徨い唄


五、


「やはりって、どういう意味?」

 均等に切り分けた羊羹の最後の一口を食べ終え、親父は丁寧に皿を置く。

「父が生前、手毬模様の描かれた美しい貝の紅を持っていてな。私の母の形見かと思ったが、物の怪の落し物だと教えてくれたのを思い出した」

 当時は父らしい戯言だと受け流したらしい。親父は祖父が死ぬまで妖怪の類が一切見えなかったのだ。しかし祖父には見えていたようで、誰もいない空間に向かって話しかけたり菓子を置いたりしていたという。

「父は風変わりな性格で、奇妙な言動をしても誰も訝しむ者はいなかった。むしろそういった面も含めて奇才と謳われた人なのだ」

 初めて聞く祖父の人なりに耳を傾ける。
 祖父がすごい人だったというのは、古い弟子や他の流派の隠居からもたびたび聞かされていた。だが「十代目の瀞舟」と「子の親の瀞舟」は違う。子である親父から見た祖父の人なりをずっと知りたかったのだ。

「世間から敬い慕われていた故、死後は父の私物をひとつで良いからと形見に欲しがる者が多くてな。どれほど父と親しかった者でも断り、すべて燃やして処分した」
「……その中に紅もあった、と」

 返したくても形がなくなってしまったのならどうしようもない。
 似たような模様の入れ物に紅を入れて渡しても偽物とバレるだろうか。

「玉枝さんちってどこ? 相談に乗ってもらえないかな」
「山の中であろう。狐だしな」
「えらく短絡な推理だね」
「明日、稽古が終わったら少し時間を頂こう」




 ……やっぱり偽物ではダメらしい。

「困ったなぁ」
「お力になれず申し訳ございません」

 と頭を下げられたが、玉枝はかなり妖力の強い物の怪だ。力になれないのではなく、貸す気がないだけだと思う。無関係なのだからそれはそれで仕方ない。

「玉枝さんには俺の後ろの奴が見えてるんですよね?」
「はい」
「どんな姿ですか? 何の妖怪?」
「黒ずんだ醜悪な姿ですが、本来は狐の妖しです」
「……玉枝さんと同じ? 道理で」

 『紅を引いて、嫁ぐのです』───なるほど。
 嫁に行く前の狐で、結婚式につける紅を失くしたから探しているわけだ。それを祖父が拾って持っていた。

「おじーちゃんはどうしてその紅が妖怪の落し物だって分かったのかな」
「先代の瀞舟様は、その者に一度お会いになっていますよ」
「えっ!?」

 妖しの記憶から見えるのだと玉枝は言って、つと袖で口元を隠す。

「もっと知りたいですか」
「是非! あ、もちろんタダでとは言いません。取引しましょう」
「凌。やめなさい」

 それまで黙っていた親父が間髪入れずに制止した。
 玉枝は夢の妖怪と同じ種族であり、性質や退治法も知っているはずだ。こんなところで引き下がるのはもったいない。自分たちではどうしようもないのに、何を考えているんだか。

「相談に乗って頂いたご厚意には感謝する。しかし息子を誑かすのはやめて頂きたい」
「誑かすだなんて、お人が悪い」

 ころころと喉を鳴らすような笑い方をする。

「私ども狐は情に厚いのです。先代の瀞舟様が拾われた紅を捜し求めるだけでこのような醜悪な姿になろうはずはありません。先代様とその者が交わした約束を、先代様が果たさなかったのでしょう」

 人間との約束は五十年期日、と玉枝は教えてくれた。
 たしかに夢の中の影も「約束の刻がとうに過ぎた」と何度も言っている。

「約束の期日が過ぎたらどうなるんですか? その人に取り憑いて殺す?」
「殺します。でも取り憑く必要はないのです」
「俺の後ろのは……えーと、取り憑いてるわけじゃないですよね」
「半分取り憑いています」
「半分……曖昧だな」


 “主様”が祖父なのは分かった。
 探しているのが口紅だとも分かった。現物はないが。
 そして約束の五十年はとっくに過ぎている。
 分からないのは『約束』と『柘植櫛』だ。
 いつどこで紅を返すと約束したのか。
 祖父はその妖怪に一度会っているのになぜ返さなかったのか。
 なぜ柘植櫛が夢に出てきて、自分に三度も拾わせるのか。

 親父はいま五十四歳、祖父は三十七歳で逝去。
 五十何年過ぎたのか知らないが、少なくとも親父が四歳以前の出来事になる。そんな古い当時を誰が知っていようか。
 玉枝に協力してもらって妖怪の記憶を辿るしか術がない。


「あのさ、親父。親父の気持ちは嬉しいけど、やっぱ玉枝さんに協力してもらいたい。俺、玉枝さんが好きだし、狐は情に厚いっていう言葉を信じるよ」

 否とは言わせない。妖怪に目をつけられているのは自分だ。
 どれほど沈黙が続いただろうか、やがて根負けしたように親父は目を伏せた。

「───よかろう」

 親父に寂しい思いをさせたりはしないと、心の中で約束する。



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