八.


 その夜半のことである。

 浄次は風呂から出て着替え、さっさと布団に入って目を閉じた。昼間干した布団は、放置しすぎたせいで蒸していて熱かった。

(……今日も一日が終わったな)

 寝る前に年寄り臭いことを考える。御頭としての仕事が辛いわけじゃないが、今ひとつ自分の率いる隠密衆には何かが足りないような欠乏感を感じるのだ。特に、今日のような日は。

「奥村の件はどうなったんだ、まったく。神宮を諜報に回したのは失敗だったな……」

 厭でも部下の適性をしっかり見極めていなかった己に反省しなければならない。


 まだ父親が御頭をやっていた頃、浄次も衛明館を出入りしていた。次期御頭を引き継ぐ為、組織というものがどういうものか、自分の目で確かめろと再三言われていたからだ。御頭に対する隊士達の眼差しは畏敬の念を持ち、仕事がなくとも常に士気を放っていた。
 それがどうしたことか、自分の代になると怠慢な隊士ばかりが揃っている。先代の時から残っている隊士は両手の数に収まる程度で、ほとんどは戦死か辞職。
 なんという様だ、と浄次は布団を握り締めて天井を見上げた。
 少なくとも父親は自室で自分のように反省していたことなどない。浄次が見ていた限りでは、父は自分が統一している隠密衆に満足し、また自分が統一させた隠密衆だという自信しかなかったのだろうと思う。もっとも、父親は寝る前になると布団にごろりと横になって息子を隣に寝かせ、話している間に寝てしまう男でもあったが。

(父上の時のような統一性を引き出すには、何かが足りない……)

 考え出すとなかなか寝付けず、浄次は無理矢理目を瞑って寝ようと決めた。



 ぼんやりと意識が薄れてきた頃、蒸した布団の足元がすうっと風に撫でられたような気がした。夜着の上に何かが触れる。それはもぞもぞと足元から這い上がり、腰の辺りで一旦止まった。帯が緩んだことにも気付かず、腹部が楽になったと夢心地に溜息をつく。
 再びもぞもぞと上がってきたそれは、二つの平たいものを胸のところへ差し入れてきた。胸筋をなぞるように動き、次いでするりと両肩を撫でられる。

「超〜いいカ・ラ・ダ」
「……ぬぉぉぉおッ!!」

 耳元で囁かれた吐息混じりの生暖かい声に、浄次はカッと目を見開いて飛び起きた。瞬時に何かが肩に抱きつき、上半身を起こした浄次の膝の上に乗ったままくっついている。

「き………………」
「んもぉ、つぐつぐの肩って引き締まってて超イイ触り心地ぃ」
「貴様は何をやっとるんだ馬鹿者がーっ!」

 薄桃色の襦袢一枚を着た梓砂が、肩に抱きついて背中を撫で回していた。気付くと夜着が腰まで脱がされていて、上半身をむき出しにされている。

「だぁって〜、せっかく帰ってきたんだしぃ、今夜くらいしたっていいじゃなーい」
「何をだっ! 何をする気なんだ貴様は!」
「ヨ・バ・イよん」

 唇を近づけてきた梓砂の顔を手で押し返しながら、浄次は泡を食ったようにもがいて布団から出ようとした。突き飛ばして離れるつもりが、がっしりと首を両腕で抱きこまれていたので、畳に転がった梓砂に首を引っ張られて引き戻される。

 そこへ運悪く部屋の戸が開き、隊士の一人が立ち尽くしたままあんぐりと口を開けた。

「……な、何やってんですか、御頭……」
「何やっとるもなにも、こいつが」
「いやぁ〜んっ! あずさ襲われちゃうわ〜っ」

 それは俺の台詞だ、と怒鳴ろうとした浄次は、自分の体勢がどういうことになっているのか気付いていなかった。突き飛ばした梓砂は畳に仰向けになり、首を引っ張られた反動で浄次がその上に覆い被さるような体勢になっていたのだ。傍目には浄次が梓砂に襲い掛かっているように見える。
 あまつさえ、梓砂に緩められた帯は完全にほどけ、脱がされていた上半身はむき出しのまま。腰に夜着を引っ掛けただけの格好で梓砂に圧し掛かっている御頭を見た隊士は、開いた口が塞がらずに後退りしていった。

「お……俺、御頭だけはまともな人だと思ってたんですが……。まさかオカ……オカマに手を出す人だったなんて……」
「夜這いされたのは俺だぞ! 突き飛ばしたら引っ張られて……」
「すいません、俺すごく失望しましたーっ!」

 隊士は泣きそうな顔で廊下の壁に背をつけると、寝静まった館内を全速力で走っていく。浄次は梓砂に首を掴まれたまま、それでも追いかけようと必死に抵抗した。

「待て深川っ、これは誤解だ! 貴様、人の話を聞いてから走れ!」

 ようやく腕を振りほどいて廊下に出た頃には、真っ暗な闇だけがそこに取り残されていた。
 浄次は襖に手をついて力なく膝をつき、頭を垂れる。

「誤解されちゃったわねん、つぐつぐぅ〜」
「貴様のせいだろうが!」
「あたしは構わないもぉん。明日どんな噂が広まってるか、想像するだけでワクワクしちゃう〜!」

 びくっと浄次の肩が跳ねた。明日のことなど今は考えていなかったのだ。深川はベラベラと喋る方ではないが、同僚によく何かを相談をするタイプだった。そこから隊士達の間に話が広がるのは必須。最悪の場合、幹部にまで知れ渡る可能性も大いに有り得る。
 まずいことになったと浄次は蒼白になり、しばらくの間呆然と床を見つめていた。


「おい、貴様が弁解を……」

 浄次は諦めた表情で梓砂を振り返ったが、部屋の中はもぬけの殻だった。乱れた布団に夜着の帯がべろりと置かれ、自分は一体何をやっていたんだろうと脱力する。浄次の魂がひょろひょろと天井を通り抜けていった。

 しかし案ずるなかれ、天井を通り抜けるのは浄次の魂だけでない。
 梓砂は足音も立てずに二階に上がっていき、次の標的の部屋へ忍び込んでいった。



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