二. 城下町まで、意外なほどあっさりと抜け道は続いていた。素人が作った道なのだから迷う事もなく、ひたすら一本道を中腰で歩くだけだったのだ。 「こんな抜け道があるなんて知らなかったな」 「まあ、普段はコソコソ出る必要なんかねぇけど。いざって時に便利だ」 「寒河江さんとこが外掃除だったから悪いんだよ。あの人の目を盗んで出られるはずがない」 晴れて自由の身となった宏幸と子分の五人は、そう言いながらいつものようにぶらぶらと町を歩く。野蛮揃いの虎卍隊の隊色である赤襟を見て、何人かが隠れるように家の中へ引っ込んだ。宏幸は退屈そうに欠伸をしてから、町といえばこれしかないとばかりに提案する。 「賭場行こうぜ、賭場」 「そうこなくちゃな。よし、今日もいっちょ張りますか」 「駒井の旦那んとこは休みだっけ?」 「月末まで店閉めするって言ってたな。やばい事でもやったんだろ」 「そんなの俺達に言ってくれりゃあ、後始末くらい任せろっつのに。なぁ高井さん」 「まーな。やくざの沙汰もコレ次第よ」 宏幸が親指と人差し指で輪を作ると、隊士達は違いねぇ、と爆笑する。 町ではよく知られている賭場へ入ろうと足を向けた時だった。 「あたしにイカサマ使おうなんざ、笑わせてくれんじゃないよ!!」 女の怒号が聞こえ、すぐに軒先から男達が転げ出てきた。転げ出たというより、放り投げられて向かいの店まで転がったような光景だ。宏幸達が入ろうとした店の中から男の悲鳴が次々と響く。 呆然と眺めているうちに、目にも眩しい色の着物を着た女が下駄を鳴らして軒先から現れた。手にはすらりと輝く刀が握られている。後から出てきた二人の男は顔や手足に怪我を負いながらも、女の足元へ唾を吐いて刀を抜いた。 「てめぇみたいなアマにゃ一銭も持ってかれるわけにはいかねぇんだよ!」 「女相手に真っ当な丁半博打は出来ないっての? あーそう。イカサマしなきゃ勝てない糞野郎の吹き溜まりだったってわけか」 「別嬪が刀なんか扱うもんじゃねぇぜ。女は家に帰って旦那に股開いてりゃいいんだ」 片方の男がそう言った直後、女の手首が素早く翻ったかと思うと異変が起こった。突然二人が一斉に後ろへ吹き飛ばされ、物凄い音と共に店が倒壊する。屋根瓦が粉々になって飛び散り、木戸や柱が砂埃を上げて倒れたのだ。女の足元から倒壊した店の中央へと、地面の亀裂が走っている。 信じられない光景に、町の誰もが足を止めて口を半開きにした。 女はふんっと鼻で息をついて刀を鞘に収める。 そこへ、五軒ばかり先の小料理屋から出てきた男が慌てて駆け寄った。 「姐さんじゃないですか! うちのモンが粗相をしましたか」 「兵藤さん、あんたメシ食ってたの? 粗相も何も、あたしにイカサマ使いやがったんだよ」 やや砕けた調子で、女は自分よりも低い男を横目で見下ろす。 「見ない顔だったから新入りだろ。ったく、小者は威勢がいいだけで使いもんにならないね」 「すんませんねぇ。手前の目が届かねぇばっかりに、姐さんにとんだ御迷惑を」 「スッキリしたからもーいい」 兵藤は低い背のわりに筋肉質の体だったが、躊躇いもなく女に頭を下げて倒壊した店の前に立った。瓦礫を被った男達が情けない格好で這い出てくると、襟首を掴んで手荒に引き起こし、拳を振り上げる。殴られた男は瓦礫の上に倒れ、そのまま失神した。半ば這い出た格好のまま、他の者が一斉に頭を竦める。 組長である兵藤は、無様な組の者を眺めて一喝した。 「馬鹿野郎が! 光琉の姐御に粗相があったとくりゃ、組の面目が立たねぇんだ!」 頭を竦めていた男達がさらに亀のように首を縮めて突っ伏す傍ら、光琉と呼ばれた女は髪を掻き揚げて着物の裾をぱたぱたと叩く。