十七.


「兄上様!」

 またしても新たな闖入者が広間へ入ってくる。こうなるといい加減驚くには値せず、今度は何だと倦怠な態度で隊士たちが目を上げた。

「お久しゅうございます、兄上様……!」

 一同から「おお!」と珍妙な叫びが上がる。男は見飽きたが女には飽き足らない隠密衆、稀に見る美少女の登場とあらば目を光らせずにはいられない。斗上家の者である事などこの際どうでもよく、オカマでない事だけをひたすらに願った。

「凌がいるなら玲も一緒だとは思いましたが、遅かったですね」

 懐に飛び込んできた妹を抱き止め、皓司はいつになく柔和な微笑で問う。鬼と言えども所詮は男。やはり女には弱いのかと、その顔を盗み見た数人は毒気を殺がれた。
 玲は数年ぶりに会った兄の胸に頬を寄せ、はらはらと涙を零す。

「遅いのは兄上様の方ですわ! わたくし、待ちに待ち焦がれてこんな事まで……」

 そう言って袖から出したのは、千本近い五寸釘で飾られた藁人形。
 むしろ五寸釘で作られた釘人形とも言えた。

「詰め物は先代の白髪でしょうか」
「まあ汚らわしい。兄上様から頂いた文でございます」
「私ですか。道理で時々肩が凝ると思いました」

 何か間違っていると思ったのは隊士たちだけで、兄妹はさも当然のように微笑み合う。恍惚とした眼差しで兄を見上げた玲は、藁人形を放り捨てて兄の手を握った。

「兄上様……玲は、玲は一生この手を放しませぬ」
「有り難い事。放されては私も困りますよ」

 妹の手を包み返し、皓司は瞑目する。
 何と麗しい兄妹愛───というか妹の麗しさと健気な思いに胸を打たれた隊士たちは、故郷にいる家族を偲んで涙腺を緩ませた。

「俺の妹も、今頃こんな風に兄を思ってくれてるのかも……」
「俺の姉さんも……」
「俺の母上も……」

 男だらけの生活が長いと、女の本来の有り難味を忘れてしまう。身を案じてくれる女がいてこそ男が立つのだと気付いた隊士たちは、何故か皓司に向けて一斉に頭を下げ出した。

「斗上様! 女の存在を学ばせて頂き、ありがとうございます!」
「それは結構なお話ですね。身内といえども女性は恐ろしいものですから」
「は……恐ろしい?」
「疎かにするとこうなるわけで」

 頑なに放さんとする妹の手をやんわりともぎ取り、左手を一同に見せる。

「……そ、その手は……」
「見事に刺されました」

 五寸釘の一本が、皓司の掌に深々と突き刺さっていた。玲の手で塞き止められていた血が見る間に溢れ、畳へ滴り落ちていく。一滴一滴と落ちるに比例し、隊士たちの顔からも文字通り血の気が失せていった。

「兄上様。わたくしが如何に本気かお分かり頂けましたでしょう」
「よく分かりましたが、刺すならまず後ろの御仁ではないのですか」

 後ろの、と言われて一座も玲と共に首を巡らせる。
 いつからそこにいたのか、閉じた襖の端に寄り掛かって耳をほじっている男が、「あーあ」と間の抜けた感嘆詞を漏らした。

「俺の皓ちゃんを疵物にして、ただで済むと思うなよ。玲」
「先代!」

 ひとたび目につけば嫌でも視界に入る浄正の長身が、するりと襖から離れる。
 さながら大御所の登場を前にして、隊士は一同揃って畳に額づいた。これが浄次であったら、一同揃って浄次の頭を踏みつけるところである。

