六.


「はいはい、そこまで。血の気が多いのは結構だけどね、貴嶺さんにも失礼だよ」

 闘技場のようになった広間を鎮めたのは、他ならぬ最年長の隆だった。やんわりとした物腰で殺気と熱気を涼風に流す。簡単に突っ掛かれそうで誰も突っ掛からないのは、隆の本質を知っているからだ。ひとたび刀を抜いて戦場に立てば、この温厚な男は影も形もなくなる。それを知っているのは隠密衆の者だけだった。宏幸も例外ではなく、梓砂の帯を掴んだまま殺気を削がれ、誤魔化すように曲がった帯の形をさり気なく整えて手を離した。

「鶴の一声、デスかね。お見事」

 いつの間にそこにいたのか、我躯斬龍から戻ってきた甲斐が隆の背後で笑っている。先程まで殺気立っていた隊士の中の数人が、顔を強張らせて目を逸らした。虎卍隊で畏れるべきは隊長の弥勒でもなく、一班長の宏幸でもなく、甲斐本人である。

「挑発に乗せられてみっともないネェ、ヒロユキも」
「うるせんだよ」
「相棒の恥はおれの恥。泥を塗った事、忘れずに」
「……けっ」

 宏幸は吐き捨てるようにそっぽを向き、納得のいかない顔で部屋を出て行った。

 梓砂はといえばまだ沙霧に抱きつき、勝ち誇ったようにくすっと笑っている。幼稚な顛末を入り口で見届けていた祇城は、もういいかと壁をコツコツ叩いて大根を掲げた。

「さあちゃんの大根はどうするんですか」

 沙霧は妙な顔で祇城が掲げた大根を見つめ、首をかしげる。

「私の大根じゃない」
「あそぉだった、大根だわ大根!」

 緊張の漂う場に似つかわしくないほど、大根は珍妙な存在を醸し出していた。梓砂は顔だけ離して沙霧を見上げ、ねだるように目を瞬かせる。

「マサキちゃんが庭で大根拾ったっていうから、さーちゃんに煮物でも作ってもらおうと思って」
「拾ったんじゃなく、掘り出したんです」
「んもう、どっちだっていいじゃん。ねっねっ、久しぶりにさーちゃんの手料理食べたいわん」

 沙霧はもう一度大根を見て肩を竦めた。

「作ってもいいが、あの大きさじゃせいぜい五、六個だな」

 家庭の味は煮物で決まるという料理を、隠密衆きっての美女である沙霧が作るというのだ。しかし個数は一人一つとして六人分程度。家庭料理に飢えたマグロ集団は、凝りもせずに互いの顔を見合って色めき立った。殺気が一丸となって「食いたい!」と叫んだように、祇城の手元に視線が集中する。


「衛明館の庭に大根なんて埋まってたのかい?」

 隆が尋ねると、祇城は頷いてそれを差し出した。立派とは言えずとも、肥料もなしに育ったわりにはしっかりしている。料理が趣味でもある隆は、片手で大根をぽんぽんと弾ませ、沙霧に手渡す。

「作ったら俺も一口頂きたいなあ」

 さらりと一番乗りに予約した鮮やかな手口に、隊士達は喉を詰まらせて唸った。

(やるな、寒河江さん……!)

 途端に俺も俺も、という声が方々から沸き起こり、梓砂は沙霧の腕を引いて広間から脱出する。

「食べる権利は大根を見つけたマサキちゃんと隆でしょ、それにモチロン提案したあ・た・し。あとは個数が足りないから限定よん。デスマッチでもやって決めたら?」

 本気でやりかねない集団を見越し、ぼうっとしている祇城を誘った。内心では自分が残りを食べる事に決めている梓砂は、罪もない笑顔で沙霧に抱きついたまま調理場へ向かう。
 着替えに行っていた弥勒が入れ違いに広間へ戻ってくると、そこでは目の色を変えた隊士達が刀を抜いて流血のデスマッチを繰り広げていた。

「なぁしたんやお前ら。遠征の予行練習でもしとるんか?」



 大根を引っ提げて入ってくるや、調理場を借りたいと言い出した沙霧に、床を磨いていた飯場の者は茫然と手を止めた。

「そりゃ構いませんが……。朝食が足りませんでしたか?」
「煮物を作れとせがまれただけです。お邪魔になるようなら後でも結構ですが」

 とんでもない、と一斉に掃除具を片付けて調理場を空け、沙霧が礼を言うと畏まって隅に集まる。出て行かないのは、沙霧の腕前を見てみたいという好奇心があるからだった。梓砂は調理台の一つにひょいと乗り、脚を揺らしながら祇城の襟を引いた。

「さーちゃんの手料理なんて食べたことないでしょ」
「ありません。料理をするのは寒河江様だけだと思ってました」

 沙霧は髪をまとめてから着物の袖を脱いで帯に挟み、袖のない布一枚の上半身を晒す。飯場の者がぎょっとした。

「私が料理をするのは意外か、祇城?」
「意外です」
「率直だな」

 沙霧は大根の泥を洗い落としながら笑い、包丁を滑らせて皮を剥き始めた。包丁の扱いは大雑把で豪快。下手をすれば手を切るのではないかと気が気ではない一方、沙霧は平然と大根をぶった切り、鍋に放り込んで調味料を入れる。それも大雑把。

「さーちゃんの料理って相変わらずゴーカイね〜。味は超一級だけど」

 鍋に蓋を落とすと、沙霧は梓砂の横に座って後ろに手をついた。

「あとは待つだけ」
「楽しみねっ」

 梓砂は手を打ってはしゃぎ、沙霧の肩に頭を乗せる。まるでどっちが男だか分からないような図だった。

 半刻後、煮物の匂いが漂う調理場は流血した隊士も含めて隠密衆の面々が寿司詰めになり、さらなる流血戦になる前に沙霧が問答無用で追い出すという始末に終わる。



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