十八.


 浄正を城へ追い返した皓司は、「少しだけ見学したい」という名目を立てて兄との時間を欲しがる弟妹と、「せっかく来たのだからゆっくりしていけ」という名目を立てて美男美女を見たがる隊士たち双方の希望を、名目上の御頭に伺いを立ててから首を縦に振った。
 能無しでも上の者には顔を立てておかねばならないのは必然の事。常に名目と偽の上下関係が交錯する隠密衆において、皓司の振る舞いは実に抜かりなかった。それに対する浄次の方は、半ば脅されたような顔で神妙に頷くだけだったのは言わずもがなである。

「斗上さん。ついでがあるので手当てしましょうか?」

 部屋掃除に行くところで妹の登場に阻まれていた圭祐と他二人が、広間を立った。浮かない顔で真っ先に出て行こうとした甲斐の腕を掴み、圭祐はこっちがついでなのだと刃傷を指差す。

「そうですか。ではお手数ですがお願いします」
「兄上様……」

 心底から反省したのか、幾分大人しくなった玲が兄の袖を引いて呼び止めた。

「赤襟の犬どもが、本当に兄上様の下僕でございますの?」
「赤襟の方々が、私の部下です。どうかしましたか」

 兄も兄なら妹も妹、人の話など聞いてはいない。玲はあからさまに蔑視の目を向け、襖を開けた甲斐に顎をしゃくった。家業がやくざであったら、あと十年すればその態度も『姐さん』と呼ばれるに相応しい。しかし、斗上の家は断じて華道の宗家である。

「では、あの軟弱な犬の骨も兄上様の下僕なんですのね」
「彼が何か?」
「昨朝、こちらへ参る折に下町で声をかけられましたの。先刻も門の手前で赤襟の犬に絡まれましたわ。曲がりなりにも兄上様の下僕がこのような蛮衆揃いでは、如何と存じますけれど」

 行儀のいい龍華隊と氷鷺隊は、偶然ではあるが軟派な隊士は無きに等しく、緑襟と青襟の隠密衆が町娘を誑かしたという話も全く聞かない。どこ彼構わず無頼漢の名で通っているのは赤襟の虎卍隊のみ。「無頼漢」を「無礼講」と勘違いして調子に乗っているだけだ。
 ぴくりと肩を揺らした甲斐を尻目に、皓司は軽く首を傾げて妹を見下ろした。

「昨朝という事は、二人共どこかに一泊してきたのですか」

 城下から衛明館までの道に一日を費やすわけもなく、何ゆえ昨日の朝なのだと問う。それに答えたのは凌だった。

「ほんとはね、昨日ここに着くはずだったんだよ。だけど」
「凌があちこちへ寄り道するので日が暮れてしまいましたのよ」
「てことで、お袋が作ってくれた土産のお菓子はナマ物だから」
「わたくし達が宿で頂きましたので、代えの品は」
「どこやったっけ。俺が持ってたんだよね」

 ステレオで喋る双子に呆然とする隊士たちは、この兄弟妹の母上とは一体どんな女だろうと想像を巡らせて瞬時にイメージを消し去る。想像するにもおぞましい鬼子母神が、彼らの脳内でニタリと微笑んだせいだ。
 手土産の行方も有耶無耶に、凌は嬉々とした顔で圭祐の脇に立つ。

「ね、ね、圭ちゃん。同じ青襟だから、後ろのでっかい奴は仲間なんだ?」

 でっかい奴、と呼ばれた保智は、厄介な人間に目を付けられたと眉を顰めた。圭祐とは面識があるらしく、慣れ親しんだ口調で馴れ馴れしく圭祐の肩に手を置いている。

「僕の相方だよ。能醍さんね」
「ふーん。背は俺と同じだけどガッチリしてるし、強そう」

 そう言われ、保智は珍しく相手の顔を凝視した。目線が平行している。

「なかなかの男前ですなー能醍。圭ちゃんなんて簡単にひっくり返せるでしょ」

 圭祐の頭越しに覗き込まれた保智は、呼び捨てにされた事よりもその後の台詞に鼻持ちならず、お得意の仏頂面になった。

「……なんでひっくり返す必要があるんだよ」
「なんでって、それが男の甲斐性じゃね? 相方は美人だし」
「圭祐は男だ!」

 隠密衆に入ってから、自分は何度この台詞を吐いた事かと数える気にもなれない。当の圭祐は可笑しそうにくすくす笑うばかりで、女に間違えられたり女の扱いをされたり女の入れ物を持っているはずだと卑猥な想像をされても、一度として本気で腹を立てたことはなかった。

