十二.


 前日に二食を抜いた虎卍隊のほとんどが驚異の回復力を見せ、凄まじい形相で朝食を平らげて半刻。皆その場に正座したまま、皓司の顔色を窺っていた。あの調子では今日も朝食後に我躯斬龍へ集れと、何食わぬ顔で鬼っぷりを発揮するのだろうと思っていたのだ。
 しかし皓司の口から放たれた言葉は、今日も虎卍隊の度肝を抜くに値した。

「昨日の今日では何ですから、本日は平常通りにどうぞ」

 誰か鬼の飯に解毒剤でも入れたのか───隊士の顔に、そんな疑問が浮かび上がる。

「……ほ、本当に、よろしいんでしょうか……」

 半信半疑どころか全身で不信を露にし、恐々と疑ってかかった隊士の再確認に、皓司は迷いなく頷いた。その隣では隆が後光を背負い───背中から差し込む朝日がそれらしい───目が合うと仏の微笑を浮かべる。一体全体、どういうオチなのか。
 顔に痣、首に痣、服を脱がせば全身に打撲傷を拵えているであろう虎卍隊一同を代表し、宏幸は横で薬湯を啜っている相棒の肩を力いっぱい叩いた。

「斗上さんていい隊長だな、甲斐!」
「だそうですヨ」
「嬉しい評価ですね。私も緊張が解れました」

 涼しい顔して、何をいけしゃあしゃあと。
 叩かれた肩口の疼痛を堪え、甲斐は一気に湯飲みを空ける。


 甲斐とて、皓司のやり方が気に入らないわけではなかった。否、白黒つければ好きなのだ。
 入隊当初からの紅蓮隊が四年前に名を消し、皓司の後を継いだのは口先ばかりの浄次をさらに始末悪くしたような能無し男。甲斐の知る限り、紅蓮隊の系列はそこから崩落した。隊長が替わっても隊士はそのまま、上司と名称が変わるだけだ。だというのに、皓司に叩き上げられてきた者は皆、面白いほど気が抜けたように落ちぶれていった。元・紅蓮隊の隊士がわずか三分の一しか残っていないのもそのせいだ。
 皓司と入れ替わりに入隊し、一班長になった宏幸の馬鹿っぷりに当てられたのか。
 それは、恐らく違う。
 確かに宏幸は馬鹿で頭を振れば賽の音しかしないようなゾロ目の阿呆だが、能無しではない。比較するなら一年間だけ隊長役を飾っていた弥勒の方が、能無し度合いは上だった。誰がどう見てもあれは人の上に立つ器じゃない。

 我慢はしてこなかった。上が能無しならば、いくらでも好きなようにやれる。しかしこうも阿呆揃いでは、自分ひとりが何をしても無駄な気がしていたのだ。沙霧が辞職した理由もまんざら分からないではなかった。
 そんな疲労感が滲み出てきた頃になって、思わぬ人の「不本意ながら」の復職。
 願ったりだ───顔をつき合わせた瞬間、本気でそう思った。

 が、現実というのは斯くも酷なものであり。


「斗上サンの言葉を額面通りに受け取るとは……ネェ」

 博打だ何だと叫び合い、だが前日の打撲で身体が思うように動かない虎卍隊の面々は、畳を転がりながら気が触れたように笑っている。宏幸などは廊下に走り出ようとして見事に腰から崩れ、倒れた拍子に襖に穴を穿ち、帳簿を手にしていた圭祐から「天引きね」と一撃を食らっていた。

「まるで私が本心と逆の事しか言わない人間のようですね」

 卓を挟んだ斜め向かいから、皓司がこちらを見る。その手に差し出された湯飲みには、きっちり二杯目の薬湯が注がれていた。

「おや、違うんデスか。本心を喋った事なんて過去にありました?」
「少なくとも昨日は喋りましたよ。貴方は相変わらず詰めが甘いですね、と」

 まったくだ。
 お得意の二刀流を一刀にするほど見くびられ、反撃できなかった自分は完全に敗北した。そして今日もまた、ああ言えば皓言う……ならぬ、ああ言えばこう言う会話で詰めの甘さをなじられる。誰も皓司の本心など知るわけがない。

「あなたも相変わらずで。少しは丸くなったかと期待したんですが」
「それはそれは。ご期待に副えず申し訳ありませんでしたね」
「こちらこそ、至らなくて申し訳ございませんでしたネ」

