九.


 呼ばれざる客の浄正は、命を父親の膝からひったくって自分の膝に乗せると、侍女に持ち金を渡してありったけの菓子を買ってこいと言いつけた。

「父上、いつまで居座るつもりなんですか」
「夜まで。夕飯食ったらぼちぼち帰る」
「夕飯くらい自分の家で食べて下さい。遠征の合間でみな疲れているんです」
「疲れてんのはお前だけだろ。まわりを見てみろ、疲れどころか得体の知れない緊張感でいっぱいじゃん。こいつらが緊張できるほど体力余ってんのに、一人で疲れるとは情けないぞ浄次」
「父上がいるから緊張してるんでしょうが! 無駄な体力を使わせないで下さい!」

 力余って湯呑みを素手で握りつぶした浄次に、浄正は膝の上の命を覗き込みながら指差した。

「命ー、このおじさん怖いよな。これが命のお父さんをコキ使ってる悪い奴だぞ」
「じゃあおとうさんは、このおじさんにたぶらかされてるんだね」
「誰が誑かしとるかっ!」

 子供の無知な発言に怒る浄次の横で、隆と圭祐が同時に笑う。下座の方では、沙霧の辞める発言に動揺して龍華隊が座談会を開いていた。のみならず、氷鷺隊、虎卍隊の隊士も混じっての真剣会議が行われている。呑気なのは各隊の班長以上だけだった。
 命は浄正を見上げてじっと見つめ、斜め前の浄次も同じように見つめて首をかしげる。

「おじさんとおじちゃん、そっくりだねぇ。きょうだいなの?」

 素っ頓狂な声を聞いて、座談会を繰り広げていた隊士がどっと笑い出した。浄正は命の頭に手を置き、子供の後ろからにやにやと笑って息子の反応を見る。

「察しがいいなー命。どっちが兄でどっちが弟だと思う?」
「うんとね、あっちのおじさんがおにいちゃんで、おじちゃんがおとうとでしょ」

 葛西父子を兄弟と言い、さらに息子の浄次が兄だと言いきった命に悪気はない。
 浄次は額に青筋を浮かべ、子供を睨む代わりに隆をちらりと見て呪った。

「俺はそんなに老けているか……寒河江、どうなんだ」
「先代が若い証拠ですよ。いつまでも若く見られる父親というのは自慢できていいですねえ」
「実の息子が父親より老けて見られたというのに、自慢なぞできるか!」
「そーだそーだ。洟っ垂れに自慢されても俺嬉しくないもん」

 ぷいっと顔を背ける父親に愛想が尽き、浄次は自室で睡眠を取ろうと立ち上がった。襖を開けて一歩出た浄次は、そこに目にも眩しい着物姿が立っているのに驚いてぐあっと珍妙な奇声を上げる。

「…………高井!?」

 甲斐と手相を見せ合っていた保智は、顔を上げた甲斐が瞬時に絶句したのを見てしまった。虎卍隊の半数以上が同じように絶句し、続いて恒例となった茶や煎餅のカスが飛び交う。

「おいみんな、高井宏子の誕生だぜ! 似合いすぎて腹が痛ぇ!」
「その格好は何の真似だ貴様っ!!」

 浄次が鳥肌を立てて半歩下がると、女装姿の宏幸はずいっと浄次を押し退けて広間に入った。

「なーんだ、ここにいたのか。命」

 浄正の膝でべっ甲飴をほうばっている命を見つけて髪を掻きあげる。宏幸がなぜ命にそんな台詞を言ったのか誰も気にせず、野次は手を叩いてその姿を絶賛した。

「声まで女になりきってるな、高井さん!」
「いよっ、江戸小町! 細腰が色っぽいぞ!」
「誰が細腰の江戸小町だって?」
「なんだ気に入らないのか。なら、べっぴん宏子太夫!」

 再び爆笑した隊士達が、その瞬間に猛烈な風を食らって広間の端まで吹き飛んだ。飛ばされなかった隊士達は、何が起こったのか分からない顔で女装の宏幸を呆然と見つめる。
 祇城から最後の海苔煎餅を横取りした弥勒は、海苔だけ先に食べながら不審な目を向けた。

「殿下直伝の奥義、いつ達者になったんや? こないだ遠征で使うた時はヘボやったやん」

 女装の宏幸は弥勒を無視して刀を鞘に収め、沙霧の横にどっかりと座る。

「おひさー沙霧。浄正の代で辞めるって言ってたのに、まだいんの」
「御頭と同じ事を言うな。今度の遠征が終わったら辞めるよ」
「辞めたら行くアテは?」
「上野の屋敷」
「浄正んとこ、うちから遠いじゃんよ。服届けに行くのめんどくさい」
「今まで通り私が取りに行くから気にするな」
「辞めてヒマになったら三日置きには来てよね。あんたズボラだから全然取りに来ないし。せっかくいい反物仕入れたって、一月もほったらかしにしといたら虫が湧いちまう」
「分かった分かった」


