虎子耽々
三日後。 驚異的な回復力で復活した宏幸は隠密衆の顔ぶれを知るべく、衛明館を案内しろと圭祐を伴って歩いていた。すれ違う隊士達から逐一妙な視線を感じるのは気のせいか。その視線のほとんどが赤襟の隊士、つまり自分の隊だ。 「何だよ? 言いたいことあんなら言えよ」 赤襟の一人を捕まえて凄んでみると、その後ろから五人ほど出てきて一対六になる。 そして彼らは異口同音に叫んだ。 「黙って見てりゃ俺達のお圭さんとイチャイチャしやがって!」 呆気に取られ、宏幸は圭祐に向き直って彼の隊服の袷をがばっと広げた。 「おめー女じゃねえよな」 「男だってば」 「お圭さんの服を脱がしやがったぜこいつ! 何という破廉恥な!」 脱がしてない。そもそも男の服を剥いだところで何の問題があるというのか。彼らの魂の叫びを聞くうちに、どうやら圭祐は華奢な見た目からアイドルに奉られていることが分かった。 「うるせえな。お圭とイチャイチャしてーならすりゃいいじゃねえかよ」 「それができないから言ってんだろこのバカ虎!」 「へっ、虎卍隊の虎たぁ上等だぜ」 姉貴は怖いが野郎は怖くない。売られた喧嘩は買うのが男だ。しかしまだ完治していない身を考えると六人相手は無理がある。宏幸は即座に閃いてニヤリと笑った。 「あー俺そういや班長じゃん。あの麻績柴と同じ地位じゃん」 「……だ、だからどうしたと」 「隊の問題は相棒にも相談しねーとな。お圭、麻績柴はどこだ?」 「高井様宏幸様! 俺達が悪うございましたー!」 「分かりゃいいんだよ。そら、どいたどいた」 まったく気分爽快だ。班長も悪くないかもしれない。ぶっちゃけ面白い。 部屋があの鬼畜と同じでなければ最高なのだが、夜は大抵お遊戯に行っているのでそれほど不便もなさそうだ。現にこの二日間あいつは朝帰りだった。箪笥で仕切られているから顔を見ることもない。 隊長が誰になるのかは知らないが、とりあえず自分の環境は合格としよう。 愉快・爽快・麻績柴甲斐、と自作の歌を口ずさみながら、物置だのいわく付きの西廊下だの衛明館の間取りを頭に入れていく。広いが間取りは単純、二階建てというのが珍しくて気に入った。 一巡して大広間に戻りかけた時、聞き覚えのある声が角の向こうから聞こえる。 「そういえば面白い虎の子が班長になりましたよ」 「虎の子?」 「ええ、上杉の後釜です」 自分のことが話題にされていて心拍数が上がった。一人は寒河江 隆だ。 もう一人の方、この三日間に一度も聞いたことのない声の主は誰だろう。かつて見た本条某であれば嬉しいが、あの時に聞いた声とは全然違った。中性的な声で男か女かを判断するのは難しいが、圭祐より低いので男だろう。 こそりと角から顔を出して窺うと、隆とそれほど背の違わない男が歩きながら話していた。やたら細い腰に銀色の長い髪……珍しいのを通り越して不思議な色だ。どこかの呪い師かもしれない。ひとつに結ってある組紐の下、これまた白くて細いうなじが見える。上背があるくせにずいぶん華奢な男だと思った。 「これがまた元気な虎でしてね。後ろでこちらを見ているのがそうです」 角にしがみ付いて観察していた宏幸はいきなり奇襲を食らって転げ出た。一度も振り返らなかったのにバレていたとは。 「さ、さ、寒河江さん……気づいてたんスか」 「気配丸出しだったじゃないか。誰だって分かるよ」 消していたつもりだ、とは口が裂けても言えない。 「これですか」 隆にばかり気を取られていた自分を、振り返った隣の男が言葉少なに言って見下ろしてくる。その風貌を前に宏幸は言葉を失った。 「これです」 隆がにっこり笑って頷く。 ───銀髪の男は、男ではなかった。 雪のような、いや陶器のような、いやいや真珠のような眩い肌。異国人である証拠の碧い目。さらに下方へ視線を移せば、そこにはこの世のものとは思えぬ膨らみと濃い影を作った谷間が袷から覗いて見える。妖しの類にでも出会ったような気分だった。 「宏幸。こちらは龍華隊の隊長、貴嶺沙霧さんだ。近江まで仕事に行かれてて今さっき帰ってこられたんだよ」 「は、はじ、初めまして……高井宏幸っス。と、虎の班です……」 自分より背の高い女は二番目の姉くらいだと思っていた。その姉をさらに上回り、その姉よりもかなり細く、その姉に見習わせたいほどの美貌。無言で見下ろされているのに威圧感がなく、それでいて堂々とした立ち姿。 宏幸は自分の脳天から爪先へと白い稲妻が迸るのを感じた。 「虎というより犬みたいですね」 「あはは、猫みたいなところもありますよ。四足歩行という点は共通してますが」 何か失礼なことを言われていたが、それすらどうでもよかった。 「あの、ああああ姐御っ! よかったら俺と手合わせして下さい!」 「……その台詞もうやめたら? 懲りないなぁ」 余計な突っ込みを挟んだ圭祐を無視してその場に土下座する。 「お願いします! 隊長ってことはすげー強いんスよね!」 「まあな。でもお前のその怪我が治るまではやらない」 「こんな糞の傷ぐらいすぐ治ります!」 糞って何ですか、と尋ねた麗人に隆が「甲斐の事です」と即答し、麗人は眉ひとつ動かさず「ああ」と頷いた。美人同士の会話は内容がどうであれ様になる。 こんな格好いい女は見た事がなかった。日本語も問題ないらしく、これから毎日この美しい人々を拝めるのだと思うと天国だ。できれば虎卍隊ではなく龍華隊の班長になりたかったが、ここまできて贅沢は言うまい。 「貴嶺様、長旅お疲れ様でした」 「ありがとう圭祐」 それまで無表情だった姐御の麗しい微笑が圭祐に向けられ、頭まで撫でてもらっている。 うらやましい。 と、その微笑がなんと自分にも向けられた。 「寒河江様のお墨付きだ、よろしく宏幸」 よろしく宏幸、よろしく宏幸、よろしく宏幸───ああ神様。 頭に載せられた白魚のような手の柔らかさに昇天しそうだった。 「これで全員と顔を合わせたね。あとは日々精進あるのみだ」 隆までもが太陽のような微笑を向けてくれる。こんなに美人尽くし・幸せ尽くしでいいのだろうか。きっとイカレ悪魔に受けた不当な扱いを幸福の神様が憐れんでくれたのだ。世の中捨てたもんじゃない。最初から捨ててはいないが。 「あの、あの、たたた隆さんて呼んでもいいっスか!?」 「たたた隆、じゃなくて、隆だよ」 「た、隆さん!」 「はい」 隠密衆と書いてパラダイスと読むに違いない。 「宏くんほっぺ赤いよ?」 「う……うるせー!」 |
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