彼は斬雨の地に
六、
皓司は敵十数人に囲まれていた。
三方から切りかかってきた敵の一人を選んで攻め返し、一太刀で首を落とす。脇から伸びてきた槍の矛先を蹴り折り、身を翻してもう一人の首を刎ねた。槍の先を折られた大男が、棒の長さを利用して振り回す。皓司はその隙間を縫うように躱して瞬く間に懐へ飛び込み、腹に差し込んだ二刀を左右に薙ぎ払った。男の胴が下肢から裂かれて後ろへ傾いていく。地へ着く前にその首を斬り落とすと、回りを取り囲んでいる敵が一歩退いた。
「餓鬼のくせに……」
戦闘中にそんな意味のない言葉を掛けられるとは思わず、皓司は二刀についた血糊を振り払いながら周囲をぐるりと見渡す。
「一人残らずとの事ですので、端から失礼致します」
言うや否や、トンと地面を蹴った皓司の身がツバメのように旋回して敵の一角へ斬り込み、そこから次々と首を宙へ挙げていった。一つ二つと数えるのも無駄なほどに速く鮮やかで、時に三つの首が同時に飛ぶようなその光景は、凄惨を通り越して芸術的ですらある。
首の離れた胴体が倒れるのは遅く、それを飛び越えたり蹴り倒したりしていくうちに、前方の小屋に目が止まった。戸口に倒れて絶命している男のそばで、何かが動いている。
後から後から押し寄せてくる敵を薙ぎ倒し、小屋に近づいた。
「…………」
どういう技術をもってすれば、こういう物ができるのかと思う。
煙も火花も出ていない、導火線。しかし着火されていないわけではなく、その証拠にじりじりと尻尾を縮めて本体へ近づいている。首と同じほどの大きさの鉄球は、紛れもなく爆弾だ。
「隊長、斗上隊長!」
知った声に呼ばれて顔を上げた。
「綺堂さん。どうかしましたか」
「いや、見つけたから呼んだだけでございます。よく無事でしたな」
「貴方もご無事で何よりです」
普段から逆手も鍛えていると豪語しただけあり、その身には怪我ひとつなかった。一瞥してまた足元を見ると、綺堂が鉄球に気付いて首を傾げる。
「なに、不発弾ですか?」
「いいえ、爆発しますよ。導火線が縮まっていますから」
指の長さほどになった導火線を示した。火の付いていない縮まる導火線など綺堂も初めて見たらしく、ほう、と呟いて覗き込む。
「……つか、切らなくていいんですかね。まったりしてますけど」
「切ろうと思っていたところに綺堂さんがいらしたので」
「さいで……じゃ、さっさと切っちゃいましょうね」
根元を切り離した綺堂が、頭を掻きながら呆れ顔で見下ろしてきた。
「意外とのんびり屋さんですな、隊長。爆発したらどうすんですか」
「ですから切ろうと思っていたところで」
「あい、分かりました。俺が悪うござんした。さて、こちら一班はお役目果たしてございますれば、痒いところに手が届く役でも賜ろうかと参上した所存でして」
「ご苦労様です。ほぼ征圧したと見えますので、息のある者を始末して下さい」
「了解です」
綺堂が一班隊士へ指示しながら歩いていく。といっても、息のある者などほとんど残っていなかった。そんな指示は仰ぐまでもなく、既に実行されている。いわば最終確認の指示であり、最終指示の確認だった。隊士たちは折り重なった死体の山を崩し、一体ずつ確認して回り始める。
「マツ、安西ちゃん見なかった?」
綺堂に問われた隊士が首を振った。他の隊士にも聞いて回り、皆が一様に首を振るのを見て、皓司は何気なく周囲を見渡した。朦々と上がり続ける白煙のせいで先までは見えないが、安西らしき姿はない。
ぽつっ、と頬に水滴が落ちてくる。
空を見上げると、いつの間にか厚い雨雲が立ち込めていた。
「本降りになってくれれば消火活動しなくても済むな」
隊士の一人がそう言って笑い、綺堂が両手を挙げて何か叫び出す。
蹄の音がした。
「ご苦労。揃うまで待て」
