七.


 城下をふらふらと遊び歩き、衛明館に大量の風鈴を買ってきて飾りつけた梓砂は、地方の諜報任務の為に一泊しか許可をされなかったので───そんな命令を聞く奴ではなかったが、今回は一泊予定だったらしい───夕飯は江戸らしいものを食べたいとリクエストした。

「ディナーは江戸っぽいものでね、広間でみんなで食べたいわぁ〜」

 みんなというのは衛明館に住み着いている隊士も含めてだ。梓砂はやかましい食事の席を好む。寂しいのではなく、お祭り騒ぎが好きなだけだった。隊士揃えば酒宴。それを見越している。


 事実、酒が入ると気のいい人間に出来上がる者が多く、酔っ払って場を台無しにする奴はほとんどいなかった。梓砂の性癖を煙たがっていた隊士までが『彼女』に酌を所望し、脱げ脱げ、と浄次が頭を痛めるような野次を飛ばす。どこでそんな柄物を見つけてきたのか、ド派手な浴衣姿で気前よく隊士に酌をして回る梓砂は、酔っ払った隊士に完全に女として扱われていた。当然そのように扱われるのが梓砂の望むところである。

「やっだもぉ〜っ。あたしのヒップに手を付けようだなんて百万光年早いわよん」

 恐ろしい事をいう本人も本人だが、オカマの尻に手を出そうとした隊士も相当回っていた。

「いいじゃん、ちょっとだけさぁ」
「じゃあねぇ、腹芸で笑わせてくれたら一回だけね」
「腹芸! よしお前ら、一発芸やるぞ!」

 龍華隊と氷鷺隊の隊士はそんな事は間違っても行わない。やるのは虎卍隊のみだ。

「腹芸ならわいに任せや!」

 隊を代表して弥勒が立ち上がると、梓砂は盃を投げつけて浄次にぴたっと寄り添う。酒を飲もうとしていた浄次の手にあった盃だった。浄次は呆然と手元を見て絶句したが、お構いなしに梓砂はその腕に抱きつく。

「モンチーの腹芸なんか見せられたら眼球が腐っちゃうじゃない。ねーつぐつぐぅ〜」
「誰がモンチーや!」
「ていうか、つぐつぐの引き締まった腹筋芸が見たぁい!」
「俺が腹芸なんぞやるか!」

 配膳に来た侍女から盃を受け取ると、浄次は銚子を取って溢れんばかりに注ぎ、一気に呷った。お酌ならあたしが、と言う梓砂を追いやり、塩焼きの鮎を箸でがばがばと解体し始める。昼間、白紙で騙された一件をまだ根に持っているのだ。報告は一向に聞けず、押しても引いても梓砂の口からはいらない事ばかりが返ってくる。明日の朝までには口を割らせてやろうと酒に誓った。


 腹芸を始めたら尻の約束などすっかり忘れ、隊士達の芸はエスカレートしていった。梓砂は銚子を持って沙霧の元へ行き、手馴れた仕草で浴衣の裾を捌いて隣に座る。

「さーちゃん、またお酌したげるっ」
「お願いしよう」

 沙霧は、盃ならぬ湯呑みの一回り大きな器で酒を飲んでいた。ほかの者も同様で、盃でちびちびと飲むのは浄次だけである。湯呑みもどきに並々と注ぐと、一息に飲み干してからもう一度器を差し出した。

「いい飲みっぷりね〜っ! やっぱお酌するからにはイッキに飲んでくれなくっちゃ」
「梓砂も飲むか?」
「さーちゃんのお酌なら勿論いただくわん」

 沙霧に注いでから銚子を交替し、梓砂は自分の膳にある茶碗を取る。そこに注いでもらうつもりらしい。

「お酌し合うなんて久しぶりね」
「そうだな。梓砂はあまり帰ってこないから」
「やん、それって遠まわしに帰ってきて欲しいってことぉ?」
「遠まわしになんて言ってないさ。いつでも帰っておいで」
「きゃーっ! 今マジでハートにきちゃった! んもうさーちゃんてばカッコイイんだからぁっ」

 はしゃいでいると、後ろから侍女の美都子が申し訳なさそうにそっと声をかけてきた。

「お話中失礼します、貴嶺様。お膳のお替りをお持ち致しましたが」
「ああ、ありがとう」

 沙霧は片手で膳ごと受け取り、手前にある空の膳を渡す。梓砂はぱっちりとした目を丸くして口元に人差し指を当てると、何か考えている風だった。美都子が去ろうとしたところを呼び止め、空の膳を指差す。

