彼は斬雨の地に
秋風たなびく、夕月夜。 月光の下に光る白刃の切っ先が、時期外れの蛍のように残光を引いて飛び交う。川岸から雑木林まで無数の残骸が転がり、黒い飛沫がその上を幾度も塗り重ねた。 カサカサと藪の中を走る足音が聞こえる。目を凝らすと、前方に楕円形の影が見えた。 複数の足音はしばらくしてぴたりと止まり、息を潜めて周囲を窺う。 その様子を上から眺めていた安西は、月光と刀の位置に細心を払いながら、後方の藪にも動く気配があるのを確認した。前後の影の距離が少し遠すぎる。前方は複数、後方は一人。後方の影が指示者であるか、はぐれ者であるか。それによってこちらの出方も変わる。 前方の影からすっと手が挙がった。後方の影が立ち上がり、小走りに駆け出す。 こちらの真下へ。 振り返って目視せずとも、気配と足音で距離が分かった。 刀を垂直に持ち替え、切っ先を真下に向ける。 足音が目標距離に入った刹那、安西の身が音もなく木から落下した。 頭蓋を貫く感触が掌から脳へ伝達される前に着地し、前方の群れへ走る。そこからは速さが勝負で、「あ」の字に口を開いた影に斬り込んでいった。手応えのある反撃がふたつ、みっつくらいはあったかもしれない。だがその程度で、苦戦の二文字を知らない安西には物の数ではなかった。 綺堂の持ち場である河原から逃げ込んできた敵は、これで終りだろう。 顔に飛んだ返り血を拭い、分散している自班の隊士を揃えようと踵を返した。 「……っ!」 反転して一歩進んだ右足が、罠にかかったように止まる。 気配もなく行く手に立っている男───少年の白い面が、闇に浮かんだ。 「斗上さんか……驚かせんで下さいよ」 「私の気配も分からなかったのですか」 彼の気配程度もではなく、彼の気配だけが分からなかった。 この雑木林で自班の隊士がどのように動いているかは、今も手に取るように分かる。しかし目の前の、一瞬前は自分の背後にいた皓司の気配だけは、微塵も伝わってこなかった。 日常でも気配のなさには感心すること頻りだが、こんな闇の中で自分の部下相手にまで消さなくてもいいだろうと内心呆れる。自分の平常心が今ひとつ自信のないものだったら、敵と勘違いして斬りかかるところだった。 「うちはもう用無しですね。あとは河原で始末が付く按配でしょう?」 「ええ、その様です」 皓司にとって二度目の遠征となる今日。 前回もその落ち着きぶりは大したものだと思ったが、今回は寒気がするほど冷静だ。 三ヶ月前に比べて、皓司は少しずつではあるが変化している。自分から話しかけることはほとんどなかったが、声をかけられれば隊士とよく喋り、昼の外食に誘えば一言返事で頷く。 意に反して無理やり馴染もうとしているわけではない、というのが一番よく分かるのは、その能面の如き無表情に時折浮かべる微笑だった。はにかむでもなく、戸惑った風でもない。 喩えるなら芸妓が踊りの際にちらりと見せるような、含んだ微笑をする。 これは食わせ者になるかもな、と綺堂が冗談交じりに案じたのも分かる気がした。 「じゃ、まとめて一班と合流します」 刀を収めて隊士を揃えようと切り替えた思考が、間を置いて断たれる。 腰元の鯉口に、皓司の切っ先が挟み込まれていた。 残党がいるかもしれず、刀を収めるのはまだ早い、という意味か。 馬鹿にされている気分がしなくもない。 「荒っぽいですね、隊長。口で言えば分かりますよ」 「では申し上げます。この場にて斬り捨て御免、と」 何の話かと眉を顰める暇もなく、皓司の左手にあるもう一振りの刀が、風を薙いだ。 |
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