猛獣たちの夏
- Episode 2 -


四、


 ───何をやっているのか。
 庭木に着地した朱雀はあんぐりと口を開けた。嘴に咥えていた桃が落下する。

 二週間前から沙霧の家に居候し始めたエルが、昨晩帰ってこなかった。どうせ女でも引っ掛けてお楽しみだったのだろう、朝帰りのエルに「風呂沸かしてやろうか」とカマかけてみると、「凌んちで入ってきた」という。なんだマブダチの家に転がってきただけかと白けたが、エルは着替えながら真顔で「あのバカが風邪引いた」と恐ろしい事をのたまったのだ。
 この世にどれほど悪質な病原菌が蔓延ろうと斗上の人間は皆ケロリとしているはず。
 中でも超がつくほどの健康優良児が、風邪。
 夏に風邪を引くのはバカだけとはいえ、驚かずにいられなかった。

 そんなわけで昼頃なら薬も効いているだろうと、ひとっ飛びで見舞いに来たのだが。

 侍崩れのやくざ者を相手に庭先で暴れ回っている。すでに五、六人が倒れていた。気絶しているだけで命に別状はなく、刀を手にしても峰打ちに処するだけの分別があって何よりだ。
 仮に殺したとして正当防衛は通るだろうが、筋者を斬ったと世間に知られれば斗上の名に細瑕が残る。

 凌は風来坊のようでいて、何よりも『家』を大切にしていた。
 跡継ぎだからという使命感や責任感ではなく、家族愛が強い。どこへ行ってもどれだけ離れていても帰る場所があり、迎え入れてくれる人がいる事の幸せを重んじる。
 それを守る為なら手段は選ばない。
 且つ、匙加減というものをよく分かっている。
 頭の悪そうな言動も凌にとっては無意識に計算し尽くした完璧な人格で、花にかけては天才だった無知蒙昧の祖父とその生き様を見て計算高く育った父・瀞舟と、二人から受け継いだ強い個性を器用に生かしている世渡りの天才だ。
 蛇足だが、双子の玲には祖父と父の微妙な個性が色濃く出ていると思う。

 這って逃げる最後の一人の襟首を掴み、凌はにこりと笑って何事かを耳に囁いた。男は必死の形相で頷き、解放されると滑稽なほど慌てて仲間を一人ずつ裏口へ引きずっていく。

「アホらし……帰ろ」

 心配するだけ無駄であることは一目瞭然だった。




 一丁あがり。
 刀を叩くと、物の怪はくたくたになって元の姿に戻った。
 こいつは従順で賢い物の怪だ。何度か憑依させた事があって、自分と相性がいいのは知っていた。でも玲が怖いらしく、普段は天井の隅に隠れてばかりいる。もう何年もうちに住み着いているのだから慣れてもいい頃なのに。
 無残を極めた庭と稽古場を見渡し、自然と溜息が零れる。
 これを一夜で修復するのは不可能だ。親父には正直に謝ろう。

「あとは迷子の客を……はぁ、また頭痛くなってきた」

 家の中に迷子がいないか物の怪に調べさせ、裏庭へ向かった。
 ある法則に従って部屋を通っていかないと裏庭にたどり着けない忍者屋敷のような構造は、亡き祖父の遊び心から出来ている。改築しないでそのままにしておく親父も親父だが、今日ほどこの道のりがしんどいと思った日はない。
 息が上がり足がもつれ、また発熱かと涙目になった。
 やっとのことで裏庭に到着する。どこも荒れていないことにほっとした。

「玲、大丈夫? 今ヘンな客が来てたんだけど」
「大丈夫ではありませんわよ」

 洗濯物を竿に干そうとしていた玲が振り返る。

「凌の寝間着、冬物ですの? 重くて持ち上がりませんわ、手伝って下さいまし」

 はて、夏物のはずだが。冬物だってそんなに重いわけない。
 水を吸っているせいじゃないのかと近づいて手元を覗き込んだ。

「…………」

 玲が握っているのは着物の襟。
 びっしょり濡れた侍崩れの男が顔面を変形させたまま、その手中で伸びていた。
 ───洗濯物はそれですか。




 翌日昼すぎに帰宅した両親は、熱と咳で撃沈した息子と変わり果てた庭に呆れた。
 玲は素知らぬ顔で瑠璃屋へ出かけてしまい、俺は苦労して経緯を説明する。

「と、そういうわけでございます。ごめんなさい」

 実際、客が壊した部分より自分が壊した部分の方が多かった。燈籠めがけて客を投げ飛ばし、石を割ったり。割れた石を投げ飛ばし、稽古場の壁にめり込ませたり。その他諸々。
 しかし親父は驚いた様子もなく、布団にもぐっていた物の怪を引っ張り出して自分の膝に乗せる。小心者の物の怪は目をまん丸に見開いて硬直していた。

「成る程。では風邪が治ったら凌に庭を造り直してもらおう」
「庭を!? そんなの無理だよ、だって」
「やりもしないうちから出来ぬと何故分かる?」

 物の怪の頭を撫でながら、親父は俺に試すような目をくれる。

「花を生けるのも庭を造るのも基本は同じ。好きなように造ってみなさい」
「……地上絵にでも致しましょうかお父様」

 うまく丸め込まれた気がしないでもないが、そう言われてしまえばやるしかない。
 稽古場の庭は大勢の生徒や親父の知り合いが目にする。いわば家の要だ。最初から完璧な作品が求められる超難題に、いっそ死ぬまで寝込んでいたい気分だった。

「しかしこの程度の手合いで私を辱めようとは笑わせる」

 親父はそう呟いて立ち上がり、よく休むようにと俺に念を押す。
 あれ、と思った。

「ちょっと待った。今の発言って」

 障子に手を掛けた親父を呼び止める。
 今こう言わなかったか。『この程度の手合いで』と───この程度の手合い?

「もしかして……知ってた?」

 自分が不在の間に侍崩れ達が家へやってくることを。
 誰が彼らを仕向けたのかを。
 何が原因でこんな事になったのか、その全貌を。

「何、東北の御仁がいやに上機嫌でな」

 肩越しに振り返った親父と目が合った。

「お前の話ばかり持ちかけてきては、子供だけでの留守番はさぞ心配だろうと言う。乳飲み子を置いてきたわけでもないのに妙に案じてくれるので、これは先手を打たれたなと楽しみに帰ってきたのだが」
「勘付いておきながら日程通りに帰ってきたわけ!?」
「いやいや道中少し寄り道をして滝を眺めてきた。絶景かな、絶景かな」

 親父は人を食ったように笑いながら部屋を出て行く。
 先方との懇談はさぞ有意義なものに終わったんだろう。
 何せおふくろの恋敵。両親は五十を超えているから先方だってそのぐらいのはず。いい年こいたおっさんが未だに横恋慕して、想い人を奪った親父に復讐しようとしたわけだ。
 つまり、俺は巻き添え。
 病床の身で可哀相な被害者なのに、庭を壊しただの造り直せだの。

「……やられた」

 我が子に対する親父の信頼は絶大だ。絶大であるがゆえに度を超えている。

 入れ違いにおふくろがやって来て、庭の隅に桃が落ちていたと持ってきた。まさか侍崩れの所持品じゃあるまい。食欲がないから三人で食べちゃえばと言うと、おふくろはふと枕元を見て微笑んだ。涎を垂らした物の怪がじっと見ている。
 おふくろが桃を差し出すと、物の怪は尻尾を振って美味そうに齧りついた。






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