七.


 我躯斬龍が微妙な空気に包まれている頃、隆は自室に戻って自前の刀を研いでいた。
 何事もなければ週に一度、遠征が入れば前日後日に必ず研いでおく。
 習慣となった作業でも、今日は普段に増して念入りに手入れしようと気合を入れ、棚から小道具一式を取り出した。ついでに、使っていない数本の太刀まで引っ張り出して並べる。

「まだまだ負けていられないしな」

 微かに聞こえてくるざわめきに耳を欹て、ひとり可笑しそうに笑った。




「何を迷っているんですか。頭より手足を動かしなさい」
「ごふっ!!」

 一人、また一人と、檻の四隅に弾き飛んでは金網を滑って死んでいく。

「戦法はよろしい。足腰を鍛えて出直しなさい」
「は……ぐわっ!!」

 斬ると見せかけ、実際には寸でのところで翻された刀に峰打ちされているだけだが、打撃はそれだけに留まらなかった。

「敵の得物が刀一本とは限りませんよ」
「し……どわぁっ!!」

 片手ひとつで自在に刀を操り、最初に立った場所から一歩も動いていない皓司の左足が、反動も見せず脇腹に飛んできた。隊士は目を剥いたまま宙を舞い、頭から着地した時には意識ここに在らずの体。四隅には五十人近い隊士が生ける屍となって積み上がっていた。
 首を取れと宣言してから、ものの五分もかかっていない。

「……斗上さんて足もいけるのかよ」
「足どころか空いてる左手もいけるヨ」

 貴方たちは最後ですと言われて片隅に立ち尽くしている宏幸と甲斐は、飛んでくる屍を避けながらそんな会話をしていた。まさか手合わせをする事になるとは思っていなかったが、宏幸は羨望の眼差しを含めて唖然とする。
 その挙動は優雅にして、破壊的。
 およそ普段の口調や所作からは想像もつかないほど、至極荒々しいものだった。白目を剥いて四隅に山積みとなっている哀れな隊士達の中で、皓司から二手を食らったものは一人もいない。例外なく一撃で伸され、例外なく一撃も与えることはできなかった。

「意外と、なんつーか……パワーのある人なんだな」
「宏幸。いらっしゃい」

 見惚れているところを名指しで呼ばれ、宏幸はどきりとして刀を落としそうになる。怜悧な刃物を窺わせるその両眼にひたと見据えられ、すでに一撃食らったような衝撃を受けた。

「は、はいっ! よろしくお願いしまっす!」
「元気で結構。いいですか、私の首を刎ねる事が任務ですよ」

 甘ったれた心構えで掛かってくるなと暗に指摘され、宏幸は生唾を飲み込む。
 皓司の生首を取れるわけもないが、面と向かって自分の首を刎ねろと言ってくる人間にはお目にかかった事がない。

「さあ、どこからでもどうぞ」

 着物の袷も緩んでいない皓司にゆらりと切っ先を向けられると、嫌でも足が竦むのは致し方ないことだ。宏幸は動かぬ前から垂れ落ちた汗を素早く袖で拭い、愛刀を構えた。

 しかし、地を蹴ってから地に転がるまでの時間は、やはり長くはなかった。

「一撃の強さは褒めますが」
「あでっ!」

 空いている左手もいけると相方が言った通り、うっかり横っ面を殴られる。眩いほどの星が視界を埋め尽くしたが、それでも首元に迫った刀を辛うじて防ぎ、押し返すようになぎ払った。

「次の手に重みがありませんね。弱点はスタミナですか」
「すんませ……んげっ!!」

 足元を払われて転倒しそうになったところを蹴り上げられ、仰向けにひっくり返る。

「よろしい。今後鍛えるように」
「あ……ありがと、ございました……」

 宏幸にしては頑張ったのではないだろうかと、野次馬達は無言で見届けた。


 大の字になって失神した宏幸の傍らに歩み寄り、皓司は投げ出された刀を拾い上げる。それほど体力自慢でもなさそうな宏幸が持つにしては、若干重量のありすぎる太刀だった。道理で、彼は最初から両手で刀を構えていたわけだと納得する。
 自分の太刀を右に、宏幸の太刀を左に携えた皓司は、軽く手首を回して振り返った。

「さて。四年間で少しは成長したのでしょうね、甲斐」

 あからさまにげんなりした表情を浮かべ、甲斐は金網から背を離して前に出る。

「知りませんよ。あなたはいつだって認めた事ないじゃないですか」
「認めるべき点が貴方にあるのならば、私はきちんと認めますよ」
「……左様で」

 二刀を構えた皓司に卑怯だとは言えない。敵の得物が刀一本とは限らないと先刻申し上げましたが、などと鼻であしらわれるだけだ。他人への忠告は自分への忠告も同然と思え───昔から、そういう人だった。
 直刀一本を構え、懐かしくも有り難味のない緊張感が足元から這い上がってくる。
 こんな敵がいたら隠密衆は今頃影も形もない。対峙すると、いつもそう思った。

 じりっ、と足を横に滑らせ、間合いを計る。
 皓司はちらりと目を動かしただけで、その場からは動かなかった。
 取れるものなら取ってやりたいと、鬼の首を狙って甲斐の身が躍り上がる。
 一際甲高く、鋼のぶつかり合う音が我躯斬龍にこだました。

「昔と何等変化のない手でくるとは失望しますね」
「そうですかね」

 甲斐は防がれると分かっていた刀の柄尻に左手を添え、そこから抜き出したものを翻して皓司の脇腹へ突き刺した。しかし肉を絶つ感触は得られず、代わりに重い痺れが手首から肘へ、肘から肩へと伝ってくる。

「柄尻に仕込み刀を付けたのですか。面白い事を」

 四年前にはなかった武器で不意を突けるかと目論んだのは、甘かった。二刀を操る皓司は、一方の刀の刃身でその切っ先を防いでいる。揃いも揃ってどこかのご隠居と同じ手を使うのかと心底呆れながら、甲斐は溜息をつく暇もなく切り返される刃を二つ、紙一重で躱した。と思ったのはまだ早く、着地点を踏んだと同時に右肩に強烈な一撃が落ちてきた。

「……って」
「貴方は躱した時に必ず隙があるのです。ほんの僅かですがね」

 ほんの僅かの隙すら見逃さないこの鬼の首を、一体誰が取れようか。

「膝を付いている暇などありませんよ。立ちなさい」

 立てば立ったで、もはや二刀を用いる必要もないとばかりに宏幸の刀を放り捨てた皓司は、初めて自分から動いた。眼前に迫った刀が強烈な一撃である事は百も承知、それを防ぐのは両手しかなく、刃身に片手を添えて圧し掛かる重圧に耐える。両手を使わせておいて足技が出てくると読み、押し返しつつ脇へ回ろうとした瞬間、甲斐は嫌なものを見た。

「相変わらず、先は読めても詰めが甘いですね」

 薄い唇が、憎たらしいほど綺麗な弧を描く。
 皓司の足も同じようにして、甲斐の腹のど真ん中へと綺麗な弧を描いた。


 終了のゴングは、自分の口から漏れた呻き声だった。



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