彼は斬雨の地に
三、
皓司が十四になるまで、相模の実家に帰ると遊びに来て刀を見せてくれと言ったり真似をしてみたり、大人しい子供でもやはり男だと思う一面を見てきた。
だが、それだけだ。
自分の型を真似て振るう姿勢は悪くなかったが、何か足りないものを感じていた。花を相手にしている時の方がよほど気迫がある。
刀は興味程度に終わるだろうと思っていたその小僧が、たった一年顔を合わせなかった間にどうやってこれほどの腕を身につけたのか。剣技など一度見ればどれだけの年季があるかは瞭然だ。もちろん、彼の年季は一年やそこらではなかった。
そればかりか、
「お前の技術には、俺の型なんか微塵も入ってない」
姿勢は自然と身体に馴染むもの。
人の型を真似して学べば、必然とその癖が表に滲み出る。
いざ直そうとしても、染み付いた手足の動きはそう易々と直せるものではない。
「御頭には、どのように評価して頂けたのでしょうか」
「型は無駄がなくて理想的だが、技の質は極端に言えば邪道だ」
間合いの取り方、足の運び、攻防の流れや繋ぎは、あの場にいた者が目を瞠って放心するほど見事だった。若さゆえの柔軟性も備わっている。しかし、繰り出される技は剣道から入ったような質ではなかった。明らかに人を殺める為の、それも限りなく暗殺に向いた技だ。
「お言葉ですが、邪道でこそ御上に代っての隠密衆ではないのですか」
皓司は湯呑を取り上げ、一口含んでからそれを置くと、先刻は見せなかった刀をすいとこちらに差し出してくる。鞘越しに彼の顔を伺い、受け取った。
「自分の腕が優れているとは露程も思っていません。これから学ぶ事は多いでしょうし、失態無き様とは思えど現実はそう甘くないとも、承知しています」
「のわりに、隊士からは相当な自信家と見られているようだがな」
「私が自惚れているように見えるのなら、見る方はご自分の腕に自信がないのですよ」
「なかなか問題ありな性格だ」
鞘から刃身を抜いてみる。抜かりなく研がれた刃には一点の曇りもなく、刃毀れもなかった。真新しいものでない事は、刀が放つ存在感で判別できる。恐らく皓司が生まれる以前に作られ、生まれる以前から十分に使われていた刀だ。
鍔元を崩し、銘を検める。
思わず壁から背を離した。
冷やりとした視線が直刃から注がれる。
「この刀……」
「埃を被っていたので、使わないのならばと先の主より頂戴した物です」
銘に刻まれていたのは、『瀞舟』の二文字。自ら造った刀とは天晴れだ。
花屋の親父には無用の長物───ではなかった事が、鞘の年季からも判る。
「あの狸め……幕府か」
「詳しくは聞き及んでいません。浄正様が知らないのであれば幕府ではないと思いますが」
「とんだ食わせ者だな。へっぴり腰は演技だったのか」
「父はへっぴり腰だったのですか?」
何度手合わせしても子供騙しだったが、皓司の父・瀞舟の実力はもう少しあるだろうとは思っていた。どこの流派に属していたのかは親父も息子も言う気はないらしいが、この刀を使っていたのなら相当な腕前であろうと見える。
「お前の師範は瀞舟か……いつから習ってたんだ?」
「五、六歳の頃からです」
なるほど、と苦笑した。
真剣を見せてくれと言ってきた七つの小僧は、すでに別の型を学んでいたわけだ。当時はただの根性叩きに過ぎないと思ってまんまと騙されたが、嫌な気分はしなかった。斗上の親子が一枚上手だっただけの話。
「誤解のないよう言い添えておきたいのですが」
「何だ?」
「父の才能を私が」
「あー、持っているとは思うな、か。安心しろ、俺も組織もそこまで甘くはない」
父の名を持つ刀を彼に返し、窓辺に背を預ける。一人客を泊める為だけの部屋は四畳半と狭く、がらんとしていた。下の女が唐紙を開け、京から仕入れた茶菓子だといって振舞ってくれる。
「こんな良い日和にお侍様が二人、この宿では勿体のうございますね」
「確かにちょっと物足りないな。花の一つでも置くといい」
「花はすぐ枯れてしまいますし、ここは一夜お泊めするだけの侘しい宿ですわ」
盆を持って下がろうとした女の背を、皓司の物腰柔らかな声が振り向かせた。
「花は枯れる姿が良いのですよ。栄枯盛衰、散りゆく命もまた尊し、です」
咲けば全盛、散れば無常───人の生だと思いませんか、と問いかけた皓司に女は瞠目し、足を止めた。それからふと笑い、彼の若さにそぐわない言動を褒めて出て行く。
茶菓子を口に放り込んで舌鼓を打つと、それまではこちらに向いていなかった皓司の膝が向けられた。顔を上げた彼の目は、自負心に満ちていながら一瞬の陰りを見せる。
「先程、私を自信家だと思う者は自分の腕に自信がないのだと申し上げました」
「はいはい。隊士達が聞いたら青筋もんの発言ね」
「でも本当のところは、私も曖昧です。自惚れと自信の違いについてですが」
一端の口を利いておきながら、まだまだ世間知らずの若い戸惑いを感じ取った。生意気でも小僧は小僧だなと、つい嬉しくなる。
内心の思いは顔に出さず、浄正は答えを待つ皓司の目の奥をじっと見据えた。
「自分の腕が優れているというのは、腕に自信がある事とは違う。主観と客観の違いだよ。『優れている』というのは他人と比べての優劣だろう。この国にどれだけの侍がいるか分かるか? その一人一人に勝ってきたわけでもないのに、そこらの奴より優れていると自信を持つ者。それが『自惚れ』だ。優れているかそうでないかは、自分で判断すべきものじゃない。他人が判断するものだ。時と人によっては、それを偏見とも言うがな」
皓司は一つ瞬きをして、では自信とはそもそも何なのだと無言で問いかけてくる。
「自信というのは、己の技量を弁え、いつでも偽りなく発揮できると信じて疑わない事」
人に劣ろうとも、地力を余す処なく存分に出せる己を自覚している事が、『自信』。
己が歩む道をしっかり見定めている者なら、自信は誰にでも持ち得る。
「自信があるか、皓司」
「あります」
最初からそう答えるつもりだったのか、今の説教を理解しての即答なのかは、五分五分といった感じだった。迷いのない彼の刀捌きを察すれば前者の方だろう。しかし彼が抱いていた曖昧な疑問も、これで解けたに違いない。
「それは重畳。四日後には初陣だ。十五で隊長は早すぎると方々から文句を言われているが、才能は年齢に比例しない」
「…………」
「見せてもらうぞ───お前が何の為に隠密衆へ来たのかを」
果たして、皓司は気付いているだろうか。
今自分が立たされている場所に必要なのは、腕の自信だけではない事を。
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