七.


 命が再び広間に戻ってくると、隊士達は一斉に飛び起きて唾を飛ばしながら半狂乱になった。

「姉御の子だったんですか!?」
「貴嶺様の子供!? だ、だ、旦那さんはどこのどちら様で……?」

 沙霧は抱えている子供を片腕で抱えて襖を閉める。

「先代との子供。可愛いだろう」
「せっ……先代ーっ!?」

 先代・葛西浄正の代から隠密衆にいる一人の隊士が裏返った声で叫んだ。

「そりゃまた……じゃあこの子は姉御に似たんですね」
「似てると言われた事はないな」
「そ、そうでもないですよ。あの、ほら、色の白いところとか、目の大きいところとか……」
「お、大きくなったら貴嶺様にそっくりの美男子になりそうな感じです!」
「ていうか先代の子供ってことは、御頭と異母兄弟になるわけですよね……?」

 沙霧に向かって口々に喋る中、誰かがそう言った瞬間にすべての口がぴたりと止まる。数人がささっと広間を見渡し、この場に浄次がいない事を確かめて溜息をついた。沙霧が先代の妾なら、浄次は義理の息子になる。同い年の義理の息子とは笑える話だが、沙霧を崇拝している隊士からすれば、たとえ妾と義理の関係だろうと近寄らせたくないのだ。

「ところで、おいくつなんですか?」
「いくつだったかな」

 腰を下ろして命を膝に乗せ、頭を撫でながら沙霧が聞いた。命は指を五本開いて隊士達に見せる。

「んとね、よっつー」
「だそうだ」
「指は五本ですが……どっちなんですか」
「ぼくよっつだよー」

 命はなおも顔の前で五本指を見せながら四歳だと主張した。ぽってりとした指の向こうにある小さな顔を見て、隊士達がへらっと笑う。沙霧の子供と知ればご機嫌を取らないわけにはいかなかった。その裏で何人の隊士が「俺の子も同然」などと理解不能な思考を廻らせているか、無論沙霧は知らない。姉御は俺のものだと勝手に決め付けたマグロ達は、目で互いを牽制し合いながら命に群がった。

「僕の名前は何ていうのかなー?」

 引き攣った顔でなるべく柔和な笑顔を作り、隊士の一人が尋ねる。

「みこと。いのちって書くんだよ。いのちは一番だいじなものなんだってー」
「命くんかぁ。美人のお母さんがいてうらやましいなー」
「うん、おかあさんビジンなの。おとうさんもやさしくてね、すごーくつおいんだよ」
「あははは、お父さん最強だもんなー。でも怒るとちょっと恐いよね」
「ぜんぜん恐くないよ」
「……さすがは先代の子供だ……常識の基準が一味違う」


 隊士達が絶句する中、保智は背中合わせに張り付いている甲斐を肘で突いた。甲斐は背中が寒いと言って保智の背中に寄りかかり、前が寒いと偽って圭祐を抱えている。

「甲斐、貴嶺さんの子供だって知ってたのか……?」
「まさか」
「……さっきは誰の子供か知ってるような口ぶりだったじゃないか」
「今更だけど、こんな頭の悪い男が相棒で可哀想だネェ。ケースケ」

 懐を見下ろすと、寒そうに身を縮めている圭祐が首を伸ばして子供の方をちらりと見た。

「あの子が天井から落ちてきたんだ? 町でお母さんとはぐれちゃったのかな」

 命の顔を見ただけで誰の子供か分かった圭祐は、くしゃみと共に広間を見渡して父親を探す。

「お父さんに会いにきたわけじゃないみたいだよね。どうして抜け道知ってたんだろう」
「ヒロユキが出口を閉めておかなかったんだヨ」
「高井さんて毎年脱走してるね……」

 二度目のくしゃみをすると、甲斐の手が圭祐の頬を軽く撫でて唇に触れた。

「そんな事よりケースケ、寒い?」
「うん寒いよ。それがどうかした?」
「おれも全然温まらないから、ちょっと運動しようかと思ってネ。一人じゃできない運動を」
「いいけど、外でするの? 寒いよ」
「部屋の中でだヨ。ケースケの部屋でいい」

 甲斐の声音を聞き取った保智は、今度は背中でどん、と幼馴染の背を突く。

「何考えてるんだよお前はっ!」
「何考えてると思う?」
「なにって……だから」
「推測で人の行動を批判するのはよくないネェ。ヤスの悪い癖だ」
「悪かったな。……なんで俺が謝らなきゃならないんだよ! 甲斐の考えてる事なんか知りたくないほど分かりすぎて困ってるんだ!」
「分かりすぎてるわりには、よく騙されたと後悔してるじゃない」
「だからそれは人をおちょくるお前が悪いんだろっ!」
「騙されてる時は素直に信じるくせに、ヘンなところで疑り深いネェ」

