一. 「師走の初めといえば」 「酒」 「女」 「ヒマがねぇ」 「…………暇がない以外は普段と変わらねーな」 「無性にヒマが欲しい」 衛明館の二階の廊下をやる気なく拭きながら、虎卍隊の隊士は口々に呟いて溜息をついた。 師走に入ると大掃除が始まるのは毎年のことである。さらに冬場はこまごまと遠征がある為、夏と違って暇が仕事であるかのように勘違いできる日が少ない。遠征と遠征の合間を見計らって、集中的に大掃除をしなければならなかった。 「高井さん、あんたよくこんなの真面目にやってられるな」 隊士の一人が壁に寄りかかって座り、向かいの壁に雑巾を投げつけた。柱に登って天井の蜘蛛の巣を払っていた宏幸は、真下を見下ろして蜘蛛の巣の塊を落とす。 「真面目になんかやってねーよ」 「げっ、蜘蛛の巣が落ちてきた!」 「バーカバーカ。ところでお前ら知ってるか? この天井にゃな、衛明館から脱走できる道があんだぜ」 「二階の天井から?」 「西廊下の物置の壁に続いてんだよ。壁の中が空洞になってるらしくて、そこから地下道を通って城下町のどっかに出られるって話」 「マジ!? ていうか地下道って何の為に……」 壁を拭く真似をしたままの隊士が他の面々を見渡すと、壁に寄りかかっている隊士がぽんと手を打って天井を見上げる。 「あー、この衛明館って前は下女やら足軽衆が使ってただろ。だからだ」 「何がだからなんだ?」 「つまり夜中に人目を盗んで町に行き、マブやらオトコと逢引してたってわけ」 「ロクでもねぇ奴が作った便利な穴場か……使えるな。おい高井さん、まだ?」 「今探してん……」 「そこの虎卍隊、手が止まってるぞ。きびきびとやらんか!」 抜け道探しに高揚して手を止めていると、階段から黒い頭が出てきて一喝した。 隊士達が揃って舌打ちしながら振り返る。 「二階に何の用ですか御頭。俺たちゃ掃除について論議してたんですが」 「嘘をつけ。雑巾が落ちてるじゃないか」 「それは鳥居が勝手に投げたんです。他は真面目にやってました」 「オレだけ悪者にするなよ。お前らだって手止めて壁にブツブツ言ってたじゃねえか」 互いに責任を押し付け合いながらも、胡散臭そうなものを見るような目つきで浄次を睨んだ。 「用があんならさっさと済ましてほしいんですけど。御頭が幅取ってるせいで掃除ができねぇ」 「誰が幅を取っとるか! 普世はどこだ」 虎卍隊の隊長である弥勒の姿がない事に気付いて、浄次が肩眉を吊り上げる。柱に登ったまま口笛を吹いて梁を掃除する真似をしていた宏幸は、コンコンと天井を叩いて上を示した。 「上だよ。あいつの居場所っつったら屋根だろ。そんなことも知らねーでよく御頭やってんな」 宏幸の一言で、隊士達が一斉に馬鹿笑いして浄次を屈辱に陥れる。 浄次は鼻息を荒くして二階を一周し、再び虎卍隊の面々を見渡して一階に降りていった。 「何しに来たんだ御頭のやつ」 「いいよなー、御頭は将軍に年末報告してるだけだろ」 「それこそ俺たちには退屈だぜ。んで高井さん、天井は?」 浄次が降りたのを確認してから、宏幸は天井の板を一枚ずつ押して確認し始める。二本目の柱を登ったところで、南側の奥の部屋から女の嬌声が聞こえた。宏幸は蜘蛛の巣を掻き分けながら自分の部屋の襖を見下ろして悪態つく。 「あんにゃろう、女を部屋に連れ込みやがって。臭いが染み付いたら寝らんねーよ」 我躯斬龍の地面の修復を終えてさっさと戻ってきた甲斐は、侍女の一人を部屋に引っ張り込んでお楽しみ中だった。部屋を二等分にしているとはいえ、相部屋の宏幸にすれば迷惑な話である。 「ゆうべ遠征から戻ってくる前にヤってこなかったのかな、あの麻績柴さんが」 卍と書かれた襖の奥から聞こえる嬌声を聞いて、隊士の数人が恨めしそうな目を向けた。衛明館の中で堂々と女を抱けるのが羨ましいのだ。 「甲斐んとこ、帰り際に内輪揉め起こしてシメられたんだぜ。二班の奴ら十人くらい部屋で死んでるだろ」 「遠征の怪我じゃなかったわけかあれ……」 「女を抱く時間がないっつーだけでもご立腹なのに、おっかねー班長を怒らせるもんじゃねぇよな」 「そういう高井さんが一番麻績柴さんの逆鱗に触れてる気がすんだけど」 「俺はいーんだよ。