「お帰りなさいませー!」
「いや、何度も言うけど遊びに来ただけ」

 浄正はひらひらと手を振り、皓司と玲の前に立った。

「兄貴の部下をメコメコにしたと思ったら、今度は兄貴を殺す気か」
「何とでも申して下さいまし。わたくしの兄上様ですもの」

 兄に張り付いて離れない妹の背で、浄正は皓司の手に手拭いを巻きながら呆れる。

「あのな。戸籍はお前の兄でも、生身は俺の」
「脇から失礼致しますが、浄正様。兄貴の全ては俺のです」

 宏幸を投げ出して皓司の腕に絡んだ凌が、浄正の手を叩き落してにこりと笑った。悪質な黴菌が移るといけないので、などと言いながら手拭いを解き、自分の手拭いで巻き替える。

「欲張るといい事ないぞー、凌。戸籍の皓司は玲のもの、生身の皓司は俺のもの。てことで、俺の手拭いに付いた皓司の血はお前のもの。そんで良し」
「おじさんは老い先短いんですから、無欲に徹して修道に入られたらどうですか」
「子供たちは老い先長いんだから、焦らないで母ちゃんの乳でも吸ってなさい」
「では兄上様の唇でも吸っておりますわ。さ、兄上様、兄妹の契りを」
「こらこらこらっ、待ちなさい! だからそれは俺の!」

 三十ほども年の離れた子供を相手に、浄正は地団太を踏んで叫んだ。

「よく聞け小僧ども! 俺のものは俺のもの、皓ちゃんの全部も俺のもの!」
「でしたら貴方に上野を追い出されたこの私は何なのでしょうかね」

 能面に徹した皓司に正面から見据えられ、浄正の喉がぐぅと詰まる。軍配はこちらにありと、斗上家の双生児は瓜二つの顔で微笑した。

「兄貴を追い出した身分で何を申されるやら」
「片腹痛いとはこの事ですわ」

 それには海よりも深い言い訳があるのだと言ったところで、双子は聞く耳持たずの体。
 浄正の頭に犬の垂れ耳が見えるようだと思った皓司は、弟妹の猛攻撃を制して三人とも座れと促した。促すというより有無を言わさず命じたという方が正しく、兄には素直で従順な双子も、皓司には頭が上がらない浄正も、大人しくその場に座る。

「貴方がたが何をしに来られても構いませんが、これだけは申し上げておきます」
『はい』

 双子のみならず浄正までもが正座の姿で、三人は同時に返事をした。

「一つ、凌と玲は私の大切な弟妹ですが、ここは家ではありませんよ。分を弁えなさい」
『ごめんなさい』

 周囲で同じく正座したままの隊士たちに紛れて、保智はうまいものだと感心する。自分にも年の離れた弟が二人いるが、叱る時は感情に任せて叱ってしまう。そうなると相手もむきになり、謝るどころか噛み付いてくるのだ。その原因は、皓司の説教を聞いて分かった。
 とどのつまりが、飴と鞭。
 褒めながら叱るのが効果的なのだろう。おだてながらとも言えるが、皓司の弟妹が兄を慕っているなら兄もその思いを返し、その上で拳骨を食らわせれば、恨みを買うどころか素直にならざるを得ない。自分に同じ事ができるか否かはさておき、本当に器量の違う人だと思った。

「一つ、私が是と申し上げたからには心配ご無用。本陣に用がないのならお帰り下さい」
「皓ちゃん、そりゃつれない……」
「ほう、つれないとは聞き捨てなりませんね」

 膝頭をついと浄正へ向け、皓司は射抜くような眼光で向き合う。

「私に仕事を命じたのは貴方でしょう。その貴方がこんなところで油売りですか」
「いや、言いだしっぺとしては責任が……」
「一切の責任は私が担っております。いま貴方が負うべき責任は若君でしょうに」
「……ごめんなさい」

 昔は全国諸所から鬼と呼ばれた先代御頭も、現役の鬼にはまるで敵わず。
 果たして皓司が最強なのか浄正が劣ったのか、はたまた両方か。
 隠密衆はこの一件で、先代の影よりも皓司の影が色濃くなったのは言うまでもない。




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