六. 「やってらんねえ」 誰かがそんな台詞を吐いた。 「斗上さんだっけ? 来ました隊長になりましたで、何風吹かそうってんだよ」 言うまでもなく虎卍隊の隊士だが、名指しされた皓司は何風かといえばどこ吹く風でその美貌に笑みを絶やさず、万年反抗期と思われる数人の塊に目を向ける。 「あなた方はいつから在籍しているのですか?」 「は? 二年前からですけど?」 「結構。そちらの四名は本日をもってお辞めなさい」 笑顔で辞めろと言われた隊士達は一寸挙動を止め、腹を抱えてげらげらと笑い出す。 「そんな真面目ッ面してちゃあ、うちの隊長は務まんねえよ。あんた」 古株の隊士がそそくさと廊下へ飛び出たのを見て、皓司の横にぼけっと立っている宏幸は眉根を寄せた。これは何か起こるな、とは思えど、何が起こるのかは予測もつかない。しかし手並みを拝見したいという皓司の申し出を渋る理由も、どこにもなかった。宏幸は手近の隊士の脛を蹴り、呼び止める。 「自分の能力を見てもらうのに何が不満なんだよ、お前ら?」 「それについちゃ不満はないスけどねえ。こんなクソ礼儀正しい人が隊長ってのはねえ」 美味い飯も不味くなる、と顎で示された皓司は、相も変わらずどこ吹く風。言いたい事があるなら三言までは聞こうといった顔で、黙っていた。珍しく自分と意見の合わない部下達の心理に首を捻りつつ、宏幸は皓司を見上げる。 「うちの奴ら言うこと聞かないんで、やりたくない奴はほっといて行きましょう」 言って歩き出すと、皓司がその襟首をひょいと掴んで引き寄せた。 「言う事を聞かない者は、聞かせるまでですよ。宏幸」 「つっても……元々あんな奴らですし」 血の気の多い隊士ばかりが揃えられた虎卍隊、戦闘時でもない日常の中で他人の命令に従う者など一人もいない。文字通り野放図の彼らが命令に従うのは、『趣味と仕事が一体化』した時だけである。 そんな者達は放っておき、早く自分の手並みを見てもらいたいと焦れる思いを堪えて背後の人を振り返った。その相貌から、美しいまでの微笑がすうっと消えていくのを見た時。 「成る程───では不要な人材ですね」 滑らかな声が広間にいる者達の鼓膜を通り抜けた直後、一角で血飛沫が上がる。 何が起こったのか、宏幸には分からなかった。その場にいた大半の者も皓司が動いたことに気付かず、飛んできた血を顔に受けても微動だにしなかった。 上座の方にいた隆がふと口元を緩め、ゆっくりと廊下へ出て行く。 見るべきものは見た、とでも言いたげな足取りだった。 自尊心を打ち砕かれた甲斐は、のろりと衛明館の門をくぐって大広間の横を通り過ぎた。と、血相を変えて飛び出てきた数人の隊士に体当たりされる。そればかりか、防壁を作るかのように前へ押し出され、半ば室内に押し込まれた形になった。 一歩入った瞬間、ぴしゃっと生温いものが顔に飛んでくる。 「…………」 味噌汁でも飛び交っているのか。朝から夜まで飯時にモノが飛ばない日はないこの一部屋、張り替えられた畳の数はそろそろ三ケタにのぼるはずだ。そんな事をぼんやりと考えた甲斐の思考に、目の覚める声が割り込んだ。 「お帰りなさい、甲斐。いつもより遅いご帰還ですね」 などと嫌味を嫌味とも思わない声で言ってのける人とは、四年前に別れたはず。幻聴かと広間を見渡すと、探すまでもなく鬼は目の前にいた。血の滴る刀を引っ提げて。 「……状況、説明してもらえますかネ。斗上サン」 「虎卍隊の隊長が諜報に移動したので、本日より私が後任を任されただけですよ」 だけも何も、それは聞き捨てならない話だと甲斐は足元を見遣る。 「で、ご着任早々この四つの首と胴体は何事デスか……」 「処分品です。