 二人がいつものように口論しているのを、圭祐は三度目のくしゃみをしながら聞いていた。



 龍華隊の古株である青山は、首をかしげて顎に手を添え、沙霧の顔をじっと見つめる。

「隊長。四年前のいつ出産したんですか? 失礼ですけど妊娠姿はお目にかかってないですよ」

 子供と一緒に亀を虐めている隊士達が、そういえばと青山の顔から沙霧の顔へ視線を移した。沙霧は茶を啜りながら膝の上の命に顔を寄せる。

「命、どこから産まれたんだっけ?」
「おかあさんのおなかからうまれたんだよねぇ」

 命が沙霧を振り返って笑う。隊士達は改めて四年前の記憶を掘り返し、首を九十度に曲げた。

「四年前……四年前……。なあ龍華隊、四年前に長期遠征してなかったか?」
「してない、と思う……。遠征があったとしても、虎卍隊とは違って隊長と別行動なんかしないぞ」
「だよなぁ」

 沙霧の並外れた細腰では、子供の入った腹がごまかせるわけがない。
 謎だ、と誰かが呻くように呟いたあと、青山はぽんと手を打って沙霧に向き直った。

「お得意の呪術を使って胎外で育てたんでしょうか」
「なるほど! さすが青山さん、古株なだけありますね!」
「貴嶺様なら食虫植物の中で子供を育てることくらいお茶の子さいさいだし!」
「お前ら、そんなに私を化け物にしたいのか……」

 呆れ果てる沙霧の背後で襖が開き、和菓子の包みを手にした隆が入ってくる。沙霧に群がる隊士達を一望して微笑み、後ろ手で静かに閉めた。

「貴嶺さんは隊士に人気がありますねえ。みんな集まっちゃって、何を話してたんですか?」
「あっ、おとうさんだー!」

 沙霧の膝で、命がぴょんと飛び跳ねた。


 隊士達は呆然と隆を見上げ、それから命を見下ろし、最後に沙霧の顔を見つめて言葉を失う。
 沙霧がにやりと笑うと一同は仰け反って畳に倒れ、盛大な溜息を漏らした。

「姉御の子供ってのは嘘だったんですか……!」
「最初から、私の子供かと聞かれてそうだとは答えてない」
「だって先代との子供だっておっしゃったじゃないですか……」
「今の私に子供がいれば先代との子供だろうと思っただけだ」
「思っただけだ、って……」

 畳の上で悶えるマグロ達を不思議そうに眺めながら、隆は自分の息子の頭を撫でて座った。

「一人で来たのかい?お母さんは?」
「ばくちしてるよ。ひょっとこさんとこ」
「兵藤さんだよ」

 父親が隣にいても、命は沙霧の膝から離れずに亀を握り締めている。並んでみれば隆の子供だというのは一目瞭然だった。柔らかそうな栗色の髪といい、育ちのよさそうな顔つきといい、これほど瓜二つな顔も珍しいくらいだ。気付かない方が馬鹿なのだとは沙霧も甲斐も口にしなかったが、内心では同じ事を思っていた。

「うちも沙霧姉の子供やて思うたわ……」

 始終絶句して黙っていた冴希は、ようやく声を出して隆と命を見比べる。

「ほんま似とるなー。殿下の分身みたいとちゃう?」
「よく言われるよ。ねえ命。おじいちゃんに、お父さんの小さい頃にそっくりだって言われるよね」
「うん。タカシのちいさいころにそっくりだなあって言うよね」

 父親を呼び捨てにした命は、亀を隆に見せて無邪気に笑った。

「ねぇおとうさん、カメさんてどんな味するの? あぶらで揚げたらおいしいのかなあ?」

 途端に亀が硬直して隆を見上げる。その亀が沙霧の式神である四神の一人・玄武だと知っている隆は、しかし子供の純粋な心を打ち砕く事はしなかった。

「揚げるとおいしいかもしれないねえ。今度おうちでやってみようか」
「ほんと!?お人形さん、このカメさんもらっていい?」

 ギャーという亀の悲鳴は沙霧の耳にしか聞こえず、沙霧もまたそれを無視してにこりと笑う。

「いいよ。でもこの亀さんはよく逃げるから、ちゃんと持ってないとね」

 隆は沙霧に目配せしてすぐに返すと約束すると、和菓子の包みを開いて振舞った。

「カメさん、おかし食べてふとらないと、おいしくなくなっちゃうよ」

 手足を引っ込めた亀の甲羅に、命はきなこ餅をぐいぐいと詰め込む。気力の抜けたマグロ集団も匂いにつられてぞろぞろと起き、和菓子を口に入れると噛みもせずに放心状態を続けていた。
 そのうち一人が口からぼたっと餅を落とし、虚ろな目で呟く。

「“お人形さん”……。さすがは殿下の子供だ……ズレ方が一味違う」



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