八. 「……寒河江の息子だったのか」 浄次は上座に腰を下ろすと、召集をかけたわけでもないのに勢ぞろいしている広間の面々を見渡した。下座の方でマグロ同士が積みあがりながら寝ているのも気に留めず、茶を一啜りする。 「確かに、よく見れば似ているな」 「よう見んでも似とるがな。なにボケたこと言うてん……ぶぇっくしょーいッ!」 霜焼けで鼻の頭を真っ赤にした弥勒は、自分の名前の刺繍が入った半纏を着込んでくしゃみをした。隆が和菓子を持って帰ってきたのを衛明館の屋根から見届け、先刻下りてきたのだ。 「ほんまかわええなぁ。大福みたいなほっぺしとるで」 「おサルさんもお鼻がトナカイみたーい」 「せやからサルやないて何遍言うたら分かるんじゃこのチビッ子!」 弥勒が机を叩いて怒鳴っても、命は相変わらず沙霧の膝に陣取って笑った。 「おサルさんがおこるとゴリラみたいだねぇ、お人形さん!」 「このサルは節分に大砲を当てると喜ぶよ」 「ほんと!?おとうさん、せつぶんの豆まきはタイホー買ってきて!」 「アホなこと吹き込むなや、沙霧! 殿下も、チビッ子に大砲買うてやったら絶交やからなっ」 弥勒が振り返ると、隆はおもちゃの大砲なら平気だよ、と呑気な返事をして笑う。それから思い出したように笑顔を苦笑に変え、浄次へ向き直った。 「御頭、先ほど差し上げた壷は息子が割った物の弁償代にして下さい」 浄次は割られた物というのが何だったのか一瞬考え、すぐに壷の割れる音を思い出す。隆からもらった新しい壷に満足していただけに、記憶の音は生々しく脳裏に響いた。 「偶然にしては出来すぎているが、所詮子供のやった事だ。咎めはせん」 「ありがとうございます。命、御頭にちゃんと謝ったかい?」 「うんあやまった。ごめんなさいって。ね、おじさん」 おじさんと言われてこめかみに青筋を立てるが、精一杯の余裕を作って頷き、湯呑みを呷る。 子供の声を聞くと忌々しい光景を思い出すので、浄次は耳を塞ぎたい気分だった。 平静を取り戻してゴホンと咳払いをすると、隊士達が浄次に注目する。 「まあともかくだ。明後日の早朝、龍華隊が能登に入る。謀反人どもが諸方で活動を始める冬に暇はない。遠征の合間に家族と過ごせるのなら、それに越した事はないぞ。隠密衆である限り、そして刀を持つ限りは、我々が家族よりも死へ近い事を忘れるな」 浄次の言葉に、妻子のある隊士が命を見てうっすらと涙を浮かべた。 「御頭……」 「俺、感動しました……御頭」 「御頭、今から相模の実家に行ってきていいですか。三年も顔見せてないので……」 「相模など目と鼻の先だろう。さっさと行け、馬鹿者」 江戸に実家を持つ隊士の数人が立ち上がり、袖で涙を拭いながら襖に手を掛けた、その時。 「よく言った! その通りだ浄次、家族は大事だぞー!」 隊士が開けるよりも早く、廊下側からすぱーんと襖が開かれた。宙に手を浮かせたままの隊士もさる事ながら、広間で感動に浸っていた者、まだ寝ている者、そして浄次の言葉には耳もくれずに喋っていた者達は、一斉に目を見開いて挙動を止める。 「よっ。みんな、ヒマそーだな」 「ち……」 「おおおおおおお御頭ぁーっ!!」 浄次が驚愕の声を上げる前に、隠密衆の数少ない古株隊士が号泣して駆け寄った。 「戻ってきて下さったんですね! 俺達、四年間この時を信じて待ってたんですっ!」 「ん? 俺戻ってきてないぞ」 「またまたぁっ! いいんです、御頭の冗談ならちゃんと覚えてますから!」 「いやマジで。ヒマすぎてやることないから遊びにきただけ。な、元隊長」 隠居生活が暇すぎて遊びにきた先代御頭・葛西浄正は、背後に首を曲げて相槌を求める。それに答えるように、すっと廊下に膝をついて身を正した男が浄次に向かって一礼した。 「長らくご無沙汰しております。現御頭」 あえて「現」と付け足した斗上皓司は、広間が凍りつくような無表情を上げて立ち上がる。ほんの一瞬の平身低頭に、古株隊士達は足元から凍りついて動けなくなっていた。現役当時、公私共に分け隔てなく鬼だった人である。 頭を下げた姿に古株隊士達がいい気分になるはずもなく、何か恐ろしい事の前触れを予知したように顔面蒼白で白目を剥きかけた。 「……父上、何をしに来たんですか」 浄正と皓司が座ると、浄次は不満を隠そうともせずに尋ねた。