()斬雨(きりさめ)の地に


九、

「皓司が身内斬り……?」

 飛車の報告を復唱した浄正の脇で、少し前に火鷹隊を率いて戻ってきた高村が飲んでいた水を噴き出す。

「また何か芝居をしろっていうオチですか?」
「違うらしい。首が八つ飛んだ」
「八つで済んだのなら特に問題は……」

 ないと言いかけた高村を制し、浄正は眼下に広がる雑木林を見下ろした。
 一面の黒い樹海とその先の川原からは、今も鋼の噛み合う音が響いている。

「首が飛んだのはどっちの隊士だ」
「一班五名、二班三名、全て武装していた女を暴行した者でございます」
「そこからどうして安西に火の粉が飛ぶ?」

 安西の名を聞いて、高村が竹筒を放り捨てて大股に近づいた。

「遠征中の班長殺しは感心しませんよ」

 差別と言えばそれまでだが、平隊士と班長の処遇は当然違う。平の行動が目に余る場合、班長と隊長には処罰の権限があり、それは如何なる時でも問答無用となっている。
 しかし班長が問題である場合は、隊長一人の権限で裁く事は許されない。高村が「遠征中の班長殺し」と言ったのはその事だった。然るべき報告も無くして独断で裁けば、隊長もただでは済まない。
 入隊したての頃に比べ、最近の皓司は角が丸くなったとはまだ言い難いが、班長二人と上手くやっていた。綺堂と安西が皓司にけしかけた様子もなく、その逆もない。元々が荒馬揃いの隊とはいえ、今日に至って何が起こったのか。

「ちょいと待機してろ」
「御頭」

 岩場を降りようとした時、煙狼隊を背に従えた司が脇道から現れた。

「村の方は完了です」
「ご苦労。斗上が乱心したんで、様子見に行ってくる」
「その事ですが」

 再び降りようとした浄正の背を、司が呼び止める。今到着したばかりと見せかけながら、話は最初から聞いていたと悪気もなく白状された。

「斗上に任せてみてはどうですか。安西とて大人しく斬られる男ではないでしょうし」
「問題児同士が結構なことだ。高村、賛否は?」
「綺堂が介入する前に止めるべきだと思いますが」
「が、何だ」
「司の意見を聞いたら面白そうだと考え直しました」

 高村の人の良さそうな笑顔が闇に浮かぶ。浄正は一段降りていた足を戻し、「どいつもこいつも問題児だ」とわざとらしく呟いて手を振った。

「いいだろう、黙認する。何があっても責任はお前達が取れよ」






 二本の太刀が、強暴な白蛇のように襲い掛かってくる。華奢な肩のどこにそんな力が潜在するのかと疑問を感じるたび、四方八方から迫る白刃に圧されて腕が痺れた。

「さっきから何の真似ですか……隊長っ」
「今後を考えると安西さんが目障りだと思いましたので」

 まるで話が見えない。今後の何について考え、目障りと判断されたのか。皓司に楯突いた覚えもなければ、見苦しい行為を仕出かした覚えもなかった。
 眉目ひとつ動かさずに片手で刀を受け止められ、もう一手の刀が無防備の腹元に突き立てられる。交差した刃を押し返し、紙一重でそれを躱した。容赦ない追撃を二度三度とすれすれで躱しながらも、逃げ切れずに皮膚を裂かれる。額から滝のように流れる汗に自分でも驚いていた。激しい動き、圧倒される気迫、不可解な緊張感。それにつけて相手は能面通しの無表情を崩さず、型破りな戦法を次々と繰り出してくる。

 皓司が得意とする二刀流は、思えば二度しか見ていない。一度目は入隊試験、二度目は最初の遠征。日常では一刀しか携えず、鍛錬の時も一刀のみ。しかし二刀を操っている今の彼の力は、鈍るどころか底なしに増していた。まだ手合わせをした事はなかったが、これでは一刀相手でも互角───否、勝ち目はないかもしれない。
 傍から見るのと実際に対峙するのとでは、その衝撃は天地ほども差がある事を知った。

「安西さん。女郎蜘蛛の子をご存知ですか」
「……は?」

 突飛な話に集中力を殺がれ、一瞬の隙を突かれてこめかみに柄尻を打ち込まれる。反射神経が反応しなかったら眼球が飛び出たのではないかと思うような一撃だった。
 敵意なんて可愛いものではない。ひたと見据えられる目に宿るのは、殺意だ。
 頭から爪先まで電流のような痺れが走り、よろけて膝をつく。こめかみを伝うのが汗か血かも分からなかった。

