三.


 浄次の部屋へ飛び跳ねるように向かった梓砂は、すれ違う隊士達に「オヒサよ〜ん」と片目を瞑りながら黄色い声で挨拶をして回った。ガタッと壁に張り付く者や、何故か顔を赤らめてうつむく者、また来たのかと呆れ顔の者など反応は千差万別。
 しかし、衛明館で下働きをしている侍女には意外なことにウケがよかった。

「梓砂さん!」

 廊下を曲がると、朝食の片付けをしていた侍女の一人が驚いて口元を抑える。

「みーちゃんじゃな〜いっ! ちょっと見ない間にオトナってカンジ〜?」

 一際甲高い声を上げて馴染みの侍女と抱擁し、外見だけは可愛い女の子が二人できゃーきゃーとはしゃいでいる図に見えた。

「梓砂さんも可愛さに磨きかかった風にみえますよ。お元気でした?」
「てゆ〜かぁ、出羽はイケメンが少なくってチョベリバよぉん」
「ちょべ……なんですかそれ……」
「サイアクってことよん。あっそうそう、あっちで超キュートな匂い袋みっけたから衝動買いしちゃった! 大量にあるからみんなに配って」

 振袖の中に手を突っ込んで包みを取り出すと、梓砂は軽い足取りでその先へ進んでいった。



 浄次は延々と眺めていた壷をようやくコレクションの棚に収め、惜しそうにもう一度振り返ってため息をつき、障子を開けた。

「つぐつぐたっだいまぁ〜ん!」
「どわっ!」

 突然正面から体当たりを食らい、浄次は押し倒されて後頭部をしたたかに打ち付けた。幸い畳だったものの、脳震盪を起こしたように伸びきっている。

「つ〜ぐつぐ〜ぅ。大丈夫〜?」

 梓砂は浄次の上に乗ったまま顔をぴたぴたと叩いて揺すった。

「ゆ……揺するな馬鹿者っ! いつ帰ってきたんだ……俺は許可してないぞ」
「今さっきに決まってるじゃない。手紙書くのタルいしぃ。てゆーかてゆーか、つぐつぐってばぁ! お正月以来だけどちょっと痩せちゃったんじゃない?」
「……お前みたいな手のかかる奴が多いからだ」
「ちゃんと食べなきゃダメダメ! それじゃあ今日のランチは一緒にデートして町で食べるってことで決まりね!」
「いいからさっさと退け!」

 梓砂を押し退けて立ち上がり、額を押さえながら廊下に出る。転がった梓砂は懐から素早く半紙を取り出し、浄次の背に呼びかけてその足を止まらせた。

「奥村誠真の件、知らなくてい〜んだ。 ふぅ〜ん、じゃ燃やしちゃおっかなぁ」

 ぴしゃんと歯切れ良く障子が閉まると、二秒後には梓砂の前に浄次が座って手を出していた。



「出羽一の大富豪、奥村誠真が経営してる『万葉座』の売り上げ額が半年前から下り坂ってゆー話、覚えてる?」
「俺が調査しろと言ったんだ。それで、尻尾は掴んだか」
「つぐつぐってばせっかちなんだからぁん。でねでねっ、奥村誠真の屋敷に乗り込んで調べてみたんだけどぉ、あそこの屋敷スッゴイのよぅ! 奥村のほかは女しか住んでなくって、男は芝居をやる時だけ集まるってカンジで〜。夜なんか毎日とっかえひっかえで乱交パーティだしぃ」

 浄次は胡坐の上で拳を握り締め、頬を痙攣させていた。梓砂がそれに気づくと、ばしっと浄次の肩を叩いてくすくす笑う。

「つぐつぐも乱交パーティは許せないでしょ〜? だぁって奥村ってぶよぶよのフグみたいな奴だしさぁ、つぐつぐとか隆が乱交パーティやるんだったらビジュアル的にもオッケーってカンジだけどぉ」
「俺が我慢ならんのは貴様の報告の仕方だ!」

 畳に拳を叩きつけると、横から畳の一枚が持ち上がって浄次の頭に覆い被さってきた。

「タタミ、立てかかってるけど。重くなぁい?」
「やかましい!」

 そう言いながらも畳を押し返して元の位置に嵌め込むと、浄次は額に血管を浮かべながら梓砂を睨みつける。

「屋敷の報告など聞いとらん。報告は『万葉座』の売上げ額が事実か虚実か、幕府の目を忍んで献金額を誤魔化しているのかだけが知りたいんだ。黙っていれば乱交だの、びじある何とかだのと、報告のうちにも……」
「きゃーっ! 今のつぐつぐカッコイイわぁん! 目なんか野心的でワイルドってカンジ〜! もっと凄んでみせてぇん!」
「…………貴様」

 浄次は話にならないとばかりに額を押さえ、ちらりと梓砂の手元を見る。
 手を伸ばせば半紙に届くかもしれないと思った。
 黄色い声をあげて覗き込んでくる梓砂の手首をすかざず捕らえ、さっと半紙を奪って立ち上がる。

「ふっ、取ったぞ。これでお前の報告なんぞいちいち聞かんで済む」
「超サイッテ〜。手首はもっと優しく掴まないと嫌われるわよぉ」
「何とでも言え」

 報告書を取り上げた浄次は不敵な微笑で梓砂を一瞥し、半紙を広げた。
 一折、また一折と紙を広げていくうちに浄次のこめかみがぴくぴくと脈打ち、最後まで広げた時には完全に顔から笑みは消えていた。ビリッと半紙を破いて白い屑を撒き散らせ、腰から刀を抜き放つ。

「貴様、何の真似だこれは!」
「えーなにが〜? ただ真っ白い紙持ってただけよん」
「報告書はどうした!」
「あたしが来たのは報告する為だもぉん。そしたら報告書なんていらなくな〜い?」

 まんまと騙された浄次は刀を振りかざして梓砂に斬りかかった。

「つぐつぐってすーぐキレるんだからぁッ! 騙されたつぐつぐが悪いんでしょーっ」
「その呼び方はやめろ! 貴様は今日限りでクビだ!」
「呼び方が気に入らないからってクビぃ!? マジムカつくってカンジ〜!」

 部屋から梓砂が飛び出すと、続いて抜刀した浄次が鬼の形相で出てくる。それに気づいた侍女たちが悲鳴を上げてしゃがみこむ中、梓砂は笑いながら軽快な足取りで衛明館の外に出ていった。



戻る 進む
目次


Copyright©2002 Riku Hidaka. All Rights Reserved.