()斬雨(きりさめ)の地に


四、

 ここにいる者は、誰もが初陣を経験している。無様に終わった者もいれば、好機に恵まれて成功した者、千差万別だ。隠密衆に入ってから初めて人を斬る事を覚えた者も多く、今では真っ先に敵陣へ突っ込んで屍の道を開く綺堂もその一人だった。

「ちょっといいですかな、花屋さん」

 皓司が隊長役に就いて十日目、彼にとっての初陣を明日に控えた元・白狐隊は、その名を『紅蓮隊』に変えた。高村 上総が率いる火鷹隊の山吹、本条 司が率いる煙狼隊の灰に続いて斗上 皓司が率いる紅蓮隊の真紅が加わり、新たな三色隊旗が揃う。

「何でしょうか」

 相手が新参者とはいえ隊長を「花屋」と呼び続ける綺堂には、悪気も厭味もない。そうと知っているのか、皓司は別段気を悪くするわけでもなく、呼ばれれば返事をしていた。

「うちの班長が、ああ俺じゃなくて二班の安西ちゃんね。あいつが、明日の持ち場に納得行かねえっつーてダダ捏ねてんですよ」
「そうですか」

 と言ったきり黙る皓司を見下ろして、綺堂は苦笑と共に乱切りの頭髪を掻く。どうにも思考の掴めない坊やで困った、という風だ。

「如何しますかの、隊長?」

 どんな返事が出るかと待つと、皓司は廊下の外に見える垣根を数秒眺めて口を開く。

「綺堂さんは、持ち場の配分をどう思われているんですか」
「……俺?」

 逆に問い返すとは結構なタマだと、綺堂は内心の驚きを隠せなかった。
 部下の我が儘を即座に否と切れば独裁者、即座に変更すれば能無し。
 そのどちらで来るかと楽しみにしていたのだが、第三の返答は頭になかったのだ。扇子を持っていたら広げて天晴れと笑いたい心境だった。
 初夏だというのにぴたりと襟元を揃えた皓司は、綺堂の半袖から伸びている腕にちらりと視線を投げて、フイと廊下の先の大広間へ移す。

「綺堂さんの怪我がなければ、持ち場を変えても不都合ではないのですが」

 入隊試験の前々日にあった遠征で、綺堂は右肘の骨を折っていた。敵にやられたのではなく、帰りに馬を洗ってやろうと川へ引き込んだ際に蹴られたのだ。利き手が使えないとあっては重要な場所への配置も心許無しとの意見で、安西の班に持ち場が当てられている。
 昨日の会議では何も言わずに黙って聞いていた安西が、いきなり何を言い出すのか。皓司にはその理由が分からないようだった。

「失礼ですが、私の見る限りでは綺堂さんが左手で先陣を切れるとは思えません」
「ほんっとーに失礼ですな。まあ不便には不便ですが、元々左手でも長物を使えるようには鍛えてましたよ。いや、ますよ。今も」
「それで、敵勢およそ四百の的を一矢で射る事が可能でしょうか?」

 雑魚が四百ではなく、鮫とはいかないまでも毒針を持ったクラゲの群れに突っ込めるか、と訊く。斬っても斬っても毒針は周囲にあり、それらを瞬時で蹴散らさなければ包囲されるだけだ。一班の隊士はよくとも、班長の綺堂が苦戦していては話にならない。自分が窮地に陥っている最中も部下へ的確な指示を下さなければならず、その余裕がなければ端から潰れていくのは目に見えている。
 皓司の戦略は、場数を踏んでいる綺堂にもよく分かっていた。
 誰が何と言おうと正しい判断であることには違いない。
 しかし、と心中異論を唱えた綺堂は、青白い肌をした少年の鋭角的な顎に束の間目を奪われながら、ひらひらと手を振った。

「まぁいいです。じゃ、安西ちゃんを説得してもらいましょうか」

 皓司の背を押し、大広間へ向かう。




「何ゆえにと聞かれれば、そりゃ答えは一つっきゃないでしょうが」

 二班長の安西は、倦怠な態度で皓司を見返した。年下の小僧に敬語を使うのが不愉快でたまらないと言いたげな態度が、全身に滲み出ている。卓に片肘をつき、転がっている賽の一つを指で弾き飛ばした。

「あんたは……いや失礼。隊長は、俺と綺堂の違いが分からんのですか」
「安西さんは、ご自分が綺堂さんに劣ると考えておられるのですか」
「格の違いじゃなくてねえ」

 面倒臭そうに溜息を吐いた安西に代わり、綺堂が口を挟む。

「要するに俺と安西ちゃんの班の、総合的な比較ですよ。一班と二班の違いね」
「その違いならば、ここ十日間ほど拝見させて頂いたつもりですが」

 綺堂の一班は、言うなれば正面から当たる突撃隊の役割に向いている。
 安西の二班は、言うなれば分散して円の外から攻める役割に向いている。
 知略が働くのは安西の方、馬力があるのは綺堂の方、といった具合だ。
 各々の鍛錬や手合わせを見て自隊の素質の理解に努めたこの十日間、皓司の出し得た違いはそれに尽きる。ありのままに相違点を告げると、綺堂と安西は態度こそ正反対だったが同時に頷いた。綺堂に至ってはけらけらと笑い出す。