「女郎蜘蛛の子は稀に、孵化すると親蜘蛛を食べてしまうんですよ」

 二刀が脇に下ろされ、一つだけ鞘に収まる。残る一刀の脂血を懐紙で拭い、皓司がゆっくりと歩み寄ってきた。

「空腹を満たす為なら産みの親をも食い尽くす───つまり恩知らずですね」
「成る程……読めましたよ」

 彼に隠密衆でのあり方を切々と教えたのは自分。世話を焼いたつもりはないが、大物になれとけしかけた。素直にそれを受け止め、この三ヶ月に随分と可愛げのある男になったと思った矢先の『恩返し』が、これだ。教わる事さえ教われば、うるさい者は邪魔なだけ。
 時折見せたあの微笑は、この日を笑っていたわけだ。

「ただの蜘蛛と思っていたら、女郎蜘蛛の子だったわけですか」
「貴方が、ただの蜘蛛だったのですよ。私の人間性を培って下さったのは安西さんですが、ご当人の人間性は優れていても能力はこの程度。子にも勝てぬ親など要りません」

 白刃が翻る。
 黙って認めてやる気にはなれなかった。

「とんだ曲者になられましたね。根性曲がりと言ってもいい」
「お褒めの言葉と受け取らせて頂きます」

 首を狙ってきた皓司の刀を避け、後ろに宙返って苦無(くない)を放つ。三本の苦無を簡単に弾き飛ばした皓司は、方々に飛んでいく中の一本を刀の切っ先で器用に方向転換させ、空中で弾いた。自ら放った苦無が、着地した安西の爪先を掠めて土に刺さる。きちがいに何とやらではないが、皓司なら刀で琴も演奏できそうだと思った。

 黒い影がすうっと目の前を過ぎる。
 光の尾を引いて右から左へと流れていく皓司の刀が、血を吸い上げた。




「───斗上隊長ッ!!」

 血相を変えて走ってきた綺堂が真っ先に目にしたのは、ぐらりと後ろへ倒れた安西の姿と、その前で刀を鞘に収めている皓司の姿だった。

 持ち場を片付けて川の水を汲んでいる時、雑木林から転がり出てきた二班の隊士が「身内斬りだ!」と叫んだ。誰がやっているのかと問うと、隊長だ隊長だと気が狂ったように繰り返して綺堂の袖に縋り、安西が殺されると言った。
 何の冗談かと向かってみれば、矢庭に尋常でない斬り合いの音が連続し始める。早まる心臓の音が脚を急かし、一心不乱に掻き分けた藪が開けたところで目に飛び込んできたのが、この光景だった。

「ご乱心か!」
「至って平静ですが、何か?」

 その足元で小さく呻いた安西が微かに身じろぎし、ぴたりと動かなくなる。
 体中の血が沸騰するのを感じた綺堂は、何故だと聞く間もなく刀を抜いて走った。隊士達がどちらを止めればいいのかも分からぬまま間に入るが、綺堂の狂気染みた逆上に気圧されて咄嗟に身を引く。
 抜刀の気配すらない皓司に迫り、三尺半を超える綺堂の大太刀が風に鳴った。
 皓司の身が音もなくふわりと舞い、太刀を躱して間合いを詰めてくる。

「乱心は綺堂さんの方ではないのですか」

 易々と懐に飛び込んできた皓司の拳が鳩尾を抉った。殴り合いの「な」の字も知らなさそうな細腕に殴られ、綺堂の身体が軽く宙を飛ぶ。派手な音を立てて転がった身を即座に起こそうとして、また身体が浮いた。蹴り上げられた顎が反り返る。

「予測のつかぬ事態で短絡な行動に出るとは、雑魚以下ですね。命取りですよ」
「取れるもんなら取ってみろ! 刺し違えてでも殺してやる」
「班長っ! 斗上隊長も、いい加減におやめ下さい!」
「黙りなさい」

 近づいた隊士の喉下に皓司の刀が抜かれ、隊士達は身動きも取れず生唾を飲んだ。

「私は綺堂さんのように何も考え無しに行動しているわけではありません。それでも邪魔立てなさるのなら、子犬とて容赦は致しませんよ」







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