十五.


「本当に博打したことないんスか、斗上さん……」
「ございません」

 花札で惨敗し、それならと丁半に変えてみたのだが、何の神が取り憑いているのか皓司はただの一度も「参りました」と言わなかった。
 座した膝の脇には眩しく積まれた小判の山。座した膝の前には土下座の赤鉢巻隊一同。生活費どころか貯金までなくなったので返してくれと、隊士達は首が落ちるのを覚悟で泣きついている。

「どうか後生でございますのですからにー!」
「一枚でも結構ですので乞食と思うてお返し下されでございますー!」

 これが捨て身の覚悟というやつかと、野次たちは面白そうにその光景を眺めた。
 転がっている賽を二つ手に取った皓司は、目の前に揃った旋毛をちらりと見る。

「返して欲しければ───」
「何でも致しますっ!」
「今から私と刀で勝負して下さい」

 またか、いやそれはまずい、と俄かに青ざめた虎卍隊は畳の跡がついた額を上げ、皓司と目が合うと再び派手な音をさせて額づいた。ただ一人、額を上げたままで止まった宏幸が、目を光らせて立ち上がる。

「します! 俺と勝負して下さい!」
「今日は無しだと言ったでしょう」
「そんなこと言わずに今日も……」

 是非、と発した宏幸の首が、広間の入り口へ回った。
 襖を開けて入りしな、両手に荷物を抱えた皓司が微笑する。

「その根性は気に入りましたがね」

 ざわりと場がどよめき、そして静まった。
 奇妙な現象が起こったのだ。
 同じ人間が、二人いる───


「あー斗上さん! ちょっと聞いて下さいよ! いま斗上さんと博打してたんスけど、財布も(かめ)の中もスッカラカンになっちまって」
「私の生霊が失礼しました」
「いやマジでもう、失礼ってか生霊に金返せって言……って……」

 座る皓司を指差し、立っている皓司に告げ口を働いた宏幸は、そこでようやく自分が何をしているのか自覚した。真顔で二人の顔を往復し、指を動かし、その反復運動が徐々に速くなっていく。

「……斗上、さん……?」
『はい』

 双方から返事が返ってきた。

「……斗上さんっ!?」
『何ですか』

 その瞬間、黙りこくった野次達は宏幸の口から魂が飛び出るのを見た。
 二人の皓司は互いの存在を認めると、涼しい顔で見つめ合う。

「自分の生霊を見ると、死ぬと申しましたか」
「本体が死ぬと、生霊はどうなるのでしたか」

 くるりと振り向いた二人が、広間に問いかけた。大仰に後退した隊士たちは、一心に首を横に振り続ける。ひとまず二人とも消えてくれ……一様にそんな表情を浮かべていた。

「本体に戻って下さる気はありませんかね」

 荷物を抱えた皓司が言うと、手の中の賽を畳に転がした皓司が立ち上がる。
 一挙一動どちらも偽者と言い難いほどに優雅で、この世の何よりも不気味だった。

「本体が何も手にしていない状態でないと戻れませんよ」
「成る程」

 何が成る程であるのか知らないが、隊士たちは頭の天辺まで石化したまま、皓司の本体と生霊が融合するのを見届けようと目を見開く。もはや分裂して増えた皓司の姿など二つも見ていたくない、というのが本音だった。戻ってもらわなければ鬼が二匹になるだけだ。
 神よ仏よとそれぞれの心中で念仏が唱えられる中、荷物を下ろした皓司と歩み寄った皓司は、鏡のように向かい合った。
 一方の手が一方の肩に手を掛ける。

「本体に戻ってよろしいですか」
「死ぬわけには参りませんからね。戻ってらっしゃい」

 本体と生霊が、同時にふと笑い合った。
 そして、一つに融合する───


「会いたかったよ兄貴ーっ!」

 本体の肩に手を置いていた生霊が自分に抱きついた。しかし、いざ融合の時と思えど分裂したまま何も起こらないじゃないかと苛立った隊士たちは、間を置いてようやく腕を持ち上げる。

「……あに、き……!?」

 ひしと抱き合う二人の皓司を前に、縁側で傍観していた隆が笑い出した。

「みんなすっかり騙されちゃって。あー面白かった」

 人の珍事を笑うとは何事かと一斉に隆を振り返る隊士たちの後ろで、やはり最後まで傍観を決め込んでいた圭祐も笑い出す。

「ちょうど着物の色合いも似た感じだから、分からなかったよね」

 フォローしつつも最初から分かっていた圭祐は、廊下に立ち尽くしたままの保智と甲斐を見てまた笑った。廊下の二人は無言で顔を見合わせ、つまらない手に引っかかったものだと嘆息する。

「少々悪戯が過ぎたようですね。愚弟に代わってお詫び致します」

 愚弟と言いながら、タコのように吸い付いている弟を腕に抱き込んだ皓司が、軽く頭を下げた。隊士たちは引き攣る笑顔で「いーえーとんでも」と口にし、よもや鬼の家族をこの目で見る日が来るとは思わなかった、などと影で囁き合う。
 『家族』という言葉に最も縁がなさそうだと思われている皓司は、周囲の反応も気にせず弟の左目の下を指で拭った。何かで隠していたらしく、拭われた部分に泣き黒子がひとつ現れる。

「黒子を隠して何になるんですか。凌」
「兄貴になんの。ていうか、なってた」

 こつんと叩かれた頭を押さえ、凌は一寸の身長差もない兄の腰に腕を回して満足そうに口元を緩めた。

「だってみんな俺のこと『斗上さん』て呼ぶし、間違ってないし」

 確かにそうだと納得し合う隊士たちを一望した凌は、はたと兄から離れて一同の前まで行き、畳に正座したかと思うと折り目正しく三つ指をつく。それは、皓司が突然やってきて浄次の前に額づいた昨朝の出来事を彷彿とさせる、十二分すぎるほどに洗練された姿勢だった。

「申し遅れまして、私、斗上 凌と申します。自慢の兄がお世話になっております」

 深々と一礼した凌の背に皓司の姿があり、隊士たちは身震いする。
 あの兄にしてこの弟あり、ということか。
 双方ともに引けを取らぬ美貌を持ち、双方ともに引けを取らぬ悪代官。
 親の顔が見てみたいものだ───口に出しては言えないが、考える事は皆同じだった。



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