相棒の特権」 ひそひそと話す隊士達の手には、すでに雑巾も箒もなかった。 宏幸はなかなか見つからない隠し扉に苛立ち、天井の話は嘘だったのかと相棒を責めたくなる。三本目の柱に登った頃には半ば諦めかけていたが、やる気なく天井に触れると、板の一枚がカタッと音を立てて浮き上がった。 「みーっけ」 ほくそ笑んで下を見下ろすと、同じように期待に満ちた顔ぶれが拳を握って見上げてくる。 「やった……! おい、脱走する前に雑巾とか片付けろ」 そこにいなければサボったのは一目瞭然なのだが、それでも証拠隠滅を成し遂げようとする隊士達は素早く雑巾を物置に放り投げ、部屋から刀と金を用意して出てきた。 「天井裏がどーなってるか知らねぇけど、一階の西廊下に向かえば降りられるはず」 「高井さんも用意したら早く来いよ。御頭の野郎がまた上がってくるとも限らないし」 柱を降りた宏幸と交代し、隊士達はするすると登って天井へ身を消していく。 刀と金を取りに部屋へ入った宏幸は、仕切り箪笥の向こうへ声をかけた。 「天井見っけたから出掛けてくるぜ」 「予想以上に見つけるのが遅かったネェ。教えたのが無駄にならなくてよかったけど」 侍女の喘ぎ声に混じって甲斐の返事が返ってくる。嫌味を付け加える事を忘れない相棒に、見えないと分かっていても中指を突き立ててやった。 「探索下手で悪うござんしたね。じゃ、あとよろしく」 「どうなっても文句言わないなら頼まれてあげるヨ」 「鬼。オミシバじゃなくてオニシバの間違いだろ、お前の苗字」 「……分かったから行ってらっしゃい」 呆れ返ったような声音の返事に、宏幸は今の言葉を流行らせようと目論んで部屋を後にする。 「うわわっ!」 一階の西廊下を掃除していた深慈郎は、目の眩むほど磨きあがった床に自ら足を滑らせていた。恥も外聞もなく見事にすっ転んで尻餅をつき、弾みで物置の壁に頭をぶつける。 「大丈夫ですか?」 祇城が覗き込むと、深慈郎は雑巾を握ったまま笑ってごまかした。 「大丈夫だよ。それにしても、米のとぎ汁で磨くとつるつるになるなー」 しかし祇城は深慈郎の言葉を無視して横を通り過ぎ、物置の戸をそっと開けて中に入った。何をしているのか尋ねようとすると、人差し指の合図で黙らされる。 「外山様が滑った時、ここから物音がしたんです」 「僕が頭ぶつけた音じゃなくて?」 「そんな派手な音ではありませんでした」 「……派手な音でごめん」 祇城のあとについて物置に入ると、湿っぽい空気がひやりと体を包み込んでくる。深慈郎は自分の腕を擦りながら、隊士の間で昔から噂されている西廊下の怪を思い出した。 「久遠……もしかして、西廊下の怪かもしれない」 「幽霊が出るというあれですか? 外山様は信じてるんですか」 「圭くんが見たって……」 「俺は信じてないからどうでもいいです」 祇城は少しずつ歩きながら物音を聞き取ろうとし、突然壁に耳をつける。 「この中だ。何かがいる」 「ええっ!? ちょ、ちょっと久遠、僕怪談って苦手なんだけど……」 「這うような音が聞こえます。鼠よりもっと大きなものが五、六匹、下に向かっている」 「ぼぼぼ僕、物置の外で待ってるよ……!」 深慈郎は四足で物置からカサカサと這い出し、波打つ心臓を押さえてまわりを見回した。 (まさか……まさか昼間から幽霊なんて出るはずないよなぁ。でないでない……) 今朝、自分の部屋にある小さな仏壇に手を合わせ忘れた事を思い出し、ぶるっと身震いする。すぐに祇城が顔色ひとつ変えずに物置から出てきた。 「壁、壊してもいいですか」 「は!? いや駄目だよそんなことしたら! ほっとこう。それが一番いいようんっ」 「盗賊が潜んでいたら危険じゃないんでしょうか」 「ああああそれはきっと大丈夫! なんたってほら、ここにいるのは隠密衆だしさっ……」 祇城は気になるのか、それからしばらく物置をじっと見つめて何かを考えているようだった。 |
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