 座談会もそっちのけで会話を聞いていた隊士達は、顔を引き攣らせながら口を開いた。

「あのー、がんがん話進めないで欲しいんですが……高井さん、頭打ったんじゃ……」

 その問いに声をあげて笑ったのは隆だった。

「宏幸が女装したら家内になるとは思ってたけど、本当だねえ。あははは」
「……家内……?」

 話の見えない隊士が沙霧の横に視線を移すと、茶を啜っていた女装宏幸は机に片肘をついて手のひらに頬を載せた。

「あんた達、よっぽどヒマなんだね。とくに頭がヒマそう」
「どちら様ですか……」

 隊士が声を揃えて尋ねる。隆はおかしそうに笑いながら、自分を指差して答えをやった。

「俺の家内の光琉(ひかる)だよ」
「隆の妻でーす」

 脱色した金髪に眩しい光沢を放つ着物の女は、欠伸をしながら片手をあげる。
 微妙な間を置いて、案の定広間にどよめきが走った。

「殿下の奥さんて……もっとこう、淑やかで慎ましい武家のご令嬢を想像してました……」
「花のように可憐で、そよ風に吹かれそうな小柄の女性だとばっかり……」
「なんかお前詩人入ってるぞ……いやオレもそんな奥さんだろうと思ってたんだが」
「まさかこんな……」
「というか寒河江様、どうして高井さんが女装云々で騒ぐ前に教えてくれないんですか……」

 口々に意見を述べる隊士が最後にそう言うと、隆は人の良さそうな顔で悪びれもなく微笑む。

「反応がなかなか面白くてねえ。つい黙っちゃった。ごめん」
「遊ばれてたわけですか俺達はー!!」

 脱力した隊士達を白けた目で眺め、寒河江光琉は圭祐に「お茶」と湯呑みを差し出した。ちょうど急須を持ったところだった圭祐は、ひとつ返事で立ち上がる。元の席でおとなしくしている浄次に新しい湯呑みを用意して茶を注ぎ、光琉、浄正、皓司の順で客を優先して注いで回った。

 保智は湯飲みの底に残っている茶を飲み干し、隣で寝転がっている甲斐を伺う。

「お前、さっき本当に高井さんが女装したと思っただろ」

 甲斐が絶句する顔など滅多にお目にかかれないのだ。いつも揚げ足を取られてばかりなので、保智は慣れない意地悪さを出してみた。

「一瞬見惚れて自己嫌悪に陥ってるんじゃないのか?」
「あれがヒロユキだったら褒め称えてあげようと思ってたところだヨ。他人で残念」

 何か裏を返さねばと苦戦している間に、甲斐が先制をかける。

「さっきといえば、ヤスの頭脳線は極端に短いネェ。刀で傷でも作って伸ばすといい」
「……お前の生命線も極端に短かったよな」
「ヤスは白髪が抜けて禿げるまで生きられるヨ。ひ孫ができたらおれの名前でも付けてネ」
「…………」

 結局、どう言葉を返せば幼馴染に日常の仕返しができるか分からず、保智はそれきり黙った。



「で、高井宏幸は帰ってきてないわけ? 兵藤さんとこの賭場の前で会ったよ」

 光琉がつまらなさそうに言うと、浄正は頭の上に亀を乗せたまま浄次に振り向く。

「俺も会いたいぞー。たしか俺が引退した年に入った小僧だよな。骨のある奴だって隆が言ってたし、見たい見たい」
「頭の上の亀は何ですか、父上……」
「命が乗っけてくれたんだよ洟っ垂れ。それより高井宏幸はどこに出張中なんだ?」
「知っていたら掃除が終わる前に引き戻してますよ」
「知らないくせに偉そうに答えるな。おい、寝転がってるマグロ甲斐。相棒は?」

 過去の経緯があって浄正とあまり話をしたくない甲斐は、顔も上げずに返事をした。

「どこかの賭場ですヨ」
「いつ帰ってくるんだ」
「先代が大福ひとつ食べ終えたらじゃないデスか」
「香楼庵の豆大福が食えないからってひがんでるようじゃ、お前もまだまだ小僧だな」

 甲斐が舌打ちしたのを聞いて、保智は言葉の返し方というものを学んだような気になる。

 浄正が大福を素早く口に入れて飲み込んだ時、隠密衆きっての野良猫隊士が帰ってきた。



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