 隊長自ら注いでくれた薬湯をありがたく頂戴し、甲斐は立ち上がって圭祐を呼んだ。




 目の前で繰り広げられる光景に、保智は開いた口が塞がらなかった。
 甲斐が圭祐を呼び、圭祐がついでだからと保智を呼んだのだ。ついでとは何だ、と逐一突っかかったわけではないが、本当についでの身分で所在が無い。それどころか、朝からこんなものを見せつけられるのは何故かと疑問が止まなかった。

「あ、甲斐…く……」
「失礼」

 隅に立ち尽くし、二人がいたしているコトの成り行きを傍観する。
 目を逸らそうと思えど、逸らせない。
 次第に間隔が短くなっていく二人の息遣い、途切れ途切れに交わされる言葉。
 二人のしている事が、自分に何の関係があるというのか。その行為は二人にしか関係ないだろうに、自分まで誘われた意味が分からなかった。とりあえずそこで見てて、と圭祐に言われたので突っ立っているだけだ。

「……も、やめよ?」

 眉目を顰めて見下ろす圭祐の下で、甲斐は長い息を吐いた。

「疲れた?」
「僕は、平気だけど……」

 圭祐が甲斐の顔に手を触れ、つと流れた汗を指で掬い取る。

「甲斐くん、これで膝をついたの四回目だよ……?」

 その言葉にとどめを刺されたのか、ぐぅと喉を鳴らして前のめりになった甲斐は、地面に両手をついて喘いだ。屈んだ圭祐は即座に刀を収めて脇に回り、背中を擦ってやっている。
 要するに、圭祐と手合わせをしたはいいがまったく本調子でない甲斐は、元々いい勝負である腕前の圭祐に応戦するのが精一杯だった。手加減は無用と自分で言っておきながら、加減なしに打ち込まれた一撃を防ぎ切れず、己の刀で左腕を傷つける羽目になる。
 それでも三人衆に継ぐ実力を備えた二人の戦いぶりは、なかなかに苛烈で目を見張るものがあった。自分が筋肉ばかりの木偶の坊と呼ばれる所以も納得だ。認めざるを得ない二人の能力を目の当たりにし、保智は己の落ちこぼれ度合いを再確認した。

「午後からにすればよかったね。まだ調子が戻ってないし」
「時間が惜しいからネェ」

 その場にぺたりと座り込んだ甲斐は、後ろ手をついて檻の空を見上げる。
 吐く息が雲のように見え、流れを目で追った。その先にいた圭祐が、じっと見つめているのに気付く。運動後のせいかほんのり色づいている頬を緩めて、圭祐はふふっと笑った。

「やっぱり嬉しいんだ、斗上さんが戻ってきたこと」

 確信を持って尋ねられては、苦笑するしかない。

「歴代の隊長を思えば、鬼も仏も大歓迎ダヨ」

 確かにね、と悪びれもなく賛同した圭祐に、放り出していた刀を手渡される。もう一戦お相手願えますかね、と頼みつつ腰を上げようとすると、前からトンと押されて尻餅をついた。

「いつでも付き合うから、ひとまず午前中はこれで終わり」
「……午後は?」
「いいよ。三時くらいからね」
「じゃあ夜伽もついでに」
「保くん、肩貸してあげて」

 呼ばれた保智は、そこで自分が誘われたのはその為かと理解する。刀を持たせれば尋常でない力を見せるものの、普段の圭祐は男ひとりを担げるほどの体力を持ち合わせていない。よくよく鈍感だな、と自分に呆れ、保智は我躯斬龍の中に入った。

「何、ヤスが担いでくれるの?」
「……嫌なら自分で歩けよ」
「とんでもない。おんぶして、おんぶ」

 何がおんぶだ。子供の頃も、そんな風にねだっては人を体よく足に使ってくれた幼馴染を見下ろす。が、嘘でも鬼になれない不器用族の筆頭とも言える保智は、不承不承といった顔で甲斐の前に背を向けてしゃがんだ。

「馬鹿だネェ、お前も」
「なに……?」

 何とかスタイルのまま振り返ろうとし、その背に体重がかけられない代わりに軽く蹴られたと分かったのは、前転して無様に転がった後。
 逆恨みもいい加減にしてくれ───そんな呟きが保智の口から虚しく零れた。



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