「みーちゃん、さっきもさーちゃんにお膳持ってきてなかった?」
「ええ、持って参りましたよ」
「その前も持ってきてたような気がするんだけど……?」
「はい、持って参りましたよ。これで七膳目です」
「六膳目だったと思うが」
「貴嶺様ったら、私毎日ちゃんと数えてますもの。七膳目です」

 美都子がにこりと笑って言うので、梓砂も一瞬その意味を深く考えずにふぅんと返事をした。だが、美都子と沙霧の会話を反芻してから更に目を見開き、ぎょっとして沙霧の顔を見る。

「……さ……さーちゃんったら七膳も食べてたの〜っ!?」

 梓砂の声が広間に木霊し、四杯目の味噌汁をかき込んでいた冴希は遠慮もなく隣の深慈郎の肩にぶほっと噴き出した。

「さーちゃん、さーちゃんってば! 魚なんかつっついてる場合じゃないわよ!」

 動揺していたのは梓砂だけではない。墨で描いた腹の顔が斜めに潰れた表情のまま芸を止める者、茶碗をひっくり返す者、酒を口と器の間で垂れ流しにする者など、広間で動いているのは沙霧と隆の手だけだった。美都子はそれぞれの反応に驚いて、お盆を抱えたままきょろきょろと見渡す。

(もしかして皆さん、知らなかったのかしら……)

 毎日三度、厨房から飯を運んでいる美都子は、沙霧の大食漢を知っていた。もとい厨房の誰もが周知の事実だ。配膳の侍女が厨房に料理を取りにくる時のほどんどが、「貴嶺様に五膳目追加!」という声しかない。
 沙霧は食事が運ばれてきてから一度も箸を止めず、静かに膳の中をくまなく食べ尽くしていた。魚も冥利に尽きるというほど骨と頭だけが綺麗に残り、米粒ひとつも茶碗に付いていない。冴希や宏幸のようにがつがつと食べていたら、皆とうに知っているはずである。沙霧は入隊してから六年もここで寝食を共にしているのだ。ある者がちょっと箸を止めて酒を呷り、ついでに隣の同僚と小話をしている間も、沙霧の手と口は一寸たりとも止まっていることはなかった。あくまで静かに、一つ一つをゆっくり咀嚼して飲み込んでいる。
 だが、七膳というのは大男でも食えるか食えないかのきわどい量だ。背丈こそあるものの腰まわりは冴希よりも細く、腕や脚にも無駄な脂肪のついていない沙霧が、ほんの一刻半で七膳というのは桁違いの驚異だった。


「異常よさーちゃん! そんだけ食べてどぉーしてこのウエスト保ってられるのぉ!?」

 誰もの心境を読み取ったように梓砂が沙霧の腰を両手で掴み、つまんでみせる。指に挟まるのはほんの少しの皮膚のみ。冴希は箸を咥えたまま沙霧の席へ近づき、食い入るような目つきで頭から正座している足の爪先まで眺めた。

「分かったで……。沙霧姉が食うたもんは、全部チチに吸収されとるんや!」

 沙霧の豊満な胸に箸を突きつけ、仁王立ちで言い放つ。浄次の傍らで箸を動かしながら楽しそうに見ていた隆は、うまいねえ、と冴希を賞賛した。

「まるで貴嶺さんの胸が胃と直結してるみたいだなあ」

 沙霧の驚異的な大食漢ぶりに驚いていた隊士たちは、隆の一言でさらに沈黙をせざるを得なかった。

「寒河江さん、自分で何言ってるか分かってるんだろうか……」
「分かってないだろ……。とてもじゃないが、あんな事は失礼すぎて口にできん……」

 さまざまな感情が広間に満ちていく。当の隆だけが罪のない顔で酒を呷り、沈黙の所以を然も不思議そうにしていた。浄次も愕然としたが、隆の一言に納得したような顔で半分ばかり平らげた魚を見る。

「なるほどな。寒河江、今のは説得力があったぞ」
「葛西殿。勝手に人を化け物みたいに納得しないで下さい」

 それまで黙って膳に手をつけていた沙霧が、箸を止めて浄次に言い放った。浄次は慌てて隆の顔を見たが、隆は首をかしげて見返してくる。

(何故俺が言われねばならんのだ……。元凶は寒河江だろうが……)

 甲斐は浄次の慌てぶりに突然吹き出し、保智に寄りかかって腹を抱えながら笑い始める。微妙なところで無神経に笑い出す幼馴染を、保智はうんざりした顔で横目に見た。



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