徨い唄
二、
おかしいと気づいたのは夢を見始めてから四,五日経った頃。
道を歩けば暴走した馬に撥ねられそうになったり屋根瓦がごっそり滑り落ちてきたり。日を追うごとにそれらの事象は増えるばかりで、ある時など団子の中から生きたムカデが出てきた。有り得ない。
初めのうちはたんなる不運の連続かと思ったが、そうじゃないと教えてくれたのは意外にもヴァンロッド家の悪魔だった。
「何を連れておるのだ、凌」
数日前、親父の使いで城下町へ行った際にシーラと出くわした。正しくは茶色い短足デブ猫に化けたシーラに。この姿のときは朱雀から「まる」と呼ばれている。彼が町をフラフラしているなら朱雀も一緒かと思ったが、生憎ひとりだと鼻で笑われた。
「何って?」
「後ろにぴったりくっついとる奴じゃ。妖怪であろう」
「あー、うちのがついてきちゃったんでしょ」
斗上の家は自分たちが生まれるずっと前から妖怪が住み着いている。
いわゆる磁場のようなものか居心地がいいらしく、条件つきで好きにさせていた。彼らの言葉の大半は分からなくても人の言葉は伝わる。たちの悪い悪戯をする奴がいないのは、みんな親父を慕い畏れているからだ。
ただ、自分たちには見えない妖怪も何匹かいる。力が弱すぎて姿形を作れない奴、逆に妖力が強すぎて固体になれない奴。見えなくても周りの妖怪たちがそこにいると教えてくれた。
家を出てから今まで気づかなかったのは見えない奴だからだろう。
「シーラには見えんの? ねえ、どんなやつ? 強そう?」
普段なら「斗上の小僧は好かん」と相手にしてくれないが、今日は珍しくシーラから声をかけてくれたのだ。そう簡単には去らないと思った。
肉厚の首根っこを掴んで顔の前に掲げ、伸びた鏡餅のような物体に尋ねる。吊り上がった目をくるりと光らせたシーラはフンッと荒い鼻息を吐いた。威張っているつもりなんだろうが、短足デブ猫の姿では威厳のかけらもありゃしない。
「お前の家のではないな。邪気に満ちておる」
「悪い妖怪? 俺なにもされてないけど」
「邪気を放つものが良い子なわけなかろう。日本のちんけな妖怪なんぞに興味ないわしでも、こいつの妖気が禍々しいことぐらい分かるわい」
「俺に取り憑いてんの?」
「違う。お前の不味そうな魂を使って何か探しているようだ」
「それを取り憑くって言うんじゃなかったっけ」
どう違うのかは教えてくれない。しかし思い当たる節があった。
何かを探している妖怪。
最近よく見る夢と同じだ。あの影の正体が今自分の後ろにいるのか。たしかにうちの妖怪なら夢に入り込んだり禍々しい邪気を放ったりはしない。
「あのさ、同族嫌悪じゃないけどシーラが悪魔だから妖怪も悪いものに見えるだけってことはないの? 妖怪にだって色々いるんだよ」
日本の妖怪に興味ないと言ったのだからよく知らない可能性もある。だがシーラは饅頭のようなブサイク顔をさらに歪めて鼻で嘲笑った。
「誰にモノを言っておる。魔族より邪悪なものなど万物には存在せん」
たしかに。説得力がありすぎてぐうの音も出なかった。
朱雀やシーラ達の世界観は想像の域を超えるが、もしシーラが本気で天界に刃向かってきたら朱雀は迷わず彼を殺すと断言した。人間の世界では敵対する者同士とは思えないくらい仲良くしているのに。
シーラのことは好きでも悪魔は総じてヘドが出るほど嫌いだという朱雀。
そのぐらい悪魔は悪しき存在なわけだ。
分かったら離せ、と短い手足をバタつかせて抵抗するブタを地面に放り投げる。ぽよんぽよんと柔らかい手毬のように跳ねて止まったシーラは「この無礼者め」とかなんとかブツブツ言いながら起き上がって背を向けた。
「キングオブ邪悪のわしが凶だと忠告しておるのだ。さっさと始末するんだな」
そう言って短い四足を踏み出し、思い出したように途中で振り返る。
「そいつを片付けるまで紅ちゃんには近づくなよ、小僧。もちろんエルにもだ」
「えー! 妖怪の殺し方なんて俺知らないよ。そもそもこいつ見えないし」
「だからといって身近な神や悪魔にホイホイ頼るのはお門違いだの」
寸胴の先に申し訳程度についている短い尻尾がプリプリと動く。
朱雀に会えば何か方法を教えてくれるかも、と考えたが見透かされていた。エルには妖怪をどうこうできる力などない。巻き込むなと言いたいんだろう。シーラは一応エルのお守り係でもある。
「妖怪の邪気は人間の業の成れ果てじゃ。お前に近づいたのならお前か家族、あるいは斗上の先祖にそいつと関わった者が必ずいる。要求が叶えば消えるであろうが、代償がないとも限らんな。ちなみに取引が絶対条件のわしらは代償に生き血か魂を頂戴する」
◆
シーラから聞いた内容を一字一句洩らさずに伝えると、親父は珍しく深い溜息を吐いた。
「このままだと俺だけじゃなく家族にも危険が及ぶだろうって。どうしたらいい?」
今も後ろにいるのか分からないが、そいつの姿は親父にも見えないし気配も伝わってこない。ひとつ確かなのは、夢を見始めてから家の妖怪たちがまったく自分に懐いてこなくなったことだ。今朝も天井から見ている奴がいたが、目を覚ますと怯えたように逃げた。
「不確かだが心当たりはある」
ぽつりと、耳を疑う言葉。
「マジ? 親父が外の妖怪と関わるなんて」
「私ではない───父だ」
父とは、つまり自分にとって祖父にあたる人か。
しかし両親が結婚する前に亡くなっているので会って事情を聞くわけにもいかない。
やっぱりどん詰まりだ。
「心当たりって? おじーちゃんも妖怪が見える人だったの?」
祖父のことなどほとんど知らなかった。
とある旗本に無礼討ちの名目で殺されたのは知っているが、人柄や思い出話のひとつも親父の口から聞かされていない。
前に一度だけ、玲と一緒に墓参りへ連れて行ってもらったきり。
あの時も親父は多くを語らず、墓の隣に一輪だけ早咲きしていた彼岸花を物言いたげな目で眺めていた。
「お前の夢枕に立つ妖しが父を探しているなら、手遅れやも知れぬな」
手遅れも何も、すでに墓の下在住なのだから当たり前だ。
親父はそうではないと首を振り、根本的な要求は何かと質問してくる。
「根本はー……あそっか、そいつが返してもらいたがってる何か」
「左様。それが分かったとて父の遺品はこの家には無いのだ」
「え……取っておいた物ないの? ひとっつも?」
「無い」
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