十.


「はー今日も儲け儲けっ。俺って博打の天才」

 サボった事も忘れて堂々と正門から戻ってきた宏幸は、広間へ足を踏み入れた途端にいくつもの歓迎を食らった。

「今まで何をやっていたんだ、高井!」
「よう高井宏幸。待ちくたびれて退屈してたんだぞー」
「今度こそホンモノの高井さんだよな……」
「うわ、おかあさんにそっくりなネコのひとー!」
「お邪魔ー。あんたあれから博打やってたの?」
「おいおい、双瀏旋の女がいるぜ高井さん!」
「あの名指しの美女! 高井さん、追っかけられてるぞ!」

 前後から同時に喋られて面食らい、両手で空を切りながら宏幸も怒鳴り返した。

「だぁっ! いっぺんに言うなっつの!」

 騒々しいのは毎度の事だったが、今日は見知らぬ顔と素性の知れない人間がいる。ぴたりと止んでくれた場に息をつき、上座の方に集まっている三人を順にじっと凝視していった。
 先刻、敬愛している隆の技でもって賭場を破壊した女が沙霧の横に座って羊羹を突付いている。そのさらに隣、浄次と沙霧の間には、どこかで見たような大男がニヤニヤと手を振っていた。向かいの隆の横にも、見覚えのあるような凛然とした美貌の男。
 今日は一体何の行事だ?
 混乱して口をぱくぱくさせる宏幸に、隠密衆最年長の隆がそれらを説明してくれた。

「お帰り、宏幸。さっき光琉と会ったんだってねえ。俺の家内だよ」
「へー家内……てか、これが隆さんの奥さん!?」

 光琉を指差して言うと、宏幸の女装版と間違えられた光琉はニッと笑う。

「そー。隆はあたしの旦那。間違ってもあんたのじゃないから」
「俺は隆さんを尊敬して敬愛して崇拝してんだよ。人にとやかく言われる筋合いはねえ」

 自分が何を語り出しているのか分かってないまま、宏幸は一気にまくし立てて鼻息を荒げた。子分の五人が横で白けた顔をしながら、スバラシイ、と棒読みで拍手する。隆は自分を慕ってくれる宏幸の言葉に頬を緩め、それからね、と次の話題へ持っていった。

「こちらが、先代御頭であり現御頭のご父君である浄正様。俺の隣にいるのは、虎卍隊の前に結成されていた紅蓮隊の隊長・斗上皓司さん。一度くらいはお二人を見かけた事あるだろう? 何回か入隊試験の時にいらしてるから」

 隆の説明をおとなしく聞く宏幸の視線が、破顔し続けている浄正から始終無表情の皓司へと移る。昨年か一昨年の入隊試験で見かけた顔だと思い出した。夕暮れに始まる第三試合にふらりと現れただけだったので、はっきりと容貌を覚えていなかったのだ。
 二人ともくつろいでいるのに、一糸の乱れもない気を漂わせていた。
 ───が、宏幸にはそこまで感じ取れるはずもなく、ただ漠然と今まで見てきたどんな人間よりも侮れない気がする、とだけ感じた。敬愛する隆や沙霧のそれに近いのかもしれない。



 ぼうっとしている宏幸に、待ちかねていた浄正が立ち上がって近づいた。

「よっ、野良猫坊主。博打が得意なのか?」

 目の前に立った浄正の長身を見上げ、宏幸は改めて全身から滲み出る気迫を実感する。脳裏に閃いた第一印象はまず「でっけーな、このおっさん」だった。

「得意つーか、趣味っス。花札とかも金絡みなら好きだし」
「ふーん。俺花札は苦手だな。だって頭使わなきゃなんないんだもん」
「俺はカンと一発勝負でやってますけど」
「刀もカンと一発勝負?」

 黒袖に両腕を入れた格好で眼前に立つ浄正にそう訊かれ、目が合った瞬間に肌がぞっと粟立った。博打が得意かと訊かれた時と何も違わない口調、親しみのある笑顔。しかし後者の質問をした時の浄正の眼には、興味や挨拶といった感情は含まれていなかった。笑顔に釣られて頷いてしまいそうな話術だが、宏幸は猫目をわずかに細めて口元を引き上げる。

「カンと一発勝負でてめぇの命を賭ける奴は、今頃生きちゃいねえっスよ」

 それを聞いて、浄正の口元もにやりと笑った。
 宏幸の腕は中の上といったところだろうが、肝の据わってる人間が好きなのだ。はったりではない度胸を持った宏幸の性格が気に入ったらしく、浄正は黄色い頭をがしがしと撫でて首に腕を絡めた。

