十四.


 一仕事を終えた畑のじい様のように伸びをして、浄正は本丸を出た。
 千早丸には一日の課題を言い渡し、少し城内を散策したいと告げて抜け出してきたのだ。

「今頃どうなってるやら」

 想像するだに恐ろしいとぶつぶつ呟き、衛明館へ向かう。

 昨朝、皓司という名の狂犬を送り込んだ、隠密衆の本陣。
 自分がいた頃とはまったく違う気風に染まったあの屋敷は、一日を経て炭化しているかもしれない。燃える塵は燃やし尽くせと言わんばかりに、派手にやったのだろう。果たして虎卍隊の面々がどのように変貌したか。

(特に宏幸だな。あれは面白い)

 以前に衛明館へ乗り込んだ時、初顔合わせで彼が自分に言った言葉を思い出す。

 ───カンと一発勝負でてめぇの命を賭ける奴は、今頃生きちゃいねえっスよ

 いい目をしていると思った。自負するほどの腕でもないが、鍛え様によってはいくらでも伸びる腕を持っている。そこに、皓司だ。これを目玉と言わずに何と言おう。よもや斬り捨ててはいないだろうなとつまらぬ不安も過ぎったが、狂犬とてただの狂犬ではない。その心配は無用だろうと、衛明館の門の脇を通り抜けた。

「……何だ?」

 門の前に、死体が四つ。
 下駄先で突付いてみると、かすかな呻きが聞こえる。外傷は首に浅傷が各一筋、その他は横っ面が腫れ上がっていたり投げ出された手の甲が凹んでいたりと、隠密の手口ではないにしろ相手が優勢にあった事は一目瞭然だった。

「おい、門衛。最後に誰が出入りした?」

 門の外に顔を出すと、槍を掲げた門衛の一人が浄正の顔を見てぎょっとし、踵を揃える。

「は……ええと、最後はお嬢様でございます」
「お嬢様ぁ?」
「ご家族に会いに来たそうで、手形も拝見しましたが」

 衛明館に寝泊りしている隊士の家族には手形が宛がわれ、江戸城内は立ち入り禁止だが、城内片隅の衛明館にはそれを見せれば入れるようになっている。何とも薄っぺらいシステムだが、時代が時代なので仕方ない。城内からは衛明館の門を通らずとも敷地内に入れるので、浄正はわざわざ門まで行って内側から開門を唱えたのだ。

「門の内側で四人が斬られてる。騒ぎは聞かなかったのか」
「いえ、何も聞こえませんでした……というか、いつもの事で」

 ひとたび衛明館の敷地に入れば、やかましいのはいつもの事。騒ぎも悲鳴も聞こえて当然なのである。今一度騒ぎがあったからといって、不審に思うわけもない。
 目頭の熱くなる話だと浄正は呆れた。
 転がる四人にちらりと目を向け、どれも赤鉢巻だと確認して衛明館へ歩き出す。

「ま、大事には至ってないからいいか。ご苦労」




 浄正が訪れるより少し前、件のお嬢様が門を潜るよりもさらに少し前。
 衛明館ではちょっとした怪奇現象が起こっていた。

 広間にて皓司と花札勝負をしていた宏幸と子分が一戦でボロ負けし、野次たちが様々な絶叫を上げる。その傍らで、何もする事のない保智は自室の掃除でもしようと立ち上がった。年が変わってから一回も畳を掃いていない。

「どこに行くの、保くん?」

 野次に混ざって見ていた圭祐に気付かれ、保智は隠さねばならない事でもないのに口篭る。

「いや……部屋でも掃除しようかと」
「そっか、じゃあ僕も手伝うよ。甲斐くんも来て」

 二人の部屋を掃除するのに何故こいつが必要なのか。そんな疑問を浮かべた保智の単純な顔を見上げ、圭祐はくすりと笑った。

「消毒してあげないとね。さっき左腕を切ったから」
「ケースケは優しいネェ。おれのお嫁さんにならない?」
「甲斐、お前な……」

 胸倉に掴みかかろうとして、保智は寸での所で手を引っ込めた。憎たらしくとも相手は鬼のシゴキで怪我人の身。どれだけ口が動こうとも、虎卍隊全員が満身創痍なのだ。宏幸も花札の最中に腹へ手をやってはうんうん唸っていた程であり、それらを手荒に扱うのは酷というもの。
 などと一人考え込んでいる隙にも、甲斐は圭祐にちょっかいを出し、圭祐は冗談と分かっているのか笑顔で躱し、さっさと広間を出て行ってしまう。日に一度は自分の鈍さを省みている保智は、髪を掻き回してその後に続いた。


