裏門を出て行く梓砂を、隊士たちは安堵と感謝の気持ちで眺めた。
 考えていることはただ一つ。

(これで当分、御頭の弱味は握ったも同然……)


 ぞろぞろと見送り集団が広間に戻ってくると、浄次の姿はなかった。深慈郎は庭まで覗いてから、縁側に座って煎餅を齧っている祇城に声をかける。

「御頭は?」
「さっき部屋に。具合が悪そうでした」

 祇城が土の付いていない方の手で煎餅を勧めてきたが、それを断って座敷へ戻った。手際よくお茶を振舞っている圭祐の隣に腰を下ろし、複雑な顔で広間を見渡す。

「御頭、大丈夫かな」
「ああ、うん」

 歯切れの悪い圭祐と目が合い、深慈郎はどうしたのかと目を瞬いた。圭祐は自分と深慈郎に茶を注いで座布団に座る。

「保くんもなんだか様子がおかしくて」
「ま、まさか神宮さんに夜這いされたとか……!?」
「そうみたい。朝から寝込んじゃってて、朝食運んだんだけど食べてなかったんだ」

 二人は梓砂の巻き起こしていった嵐の威力にようやく気付いて、同時に嘆息する。
 浄次のネタを茶請けにしながら腹を抱えている隊士たちは、そんなことにはお構いなしだった。
 梓砂が所構わずにぶらさげていった風鈴が鳴る。
 ともかくも、台風は去ったのだ。



 しばらくして、実家に戻っていた隆が帰ってきた。

「ただいま。梓砂ちゃんはもう帰っちゃったのかい?」
「殿下、殿下! 聞いて下さいよっ、御頭のネタ仕入れたんです」

 氷鷺隊の隊士が揃って膝を打ち、立ち上がって隆の手を引く。隆は家から持ってきた反物を落としてよろけ、それを拾いながら何か思い出したような顔をした。

「御頭といえばねえ、さっき江戸城の近くでご婦人が話してるのを盗み聞きしちゃったんだけど」

 反物を抱えて座ると、圭祐が湯呑みを差し出してくる。

「うちの御頭が衆道だとか噂が流れてるらしい」

 一瞬、広間が静まり返った。祇城が煎餅を割った音で我に返り、どっと哄笑が沸き起こる。隆は自分が妙なことを言ったのかと驚き、正面に座っている甲斐の顔を伺った。

「衆道がそんなにおかしいかなあ」
「衆道だと噂されている人の話題で持ち切りだったところでネ」
「そういえば御頭はどうしたんだい?」
「男の恋人が去って傷心中」

 そう言うなり、甲斐も隊士たちと腹を抱えて笑い出す。


 哄笑の止まない衛明館の片隅で、浄次は屈辱の笑い声にうなされながら耳を塞いでいた。
 今日も江戸は雲ひとつない晴天である。







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