虎子耽々
「寒河江、話がある」 先代浄正の跡を継いで今夏から御頭となった浄次に呼ばれ、下座で隊士達と談笑していた隆は上座へ戻った。隊長なら上座にいて然るべきだが、隆は最近になって食事が終わるといつの間にか下座へ移動している。自分の隊はもとより、隊長がすぐ自室に篭って昼寝してしまう龍華隊や未だ隊長を決めあぐねてどうでもいい路線を走っている虎卍隊の隊士とも打ち解けていた。というより温厚な人柄で全隊士から慕われている。 日々そんな隆を目で追っている宏幸はますます尊敬の念を募らせた。 是非ともいつか手合わせをしてもらいたい。 「何の御用でしょう?」 「小規模だが下総で謀反がある。今夜発ってくれ」 「下総ですか。近いなあ」 買い物の遣いでもあるまいに呑気な感想を述べ、隆はまるで最初から考えていたかのようにすかさず一つの提案をする。 「うちより班長の新しくなった隊に絶好の機会だと思いますが、どうでしょう?」 「紅蓮……いや虎卍隊か。しかし隊長がまだ決まってないだろう」 「私が代理を務めますよ」 釈迦の如き微笑を浮かべてくるりと首を回し、下座の赤襟隊士達を見た。 無意味に大声を上げ形振り構わぬ態度で畳を転げ回っていた野放図の赤襟一同は、隆の一言とその清々しいまでの微笑を見て瞬時に息を止め、その場に固まった。 「ご覧の通り紅蓮隊は皓司の一代で終わってしまいましたからね。この状態で大掛かりな戦に入っても足枷になるだけですし、今のうちに基盤を固めるのが得策かと」 御頭、ノーと言ってくれ。 赤襟隊士達が一心に祈った願いも虚しく、浄次は「ふむ」と顎を擦って頷く。 「では下総討伐は虎卍隊に行ってもらおう。隊長代理は寒河江だ」 「御頭ぁーッ! そりゃあんまりだよ!」 方々から猛反対の声が上がり、ひとり拳を握って喜び勇んだ宏幸は肩透かしを食らった。血相を変えて反対だ反対だ、それなら最初から氷鷺隊が行け、と口々に叫ぶ隊士は隆のことが嫌いなのだろうか。さっきまでその本人と談笑していたくせに。 「なぁ麻績柴。どうしてみんな反対してんだ?」 冷酒を啜っていた甲斐は呼び捨てされたことも耳に留めず溜息を零した。 「……遠征に行けば分かるヨ」 「高井! ぼさっとしてないで頭を使え!」 「これでも使ってます!」 「口答えするな! 自班の動きをよく見ろ!」 「あいー!」 つまり、鬼だったのだ。 相棒の悪魔ぶりなど鼻息で消し飛ぶような隆の鬼隊長ぶりは、敵よりも姉よりも怖かった。 隊長とは皆こういうものかもしれないが、少なくとも宏幸は普段とのギャップが大きすぎる隆の言動に大打撃を受けて即死寸前だった。 衛明館を発つ時、圭祐はこう言っていたはずではなかったか。 ───うちの隊長についていけば大丈夫だよ ついていくも何も、指示が大雑把すぎて何をしたらいいのか分からない。 自分なりに考えてやっているつもりだが、何せ初陣なのだ。もっと親切に指導してくれたっていいではないかと涙を呑んだ。 「戦は剣道でも喧嘩でもないぞ。甘ったれるな」 何も言ってないのに見透かしたように喝を入れられる。 鬼だ。これぞ鬼と呼ぶに相応しい。 裏手を任されていた二班が合流し、自分率いる一班との共同戦線になった。目にも留まらぬ早業で次々と敵を屍にしていく二班の連携は見事というしかなく、駄目なのは自分の班だけだと思い知らされる。 「ヒロユキ、ぼさっとするな!」 空から相棒の声が降ってきたと思った途端、突き飛ばされて転がった。後ろから迫ってきていたらしい敵を一撃で仕留めた甲斐は、地べたに転がっている自分を見下ろすと無言で背を向ける。その態度にムカついた。 「ぼさっとぼさっとって、俺だって一生懸命やってんだよ!」 「一生懸命だろうが死ねばそれで終わりだろ。死にたいのか?」 「死にたかねぇよこのイカレ野郎が!」 「高井、麻績柴! 何をしているんだ」 『連携プレーです!』 鬼の隊長代理に睨まれ、宏幸と甲斐はそう答えるのが精一杯だった。 戦闘開始から終了まで一切の手助けもしてくれなかったが、隆の姿が自分の視界から消えることもなかったように思う。後で圭祐に聞けば、普段の遠征ではあの鬼隊長が人の目につく所にいる事は稀なのだそうだ。「初陣だから心配だったんだろうね」と圭祐は笑ったが、あれが心配してくれる態度だったのならなんと恐ろしいことかと宏幸は身震いする。 周囲の敵を刀一振りでゴミのように蹴散らしていたあの鬼神と、全身で優しそうな頼もしそうなお兄さんオーラを発していたあの温厚な隆と、一体どちらが本物なのだろう。 いつか隆と刀を交えてみたい。ついでに剣術も教えてもらいたい。 その野望は変わらなかったが、できることなら第一印象のままでお願いします。 |
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