馬から降りた浄正は、隊士たちを見回してひとつ頷く。方々に散っていた隊士がぞろぞろと集まるのを待ってから、そこに安西の姿がないのを確認して黙った。綺堂を見ると、彼は地べたに座り込んで俯いている。
「山城討伐はこれにて鎮圧とする。諸国への飛び火も残党もなし。ご苦労だった」
普段ならワッと歓声が上がる隊だが、二班の要がいない事に皆気付いていた。浄正が呆れた事に、啜り泣きまで聞こえてくる。ぽつぽつと降り出した雨は止む気配もなく、次第に本降りになってきた。隊士たちの額から幾筋もの雨が伝っては、顎の先から落ちていく。
「安西が砲兵に囲まれて死んだそうだ。ま、仕方ないといえば仕方ない。鉄砲三十丁はくだらなかったという話だしな」
「それ、マジですか……」
綺堂が憔悴した顔を上げた。一瞬で十歳も老けたような表情だった。浄正は無言で頷き、次いで前に立っている皓司を見下ろす。
「安西の死の原因は何だ、斗上。言ってみろ」
「失策はございません」
そう言えるのは、隊士が九割も残っているからか。戦略にも戦法にも問題がなかった、つまり安西の死は個人の落ち度によるものだと言いたいらしい。皓司の目を睨みつけると、そんな答えが見て取れた。
殴り飛ばしてやろうかと思う。しかし、それでは何も分からない。
今の彼に必要なのは、自覚と覚悟だ。
「そりゃ失策はなかろうな。初陣にしてこれだけの短時間で四百以上もの首級を挙げ、隊士の生存率は九割。安西の中央突破は申し分なく、綺堂も見事に外から攻め落とした。誰もお前の戦略が悪かったとは思うまい。俺もそうは思っていない」
一息入れ、皓司の顔を黙って見続ける。
戸惑いも後悔も見せないその顔はただ白く、細い顎の上にある唇は固く結ばれていた。
「だが、それでも今回は失敗だ。分かるか」
「配置の問題で、私が安西さんの意見を聞かなかった事でしょうか」
「それは隊長命令だろう。命令を聞かない安西が悪い」
皓司が瞬くと、睫毛の先から水滴が落ちる。先刻までぽつぽつと小さな音を立てていた雨は、川の急流のような絶え間ない音に変わっていた。細い雨がサァサァと降り注ぎ、周囲に淡い霧が立ち込める。
「分からんか。ならば、腹を切れ」
皓司の後ろにいる隊士たちが、ざわりと身じろぎした。そこまでしなくても、という情けない声が上がると、浄正は一喝して黙らせる。
「己の失敗も分からんような奴は、母親の腹から出直してこい。いいか、組織は一人で動くものではない。誰かが上に立てば、その下には何百もの人間が連なる。何百もの金魚の糞とは違うぞ、何百もの駒だ。駒一つ一つの性質も知らんで将棋が出来るか。闇雲に動かすだけなら石ころ遊びで十分だ。お前はな、そこが分かっていない」
あとは自分で答えを出すのみ。
出せないのなら腹を切れと再度告げると、皓司はすっと地に膝を置いて二本の太刀を抜き取り、懐から短刀と懐紙を取り出した。相も変わらずの無表情で、一切の反論もしない。
地面に座し、短刀と懐紙を膝に置いて、両手をついた。
「お説教頂き有り難うございます。此度の落ち度が何ゆえかはまだ分かりませんが、安西班長の死は隊長である私の責任と解し、出直して参ります。御目に余る無体な行為、誠に申し訳ございませんでした」
雨を背に受け、深く頭を下げる。
細い肩は最後まで震える事もなく、一言の命乞いもなかった。
「介錯は結構でございます。お収めを」
大人びた声でそう断られ、浄正は抜きかけていた刀をそっと戻す。膝を離して爪先を立てた皓司は、感心するほど手馴れた所作で服の袷を割り、短刀に懐紙を巻きつけた。
ザァッ、と一際激しい雨が降り、その膝元に水溜りができる。
咲けば全盛、散れば無常───
陽だまりの宿部屋で、皓司はそれを人の生と言った。
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