青天白日
浄正は自室に皓司と沙霧を引っ張り込んで、平べったい皿に盛った正体不明の物を見せびらかしている最中だった。 「なんですかこれは」 皓司は三白眼の冷ややかな眼差しでそれを見つめ、呆れたように浄正を見返す。 沙霧も同じ心境らしく、縁側で太った白猫を抱えたまま首を捻って正体不明の物を見た。 「生け花」 浄正はさも得意げに言い、その出来栄えに満足している。 皓司と沙霧は目配せしたわけでもないのに、異口同音で否定した。 『雑草の塊を水に浸けたのかと思いましたよ』 縁側と目の前から同じ言葉が飛んできた浄正は、片眉をしかめて二人の顔を見る。 「お前ら見る目がないな。これからの華道はこーゆー形が流行るんだよ」 「この花が何という名かご存知ですか。それだけでも言えたらこの花形を認めますよ」 皓司は水盤を持ち上げて「雑草の塊」を掲げた。 「御形」 「違います」 「んじゃ女郎花」 「違います」 「えーっと、たしか忘れ草だ」 「往生際の悪い人ですね。檜扇です」 「花の名前なんかどーでもいいじゃん。生け花は完成が大事なんだし」 「これが生け花の完成品なら、私の実家はとうに潰れていますよ」 皓司の実家は華道の宗家である。父親が十一代目家元を継いでいた。 浄正は皓司の手から水盤をひったくって縁側に行き、沙霧の横に置いて顔を覗き込む。 「沙霧ー、これどうよ」 「それがいいと思うのなら、いいんじゃないですか」 「投げやりだな」 「飾ってみたら違う感じに見えるかも知れませんけど」 雑草に見えるものが高級棚に飾られたからといって薔薇になるわけではないが、浄正は沙霧の無感動な感想に満面の笑みで頷いて部屋の棚に飾った。 皓司はしばらくその棚の一帯を眺め、珍しくふっと笑ってみせる。 「なるほど、そこに置くと斬新ですね。周辺が乱雑で花の形など問題ではないというか」 「だろだろ」 けして褒めてはいない皓司を無視して、浄正はふとある事を思い出した。 「そういえば皓司、昨日俺が風呂から出たらもう部屋行って寝てたな」 「あの場はお開きだと思いましたので、先に休ませて頂きました」 あの場とは、浄次が実子ではないと言った時のことだ。それは腕立て伏せに続いてちょっとした騒ぎになった。 「呼んでも起きないんだもん」 「寝ようと思えば三秒で寝れますので」 「そうだっけか。俺十秒ぐらい」 「私も三秒です」 沙霧までもがそう言って茶を啜った。膝の上で白猫がぶなぁ、と一声鳴く。 のどかな昼下がりだった。 浄次は父親の部屋の前でそっと足を止め、深呼吸して襖に声をかけようとする。 だが突然聞こえてきた浄正の声に、不本意にも身体を強張らせて硬直してしまった。 「浄次の本当の親は今どうしているんだろうな」 浄次が今まで聞いたこともないような、哀愁を感じさせる声音だった。 「生後一ヶ月にもならない赤子を捨てるぐらいですから、産んだ事すら忘れているでしょう」 まるでその親であるかのように無情な皓司の声に続き、沙霧の声がそれに続く。 「場末の遊女が堕ろせずに産んで捨てたんじゃないですか」 「沙霧が言うと説得力があるな。たしかに遊女だったのかも知れん。浄次が橋の下に置かれていた時、簪が一本添えてあった。そこらの女が持つような代物ではなく、遊女が身に着けるような小洒落た細工だった」 浄次は両膝の横で拳を握り締め、今明らかにされようとしている事実に耐え忍んだ。 「俺はあの時誓ったんだ。隠密衆を託せるような立派な男に育ててやる、と」 しばしの沈黙があり、再び浄正の声がする。 「浄次が泣こうが喚こうが、俺は常に己を鬼にして厳しくしてきた。だが、今のあいつを見るとそれが正しかったのかどうかさえ自信がない。あいつは本当の親に捨てられた子供だ。もっと優しく接するべきだったのではないかと悔やんでいる」 「正しい道を見つけるのは貴方ではなく彼ですよ。御頭は育ての親としてやるべき事をやり遂げたのでしょう。あとは本人次第です」 「だといいが。最近の浄次を見てると、本当は実の親を探したいんじゃないかと思える」 浄次はこれ以上父親の悲痛な声を聞きたくはなかった。 襖を開け、縁側に座って肩を落としている父親に走り寄って飛びつく。 「父上! まさかそのように思って下さったとは知らず、身勝手な俺を許して下さい……!」 しかし、浄次は気付けばまた縁側に顔面から落ちて、小さな溜め池に片手を突っ込んでいた。 「事あるごとに縁側に落ちて楽しいか、浄次」 浄正のせせら笑いが背中から聞こえ、浄次はすぐに担がれていたのだと気付く。 「ち……ちち……父上ッ!! 今のは芝居だったんですか!」 「俺の感情移入はきれいさっぱりウソだが、捨て子は本当だぞ」 「すて…………いいえ、信じませんっ」 「強情っ張りだな。お前は捨て子と言ったらす・て・ご」 「では、俺と一緒に置いてあったという簪を見せて下さい!」 「違うちがーう。お前を捨てた親ってのは俺だ。俺がお前を捨てたと言えばお前はもう捨て子なわけ。分かった?」 「……って、俺を捨てたいんですか、父上!!」 「だって言う事聞かないしー、馬鹿だしー、十八にもなって女の一人も抱けないような腰抜けが息子だったら誰だってイヤだろ。皓司、お前がもしもこいつの親父だったら俺の心境分かってくれるよなー」 「存分に」 「沙霧だって、こんなのの母親だったら捨てたくなるよなー」 「捨てる前に殺します」 二人はにこりともせずに言い、浄次を一瞥して目を戻した。 「浄次、俺の息子になりたいならもっと賢くなれ。手っ取り早くいうとな、沙霧の服を脱がせて正面から胸を掴めるくらいにならないと俺の息子とは認めないぞ」 「横暴です! 沙霧の服をぬがっ……ぬ……ぶっ」 浄次は唐突に手で鼻を押さえ、部屋を横断して廊下に飛び出た。 綺麗な直線を作って畳に血の滴が点々と垂れている。 浄正は腹を抱えて笑い出した。 「あいつの顔見たか! バカ正直すぎて腹が痛いぞ俺っ!」 「ご自分の息子という事実は棚上げなんですね」 沙霧が横でぼそりと言うと、浄正は目に涙を溜めながら「うん」と答える。 「息子だろうと、俺と浄次はまったく別人だからいーんだよ。恥をかくのもあいつだけ」 浄正は二人が溜息をついているのも気にせずに、部屋を出て今の一部始終を言いふらしに行った。 浄正が引退する一年前の出来事である。 |
戻る | 次へ | |
目次 |