片して頂ければ有り難いのですがね」 「……新井と押上、片付けて」 後ろで戦々恐々としている二人を呼び、返答は返ってきても足が地面に接着されたまま動けないでいる彼らを引き摺り出してやらせた。首のない死体よりも怖いものが見下ろす中、二人は一度も顔を上げずに広間からそれぞれ運び出し、足早に裏庭へと持っていった。 甲斐は頭痛を堪えるように額を押さえ、今日はなんという日だろうかと項垂れる。 「さて、主力も戻ってきた事ですから我躯斬龍へ揃って頂きましょうか」 その理由は、皓司の指揮下にいた経験のある甲斐には嫌というほど分かっていた。またこれが始まるのかと思うと、やはり今日という日を呪わずにはいられない。昨晩から寝ていないのだと言ったところで、「それがどうかしましたか」の一言に伏されるのだろう。 懐紙で刀の脂を拭った皓司は、血の気の失せた残り組を追い立てるように付け足す。 「私のやり方が不服だと思う者は辞めて頂いて結構。それも不服だというのなら、この場で処分させて頂くまでです。統制の取れない隊など預かるつもりは毛頭ありませんのでね」 誰もが内心、その言葉に「悪魔だ……」と呟いた。 虎卍隊の御家騒動を見届けようと集った野次馬に囲まれ、我躯斬龍内は入隊試験のような緊迫に包まれる。斬首事件で石化した浄次は、この騒動を見ておかねばならないという大して根拠のない意思の元に、野次の中の一人として佇んでいた。 「入隊試験みたいやなあ」 圭祐の隣に現れた冴希が、うずうずと両手を揉み合わせて中央を眺める。 「お圭ちゃんは御皓の上様が現役の時からいてはったん?」 「うん、いたよ。あの頃と微塵も変わらない空気が凄いなと思う」 「隠居したかて、怠けてたんとはちゃうわけか」 それはそうだろうと圭祐は思った。隠密を辞めて悠々自適の生活になったからといって、浄正も皓司も鍛錬までやめるような人ではない。そういう人達だからこそ、黄金期とも言われたあの頃の隠密衆が保たれていたのだ。 「そんで、これから何が始まるんや?」 「第一試合みたいな潰し合いをするのかな……?」 冴希と深慈郎が揃って首を傾げるので、圭祐は思わず笑ってしまった。 「潰し合いだったら、斗上さんが中にいる理由はないよ」 おっとりと喋る圭祐に危うく騙されるところだったが、よく見れば我躯斬龍に祀り上げられた虎卍隊の隊士に続いて、皓司がその中に入っていった。羽織は脱いでいるが着流しのまま、手には例の刀が一振り。鞘も羽織と共に置いてきたのだろう、それは剥き出しだった。 「な、何をなさるんでしょうか……斗上様」 ガシャン、と入口の扉が閉められ、深慈郎の疑問は野次のざわめきに掻き消される。冴希に引っ張られてきた巴が、欠伸を噛み殺してその疑問に答えた。 「斗上さんの伝統的な指導というか、一種の教育」 「教育……ですか」 「それ以外に相応しい言葉が思いつかない」 鬼に金棒ならぬ、鬼に刃物のいでたちで中央に立った皓司は、未だに何が何だか分からないといった半数の顔ぶれを見渡して、腰のものを抜けと命じる。 「私の首を落とす事がこの場の課題です。遠慮などは一切無用、落ちたらそれまでの話ですよ。 一寸でも躊躇すれば容赦なく首を刎ねますから、その覚悟でいらっしゃい」 遠慮するも何も、できることなら今すぐこの場から逃げ出したい─── 古株の隊士は今度こそ遺書を書いておけばよかったと涙を呑みつつ、刀を抜き放った。 |
◆ 第六話緊急特番・・・挿絵をご覧になりますか?(約180KB) ◆ Yeah!! / Noー! |
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