朝っぱらから刀一振りで建物一軒を破壊した女は、清々した顔で歩き出した。 口を半開きにして一部始終を見ていた宏幸は、隊士に肩を小突かれてようやく意識を戻す。 「高井さん。おい、高井さんってば」 「……あ? ああ、おう……」 「ああ、おう、じゃなくてさ……。今のすげえな、うちの姐御みたいだ。背もでかいし」 うちの姐御、とは沙霧の事だ。沙霧は異国の血が混ざっているので、並みの男よりも格段に背が高い。だが目の前で破壊行動をやってのけた女は、どう見ても異国の女には見えなかった。下駄の高さを入れれば宏幸を超している。 倒壊した店を見つめている宏幸をよそに、隊士達は興奮して意見を言い合った。 「あれだけ刀が使えるんだったら、うちに入隊すればいいのにな。もったいない」 「どっかの用心棒かもしれないぜ。強けりゃ女の用心棒の方が何かと都合がいいだろ」 「女の用心棒に慌てるのは高井さんくらいじゃねぇのか」 「あれで女の敵は苦手な人だからな。ま、そんなのは置いといて。兵藤組の女じゃない事は確かだ。どこの姐さんだ?」 「……ていうか、こっちに向かってずんずん歩いてきてるぞ」 「何だって……?」 隊士達がおそるおそる顔を曲げると、噂の女が目も逸らさずにこちらへ歩いてきた。自分達がびくつく理由はないはずなのに、無意識に姿勢を正して直立不動になる。女は宏幸の真ん前で止まり、その顔を無遠慮に左右から眺め回して頬の傷に目を留めた。 「あんた、高井宏幸?」 隊士達は互いに顔を見合わせて、驚きの顔をこれでもかと表現する。いきなり左頬の三本傷を女に突付かれた宏幸は、ぴっと毛を立てた猫のように目を丸くしていた。 「なんで俺の名前知ってんだ……?」 「あたしとそっくりだって聞いてるから。あとこの三本傷は滅多にないじゃん」 「聞いたって、誰にだよ」 突然の名指しに警戒心を強めた宏幸を見て、女はニッと笑う。 年齢が判別できない類の美人だった。 「見た目はなかなか可愛い坊やだね。野良猫みたいなとこが気に入ったよ」 それだけ言うと、女は意味ありげな微笑を残して去っていった。 宏幸のまわりでそわそわしていた隊士が、途端に質問攻めを開始する。 「誰よ誰よ、あの美人のねーちゃん! 一瞬高井さんの姉貴かと思ったけど、名指しだぜ?」 「なーんか意味深な笑い方で見てたよなぁ。一筋縄じゃいかないって感じの女だ」 「美人で強くて胸の谷間もばっちり。高井さんのタイプだろ。走ってって口説いてみたら?」 ほっておくといつまでも勝手な事を囃し立てる子分達に、宏幸は腕を振って止めた。 「うるせんだよてめぇら! いいか、問題はそこじゃねえ」 宏幸は倒壊した店を顎で示し、ごくりと唾を飲み込む。 「店をぶっ壊した刀の技……ありゃ隆さんの奥義のひとつだ」 「……マジかよおい!! なんであの女が殿下の奥義なんか使えんだ!?」 「知らねーからビビってんだろアホ! 双瀏旋なんか素人が簡単にできる技じゃねんだよ」 「そーりゅーせん?」 「奥義の名称。竜巻みたいな威力があるんで、面白いから俺も教えてもらったやつだ」 何かと閃く隊士、鳥居がぽんと手を打って人差し指を立てた。 「推測その一、あの姐さんは殿下の師匠。推測その二、あの姐さんは殿下の師匠の弟子。推測その三、あの姐さんは殿下の師匠のそのまた……」 「隆さんに師匠なんかいねぇっつの。全部ハズレ」 身元の定まらない女が残したものを、六人は黙ってもう一度見つめていた。 その頃、宏幸達が通ってきた隠し通路を使って江戸城の敷地内に向かう者があった。 毎度の事ながら衛明館に一騒動が起こるのは、これからである。 |
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