徨い唄


三、


 並べた布団の隣で玲が丹念に髪を梳いている。透かし百合の柘植櫛は七歳の誕生日に親父が愛娘へ贈ったものだ。自分には一本の懐刀をくれた。

「ねえ玲。柘植櫛って何だと思う?」
「柘植で作った櫛でございましょう」

 ぼんやりしていて聞き方を間違えた。

「櫛が道端に落ちてたらどうする?」

 突拍子もない話をするのはいつものことなので玲は気にする風でもなく、梳いていた手を止めて引き出しへ櫛を仕舞い、三面鏡を閉じる。
 膝を浮かせてこちらに向き直った妹は、無表情の中に呆れた色を浮かべていた。

「拾ったのですか」
「まだ拾ってないけど、拾うかも。いや、もう拾ったのかな?」

 変な答えになっても玲は追及せず、真正面から視線を注いでくる。

「なりませんわ」

 力強いはっきりとした口調だった。

「なんで?」
「櫛を拾うのは“苦と死を拾う”と申します」

 そんな迷信があるとは知らなかった。というか、玲が迷信を唱えるとは思わなかった。言い換えれば迷信を信じない玲ですらこうなのだからよほど信憑性があるのかもしれない。

「どうしても拾わなきゃいけなかったら?」
「踏みつけてから拾えば厄が落ちるそうですわ。本当かどうかは存じませんけれど」

 ほら、対策法はちゃんとあるものだ。これもまた迷信に過ぎないが。
 今夜あの夢を見たら今度は踏みつけてから拾ってみよう。自分の意思で動けるか分からないが、出来そうな気がする。

「玲はさ、夢って見る? いつもどんな夢見るの?」

 すると玲は二三度瞬きして小さな顔を横に傾げた。たまには可愛い仕草をする。
 外でもこんな風に振舞えば近所の人から「玲ちゃんは礼儀正しいけど無愛想で話しかけにくいのよね」なんて陰口を言われることもないだろうに。
 玲は赤の他人にどう思われようと気にしない。もちろん自分だってそうだ。体面を取り繕って愛想よく振舞っているわけじゃない。元からこうなのだ。

 両親曰く自分は物心ついた時からよく喋り、よく笑い、よく動き回っていた。兄貴も双子の玲も同年の子に比べておとなしかったらしく、両親も共に元から落ち着いた性格だったという。
 子の性格はいずれかの親に似るというが、斗上の家では自分だけが異端だ。
 でもそれは悪いことではないと親父が諭してくれたのを覚えている。いけない事はいけないと教えるから、お前は己の思うまま正直に生きれば良い、と。
 おかげでずいぶん叱られて育った。
 本気で怒らせたことはない。むしろ自分を叱る時の親父はどこか嬉しそうでもあった。子供心に、叱られない子になったら親父が寂しい思いをするんじゃないかと感じたほどには。

「凌。聞いてましたの?」
「え、何? ごめん聞いてなかった」
「……。わたくし、夢を見たことはございませんわ」

 双子は片方が夢を見なければもう片方も見ないものなんだろうか。

「凌は見るのですか?」
「俺も見たことない。やっぱり兄妹だね」

 罪悪感はあったが、知れば玲まで同じ夢を見るかもしれない。だから言わなかった。
 玲はがっかりしたように目を伏せる。

「夢とはどんなものでございましょう。兄上様が夢枕に立って下さったらこの上なき幸せな朝を迎えられるでしょうに」
「あのね、夢枕に立つのは死人か生霊だから。兄貴が玲の夢に出てきたらヤバイでしょ」
「兄上様が帰ってきて下さるのなら死霊でも構いませんわ」

 本気だ。そっとしておこう。
 そろそろ寝ようと促し、燭台の灯りを吹き消す。障子に映った木影がさわりと揺れた。





 何度目か、すっかり見慣れた畦道に立っていた。
 道端の草木を見るに季節は夏の終わり頃。
 それにしても「音」がない。夢だからなのか、蝉や蛙の鳴き声ひとつ聴こえなかった。
 田んぼに稲は生えているが人はおらず、誰ともすれ違わない。蟻の子一匹なし。
 シーラに助言をもらってから、何か答えに繋がるものがあるんじゃないかと景色や物音を注意して見るようにしている。が、いつも変化はなかった。
 しばらくしてお馴染みの櫛がぽつんと出てくる。
 踏んでみようと片足を上げた。

 途端、体が硬直する。

「なりませんわ」

 玲の声がした。いや、違う。似ているが玲じゃない。
 初めて夢の流れを変えたのだ、もう少し粘ろう。頑なに地から離れようとしない足を持ち上げ、一歩踏み出す。

「なりませんわ」
「苦死を拾わせて俺を殺したいの?」

 喋れた。櫛の向こうに人のような影がもわっと現れる。
 相変わらず姿形は判別し難いが、よく目を凝らしてみると腰より低い位置から尻尾のような長い影が伸びていた。物の怪か。狸、狐、犬? 猫の尻尾ほど細くはない。

「ねえ、きみ誰? 主様って俺じゃないよね。何を返してほしいの?」
「───主様」
「違うよ、俺じゃない」
「……ぬしさま」

 まるで聞いてない。
 とにかく櫛を踏まなければ。呪い的なものが跳ね返って消えてくれれば万々歳。
 鉛のように重くなった体に力を入れ、片足を上げる。
 あと少し……あと少し……。

「あ」

 櫛を踏む寸前、ふわりと体が宙に浮いた。不安定な浮き方に手足をもがく。
 そのまま空へ吸い込まれるように舞い上がった。
 こちらに向かって手を伸ばした影がみるみる遠ざかっていく。

「せいしゅう…さま…」




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