 三人が廊下を歩き出してまもなく、玄関先から外の冷気が入り込む。
 戸口が開けられ、コツンと履物の音がした。

「あ、お帰りなさい。寒かったでしょう」

 振り返った圭祐がぱたぱたと駆けていき、帰ってきた男の手荷物を受け取ろうとする。

「自分で運びますから結構ですよ」

 やんわりと微笑した男が、脱いだ履物を揃えて再びこちらに向いた。
 見間違うはずもないその顔に、保智と甲斐は開けた口を同じくして絶句する。

「おや、どうかしましたか。物の怪にでも会ったような顔をして」

 物の怪よりも怖い性格をして、何を言うか───保智と甲斐がぎこちなく顔を見合わせ、互いの目に「どういう事なんだ」と無言をぶつけ合う。

「何ですか、あの二人は」
「え? あれ本当だ、二人ともどうしたの?」

 保智は抜ける寸前の足腰を何とか持ち堪え、小刻みに震える指で広間の方を示した。

「……広間に、高井さん達といる、あの……あの……」
「保智。何を言っているのか分かりませんよ」
「何をって……斗上様……広間にいたんじゃないんですか!?」

 広間を出る時も、宏幸が皓司に二度目の勝負を申し込んでいたのを聞いている。返事をした皓司の声も聞こえた。それなのに、たった今外から帰ってきましたという風体で荷物を抱えてきたこの男も、皓司本人なのだ。

「私が広間にいたのは一刻前で、相模へ行くと申し上げましたが」
「いや……そう、じゃなく……」

 保智と甲斐が言葉を失っている時、茶でも噴いたのか着物の前面を濡らした浄次が角から現れた。皓司を見つけるなり、怒り心頭といった顔でずかずかと詰め寄る。その合間にもくしゃみを連発し、皮の剥けた鼻を啜り上げた。

「斗上! 何が七草だ、あの薬は……あの薬はな……!」
「薬? 毒でも盛られましたか」
「同じ事を二度も言うな! あの薬、杉の粉末ではないか!」

 最後に一際下品なくしゃみをし、浄次は白い紙包みを丸めて皓司の足元に投げ捨てる。それを拾い上げて開いた皓司は、僅かに残った粉末を指に取って匂いを嗅いだ。圭祐がその手元を覗き、首を傾げる。

「杉の粉末って、何でしたっけ」
「花粉が多く含まれるものですよ。体質によっては、摂取するとあのようになります」

 あのように、と示された浄次はすでに踵を返し、止まらぬくしゃみを方々に撒き散らして角に消えた。浄次がここ数年で花粉に弱い体質になった事を思い出した圭祐は、花粉の飛ばない冬でもこういう手段を使えば同じ症状になるのかと納得する。

「……で、斗上サン……まさか生霊っていうオチじゃ……」
「貴方まで何ですか、甲斐。言語障害の薬などありませんよ」

 それなら幻覚障害の薬をくれ───保智と甲斐は心中そう呟き、この不気味な現象を前にしてさも平然としている圭祐へと救いの目を向けた。粘りつく視線を受けた圭祐は、きょとんとして甲斐を見返す。

「広間にいる人、斗上さんの弟さんだって知ってたんじゃないの?」
「……は?」
「あ、でもさっき初めて見たって言ってたんだよね」

 我躯斬龍から戻った直後の会話を記憶から引っ張り出し、何度も反芻した甲斐は、てっきり圭祐が「“博打をする皓司の姿が” 珍しい」と言ったのだと思っていた。
 自分もそのつもりで話していたのだ。「“鬼が博打をする姿は” 初めて見た」と。
 対して圭祐は、「一度だけ見たことがある」と答えた。

 それが何の食い違いか、いきなり『弟』などという第三者が紛れ込んでいる。
 否、紛れ込んでいるだけならまだしも、だ。
 どう考えても皓司本人としか思えなかったあのドッペルゲンガーの言動は、誰が見ても偽者だと疑う余地はなかった。ニセ皓司の姿を見ていなくとも声だけは聞いていた保智ですら、当人だと思っていたのだ。

 放心している保智と甲斐に歩み寄った皓司は、二人の目の前でパン、と手を叩く。

「事情は大体解かりました。二人とも、突っ立っていると風邪を引きますよ」




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