「見直しましたよ花屋さん。まったく、いい所を突きますな」

 皓司の見識に否を唱えられなかった安西は、戦場も知らない子供がよく言うわと呆れてそっぽを向いた。しかし、ここにあって皓司の疑問はまだ解けていない。

「本来なら先陣を切る役は一班だと思いますが、綺堂さんの怪我も無視できません。それを踏まえ、異例とは承知の上で安西さんに先を開いて頂こうと思ったのですが、何が不都合なのですか?」
「不都合はないですよ。不都合は」

 不都合があっての不満ではないと知ると、皓司にはひとつしか結論が出なかった。

「私が隊長である事が、気に入らないのでしょうか」

 一寸黙って即答を避けた安西は、「それもあるが」と煮え切らない口調で呟く。そんな幼稚染みた考えだけで不平を言っているわけじゃないのだと付け足し、しかし本当の理由も負けず劣らず幼稚染みていると思ったのか、何か言いかけて決まり悪そうにその口を閉じた。
 無言が訪れた時、笑い声を上げながら入ってきた浄正が三人を見止めて眉を動かす。

「何やってんだ、紅蓮隊。通夜の段取りか?」

 綺堂は笑ったが、安西はその冗句に顔を顰めた。
 事によれば身内の通夜が必要になるかもしれない瀬戸際だ。冗談でも笑えない。

「故人と喪主役は誰がいいかって相談をしてたんですよ。な、安西ちゃん」
「俺が喪主やるからお前は死にやがれ」
「実は安西ちゃんの身長に合わせた棺桶、もう作ってあんだけどなぁ」

 実家が葬儀屋である綺堂の冗句に、安西はさらに眉間の皺を深くした。
 誰も自分が死ぬと危惧するほど、腑抜けた腕はしていない。たとえ討伐の最中に隊長が死のうと御頭が死のうと、戦場で信じるのは我が身ひとつだ。その理屈から考えれば、隊長がどんな命令を出そうと誰をどこに配置しようと問題はなかった。
 そういう問題ではないから、安西は納得が行かない。自分がこんな不愉快な思いをしなければならないのは、この小僧が自分たちの事を何も知らないからだ、と密かに毒づく。
 皓司が入隊してから十日。
 安西の見たところ、彼はその間、ほとんどまともに隊士と話をしていない。火鷹隊や煙狼隊の隊士などはどうでもいいが、自分の隊の人間くらいは知って然るべきだ。元々粗暴な隊とはいえ、隊長になったからには言い訳も通用せず。十五と幼年にしては物の本質をよく見定めているが、それだけで一個隊をまとめられると思ったら大間違いだ。

「何だか知らんが、悔いのないよう盛大にやれよ。葬式」

 浄正はにやにやと三人を見下ろし、脇にいる高村を連れて上座へ歩いていく。すれ違いざま、黙して微動だにしない皓司を横目に見た高村が浄正の耳に囁いた。

「見れば見るほど、御頭の好きそうな美少年ですね」

 あの生意気な態度が、と、誰の耳にも聞こえるように言い添えて平然と去る。
 それを聞き取って吹き出した綺堂は、先刻安西が弾き飛ばした賽を拾って卓のと合わせ、皓司の前に転がした。

「で、どうすんですかな花屋さん?」
「俺と綺堂の配置を換えてくれればいいだけなんですがね」

 転がる賽を眺めていた皓司は、目が出る前に二つの賽を指で止め、手早く揃えて安西の湯呑の脇に置く。

「変更は致しません。二班が特攻に向いていないからといって、出来ないのならばと甘受するほど生ぬるい組織ではないと見ております。それとも、お二人は普段にない事をやってのける自信がないのですか?」
「は……馬鹿にすんのも大概にしてもらえませんかね」
「では問題ないようですので、私は失礼させて頂きます」


 広間を出て行く皓司の後ろ背を見送って、綺堂と安西は顔を見合わせた。高村と談笑していた浄正もそれを見送り、七畳ほど離れた安西の手元を遠目に見る。

「安西、賽の目はピンゾロだろ」
「は? あぁ、そうですねえ」

 転がっている賽を指で止め、安西に返した二つの目は、見事に揃っていた。
 浄正の口元が歪む。

「目玉が二つか───棺桶が必要になるのは、誰かな」






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