「こいつ可愛いなー。気に入っちゃった」

 宏幸の横で、子分達がまた驚きの様相を表して互いを見合った。
 葛西浄正といえば獣、獣といえば葛西浄正とひそかに謳われるほどである。そんな偉大な男に見初められたとあらば、宏幸を班長に持つ自分達も勝手が利くと思っているらしい。
 宏幸は隆と圭祐の間に割り込み、隆の向こう側で一言も喋らない皓司にも興味を持ちながら浄正の方へ尋ねた。すっかり崇拝神の一人に認定している。

「今日はこっちに用事でもあったんスか?」
「いんや。ラブラブな沙霧の顔を見に来ただけ」
「要するに隠居の暇つぶしです」

 無言に徹していた皓司が突然喋ったので、宏幸は一瞬誰の声か分からなかった。

「えーと、斗上さんも暇つぶしで? そんな風には見えないスけど」

 その発言に虎卍隊の古株がずざっと畳を鳴らして後退する。当然、彼らは元紅蓮隊の隊士達である。直属の元隊長は皓司だ。元隊長の人間性を知っているだけに、宏幸の発言は爆弾を投下したも同然だった。

(バカ野郎! 『斗上さん』だなんて軽々しく言うなよ高井さん……!)

 小声すらも聞き取られる恐れがあるので、皆それぞれ心臓を痛めながら内心で叫ぶ。そんな隊士の心境をよそに、宏幸は前屈みの姿勢で皓司を伺った。皓司も湯呑みを置いて宏幸の顔をちらりと見る。

「名目ではありますが、私は先代の側近という役目ですのでね。郭以外はお供しているんですよ」
「そーそー。御皓の上様がいないとつまんなくてなー」
「御皓の上様?」

 宏幸が鸚鵡返しに問い返すと、さらに虎卍隊の古株が壁際へ後退った。のみならず、氷鷺隊や龍華隊の古株の一部までもが戦々恐々とした表情で動作を止める。圭祐と甲斐の間にいる保智ですら緊張して固まった。その両側はしごく平然とした顔で茶を飲んでいたが。

「皓司のあだ名。誰がつけたんだっけ、元紅蓮隊の隊士? うまいよなー」

 虎卍隊の一人が気絶寸前で白目を剥いているのも見ず、浄正は屈託なく笑う。皓司は微かな微笑を浮かべて宏幸に顔を向けた。

「私には色々なあだ名がありましてね。御皓の上様、御皓様、皓の局、皓之神、そこのご隠居に至っては皓ちゃんとまで呼ばれておりますので、お好きな呼び名でどうぞ」

 皓ちゃんという一言に、絶叫したい隊士の苦渋の顔が下座の方で広がる。皓司の前であだ名を呼べる者は、ごく一部の怖いもの知らずな大物だけだった。さん付けでも恐れ多いとされる“御皓の上様”である。呼び名はいざ知らず、まともに会話をしようなどと試みる怖いもの知らずも大物に限られていた。物怖じしない性格ゆえか、それともただの馬鹿なのか、宏幸は初対面から平然と皓司に話題を振っている。


「でもやっぱ斗上さんは斗上さんっスよ。あだ名もいいけど苗字かっこいいし」
「宏幸、皓司は先代に継ぐ腕前なんだよ。俺なんか足元にも及ばないほどだから、機会があったら稽古つけてもらうといい」

 隆が言うと、宏幸は尊敬の眼差しで机に乗り出した。

「マジっスか!? 斗上さん、今度稽古つけて下さい!」
「いつでも上野へ来て頂ければお相手致しますよ。とはいえ、現役の殿下よりは劣りますが」
「お、いいなーそれ。俺も宏幸とやってみたい。骨ありそうだしな」
「骨と根性だけならいつでも勝負できるっスよ!」

 浄正に名前で呼ばれた事が嬉しいらしく、宏幸は圭祐の肩をバシバシと叩いて一人浮かれる。

「ヒロユキの骨は、無駄骨っていうんですヨ」

 退屈そうにしていた甲斐が冷やかすと、宏幸が反論する前に冷やかな声音が援護した。

「甲斐も来たければ一緒にいらっしゃい。私の元部下ですから遠慮はいりませんよ」

「いえ結構。相棒さえ鍛えてくれれば虎卍隊の戦力は十分事足りますのでネ」
「ていうか甲斐、お前斗上さんの部下だったんならもっと敬えよ。性格わりーな」
「それじゃヒロユキは手始めに弥勒を敬わないとネェ」
「斗上さん、俺尊敬しますよ。こんな奴を部下に持って苦労したんじゃないスか」

 どこまでも命知らずの班長を、古株隊士達は魂の抜けた目で茫然と眺めていた。



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