「あれま。すんごい損体質だね、能醍って」

 皓司の弟とは思えないほど蓮っ葉な凌は、保智の胸板を叩いて筋肉の厚みを確かめた。遠慮を知らない拳でドスンと叩けば、誰でも息が詰まる。呻く保智の前で、圭祐はにこりと笑った。

「保くんは見かけ倒しなんだよね」

 ね、と言われて釣られ笑いができるほど、保智は器用ではない。

「見かけ倒しで悪かったな……」
「いい筋肉がもったいないっていう意味だよ」

 悪気ともフォローとも取れる相方の言に、どう返せばいいものか。
 逐一言葉を探しては黙りこくる保智を、悲運と受難の神は見逃さなかった。

「このガタイで見かけ倒しなのか。そんじゃコッチくらいは鍛えないと」

 圭祐を片腕に抱き込んだ凌の手が、後ろに立つ保智の股間へと伸びる。

「ど……ッ!!」
「わお、ご立派!」

 わおも立派もあったものではない。
 赤にするか蒼にするかも定まらず、保智は硬化した顔を引き攣らせて腕を振り払った。どうせ一物も見かけ倒しなんだろう、だの、宝の持ち腐れなんだろう、だのとげらげら笑う凌から圭祐を取り上げ、一目散に廊下へ出る。
 圭祐のように笑って受け流すか、宏幸のように開き直って馬鹿に走るか、はたまた冴希のように勘違いして自慢に走るか───そのいずれも己の辞書に持ち合わせていない保智は、双生児が帰るまで部屋に篭って掃除に明け暮れようと誓った。



「私の妹が気に入りましたか」

 無言で廊下を歩いていた甲斐は、危うく前方の支柱に激突するところだった。

「いや……斗上サンの妹だとは知りませんで」

 知っていれば絶世の美女だろう絶倫の美女だろうが、一声もかけたりはしない。何が悲しくて、こんな男と血を分けた妹に手を出そうか。
 今思えばあの冷ややかな眼差しも、簪に仕込んだ刃物で返り討ちにするあの手際の良さも、どれもこれもが皓司の妹たる証拠だ。仮にあんな性格でなく純粋な女だったとしても、うっかり手を出して種付けしたとあらばその先の方が恐ろしい事態になっていたはず。そう考えるとこれは不運ではなく幸運なのだと思え、苦笑の一つも出ようというものだ。

「しかし美人ですネ。下町にはいないタイプだ」
「直訳すれば甲斐は私が好きなのですね」

 幸運だと思い直して余裕を取り戻した矢先、階段を踏み外しかけた。
 その自信溢れる直訳がどこから来たのか知りたい。

「むりやり曲げずに、そのままの意味で……」
「たまには素直になったらどうですか」
「あなたに言われたくありませんヨ」

 虎卍隊の隊士が無頼漢なら、隊長は頓珍漢だと甲斐は心中呆れた。一言喋れば三倍の答えが跳ね返ってくる。そんな人食い鬼に階段の中程で立ち尽くした背を押され、できるものなら後ろ蹴りの一発でも見舞って突き落としたい心境だった。

「妹を思い出したら私の顔でもご覧なさい。いくらでもお相手しますよ」

 結構だと断ったところで、これからまた嫌でも顔を合わせる日々になる。




 兄を連れて帰るのだと言い張る双生児が素直に帰路へつき、西日が傾いて数刻後。
 半日を睡眠に費やしていたにも関わらず、寝足りなさそうな眼をこすって広間にやってきた巴は、夕餉の並んだ卓に座してぽつりと言った。

「何か騒動でもあったんですか?」




戻る 進む
目次


Copyright©2006 Riku Hidaka. All Rights Reserved.