自分が御頭に就任してから四年間、こちらから実家に赴くことはあっても、衛明館に顔を出しに来た事は一度もない。 「ヒマだから遊びに来ただけだって言ったじゃん。何聞いてたんだよ洟っ垂れ」 「暇などという理由で遊びに来られても迷惑です! ここを何だと思っているんですか」 「家族を大事にしろとか偉そうに演説しちゃって、実の父が顔見せに来た途端にこれだもんなー。だからお前はいつまで経ってもヒヨッコなんだ」 浄正は出された茶を啜ってから、隣に座っている沙霧を見てにやにやと笑った。 「まだいたのか。俺が引退した時、すぐ辞めるよーなこと言ってたのに」 沙霧は命を両腕で抱えたまま、目線だけを浄正に送って見返す。 「そういえば言いましたね」 「こーんなつまらんとこさっさと辞めて、俺んちに来い。ヒヨッコの下で働いてても飽きるだろ」 「では今日限りという事で。葛西殿、辞表はあとで送らせて頂きます」 四年前に浄正が引退すると公表した時、沙霧はそれなら自分も辞めると先陣切って言ったのだ。あれから四年もここに居座っている事を、本人はすっかり忘れていたらしい。命を父親の膝に返して立ち上がると、呆然と会話を聞いていた龍華隊の隊士が挙動不審に取り乱しはじめた。 「た、隊長っ!? ちょっと待って下さい、冗談ですよね……?」 「本気だ。四年前から辞めるつもりだったのを忘れていただけで」 「忘れないで下さい! いやそうじゃなくて、忘れて下さい! 後生ですから!」 「私が今辞めて何の損があるんだ? 隊長候補ならいくらでもいる」 「の……能登の遠征は……」 「葛西殿に聞け」 にべもなく沙霧が言い放ち、龍華隊は一斉に浄次を睨みつけて「引き止めろ能無し」と無言の怨念を飛ばす。だが浄次は浄次で、沙霧が辞めると言った瞬間に白目を剥いて絶句していた。 「とにかくちょっと落ち着いて下さい! ここはひとつ、ゆっくりと……」 「私は元から落ち着いてるが」 「俺達が落ち着かないんです! ええ分かってます!」 「それなら私には関係ない。あとでゆっくり落ち着きを取り戻せ」 「はい! ……って、だから隊長っ!!」 沙霧が本気で広間を出て行こうとすると、冴希が戸口の前に両手を広げて立ち塞がった。 「うちも反対やで。どないな理由で辞めるんか、はっきり聞かしてくれたら通したるわ」 冴希の手で耳を引っ張られたままの深慈郎も、足元から沙霧を見上げて泣きそうな顔をする。 「ぼ、僕も沙霧様に辞めてほしくないです……」 「沙霧姉! うちが納得できるような理由、聞かしてみぃや」 二人の班長が立ち塞がる前で、沙霧は背後の浄正を指差した。 「私はこの人しか御頭と認めていない。四年前に期を逃したから、今辞めるというだけの理由だ」 「そうなんか。よし、うち納得した」 「アホ鳥! 納得するなバカ!!」 冴希が清々しい顔で頷くと、龍華隊の隊士が叫びながら別の襖を開けて廊下に飛び出す。各々が鉢巻と刀を抜いて手前に置き、冷え切った廊下にずらりと土下座して道を塞いだ。 「貴嶺隊長! 隊長がお辞めになるのなら、俺達も辞めます!」 「あそう。好きにすれば」 「……何が何でも辞めるつもりなんですねーっ!?」 「何回言わせるんだお前ら」 「百回でも二百回でも!!」 浄正が引退する時のような反応が、四年の歳月を越えて再び繰り広げられている。 皓司は横目で廊下を見て軽く溜息をついた。 「寒いので襖を閉めて頂けませんか。廊下で遊ぶのは結構ですが」 顔に劣らず凍りつくような声を聞き、広間の誰もが我知らず身震いをする。沙霧は廊下の隊士をそのままにして内側から静かに襖を閉め、座っていた場所へ戻った。 「遠征が終わったら辞めるという事にします。それなら彼らも納得してくれるので」 廊下ではそれでも納得しないと首を振る隊士の姿があったが、広間の中の沙霧は素知らぬ顔でそう言って、まだにやにやと笑う浄正の隣へ腰を下ろす。 「年明けまでに上野にお邪魔します。鬼門の部屋はありますか」 「皓司、うちの鬼門部屋ってどこだっけ」 「貴方のご寝室と正反対の方角ですよ。奥方の遊戯道具が仕舞ってある部屋の隣です」 「あそこか。沙霧が来る前に皓司が掃除しといてくれるし、いつでもいいぞー」 三人の会話のどこまでが本気なのか、古株の隊士ですら量り知る事はできなかった。 |
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