徨い唄
はたと目が覚める。 天井の梁からこちらを見下ろしていた居候の物の怪がピュッと屋根裏へ消えた。 体に力が入っていたのか、ふうと息を吐くと手足の痺れが少し収まる。 また、あの声だ。 ここ最近毎晩のように同じ夢を見るようになっていた。子供の頃から寝つきもよく、眠っている間に見た夢なんて覚えていた例がない。 今までは。 ところがこの夢ははっきりと記憶に残っていた。 何度見ても最初から最後まで同じ場面、同じ台詞しか出てこないのだ。 どれだけバカでもさすがに覚える。 長閑な畦道を歩いていると、道端にぽつんと柘植の櫛が落ちていた。 桔梗の花が彫られた半月型の櫛。油が染み込んでいない新品だ。落とし主が探しに来たら分かるよう道沿いに並んだ地蔵の足元へ置き、何となく手を合わせた。 しばらく歩くとまた同じ櫛が落ちている。地蔵の足元に先ほど置いた櫛はない。 仕方なくまた拾って置いてを三度繰り返すと、次は櫛ではなく人が道端に立っていた。 実際には人かどうか分からない。人のような影がぼんやりと見えるだけ。 夢なんて大抵こんなものだろう。 細部まで覚えている部分もあればハッキリと思い出せない部分もある。 その人のような影は自分を「主様」と呼び、決まってこう言った。 『約束の時間が過ぎたから何々を返してほしい』、と。 何を返してほしいのかがいつも聞き取れない。 夢の流れを考えれば柘植櫛だと思うだろうが、違うのだ。 影は自ら地蔵の足元の櫛を拾い、手のような影で大事に包んで消えてしまう。 「ようかいととりひきしたおぼえないんらけろなー」 「食べるか話すかどちらかにしなさい」 「たべまふ」 お袋と玲は用事で早くから出かけ、親父と二人で朝餉を囲んでいた。 口いっぱいに詰め込んだ麦米を嚥下して一旦箸を置こうとしたが、どうにも空腹感が収まらずもう一口ほうばる。あの夢を見た日はなぜか朝からものすごく腹が減った。 あまり気分のいい話じゃないのでお袋がいないのをこれ幸いに夢の話をもちかけると、親父は笑うでもなく耳を傾けてくれる。概要が掴めるまではフム、フム、と鼻返事のみ。おかげで喋りたいことを一気に話せた。 「その夢を見るようになったのは一週間前……もっとか、二週間くらい前からかな」 ようやく満腹中枢が満たされてごちそうさまを唱える。 多めに炊いたから余った分はおにぎりにしておいて、と頼まれていた御櫃は見事にすっからかんだった。 「正確には十五日前だな」 「えっ、なんで分かるの?」 思いがけない返事に身を乗り出す。茶をひと啜りした親父は緩慢な動きで───世間では優雅に見えるらしいが実際はただの緩慢だ───湯呑みを置き、空の御櫃を示した。 「その頃から時々憑かれたように食べている」 もともと食欲旺盛で日々決まった量だけ食べているわけじゃない。好物が出ればおかわりするし前日の運動量によっても翌朝の空腹感はけっこう変わる。それでも親父は何かが違うと最初から感づいていたようだ。 「お袋たちは俺がただ食い意地張ってると思ってたみたいだけど。確かに夢を見た日はすんごく腹が減るんだよ」 後ろ手をついて満たされた腹を天井へ向けるようにくつろぐと、腹が出てきたら十五日間絶食すればいいと真顔で提案されて胃が縮んだ。 どんな事情であろうと食欲を咎めるつもりはないと言い、しかし気になる点がいくつかあると親父は言う。 「お喋りなお前が半月もひた隠しにしてきた上、今になって話した理由は何かな」 「親父はなんでだと思う?」 こういう時、百発百中答えを外さないのが斗上瀞舟だ。自分しか知らないことを当てられるたびに親父を尊敬する。 だから逆に訊いた。そのぐらいの楽しみを期待しても罰は当たらないだろう。 ふむ、と親父は鼻で返事し、じっとこちらを見つめる。 「“主様”はお前ではなかったか。時間の猶予もなしと見える」 あっさり明察。 「俺、ヤバイのに引っかかっちゃったみたい」 |
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