三十九.



 玄関で文を受け取ったといって、出かけていた妻のりんがそれを放り投げてきた。
 またどこぞの偉い某が白々しい新春の挨拶を寄越したのだろう。浄正は宛名も見ずに開封し、声に出して読み上げる。

「あー『初春の候ますます御健勝の事とお喜び申し上げます。さて、旧年中は度重なる御心労をお掛け致しました事を深くお詫び申し上げますと共に、恥ずかしながら御約束の恋文を』……」
「なーに、恋文?誰から? まだ浄正の相手してくれる人いるの?」

 ───あの野郎。

「濃い文だ」
「濃厚なの?」

 冒頭から濃すぎてくどい。
 それ以上読む気がしなかったが、丸めて捨てれば祟られそうな気配も感じる。どうすべきか腹を掻いていると、横から伸びてきた手に奪い取られた。

「なぁんだ、皓司の字じゃない。なになに、『温かな吐息にうなじをくすぐられ、まるで花びらに接吻するかのような優しい口付けが』……」
「ちょっ、読むな! 読み上げるな!」
「『名を呼ぶたびに貴方様の熱い猛りが私の菊門を蹂躙し』……菊門てなに?」
「花畑への入り口かなんかだろ。いいから返しなさいっ」

 三文小説家にでもなればいい。必要なら百枚でも千枚でも推薦状を書いてやる。
 しれっとした顔で白昼にこういう文章を書いている皓司の姿がはっきりと脳裏に浮かんだ。

「まったく、何を考えてるんだあいつは」
「その文の通りですが、お気に召しませんでしたか」
「召すわけないだろ───……」

 振り返ればりんの代わりに皓司が座っていた。文を持ってきたのは本人か。
 しっかり座布団の上に居座り、「お気に召さなかったようで何よりです」とでも言いたげな微笑を隠しもせず。つくづく憎たらしい。

「落ち着いたら食事でも、とお誘い頂いておりましたので、図々しくおねだりに参りました」
「図々しい立場は分かってるんだな」
「勿論です。お望みでしたら食事の前にお相手致しましょうか」

 食事を前提としているあたりが最高に図々しい。

「そうだな、一発やってからにしよう」


 やがて聞こえてきた激しい音に、別室のりんは頬杖と溜息をつきながら庭へ菓子を放った。丸々と肥えた白兎が、兎にあるまじき勢いで走り寄ってくる。

「男ってホント刀が好きねー。ご飯の前に刀、ご飯の後に刀。お箸も刀にしちゃおっかな」




「何だと……?」
「せやから刀を作り直したいんよ」

 半年分の始末書を書いて勝呂に渡し、嫌味の洗礼を浴びて帰ってくればこの有様。馬鹿も休み休み言えというものだ。

「一度使っただけで壊れたのなら刀匠に文句を」
「壊れたんとちゃう。この刀は縁起ようないねん」

 冴希は手にした背負い刀を見つめ、いつになくしょんぼりと俯いた。

「御皓の上様の陰謀やったかて、一度はほんまにタヌキを斬った刀や。タヌキは気にせん言うけど、うちは気に入らへん。ほんまもんの血が染み込んでもたし」

 狸を斬ったから何だというのだ───
 否、冴希の言うそれは野生の狸ではなく深慈郎のことだと気づく。こんなじゃじゃ馬娘にもしおらしい一面があったのかと思うと考えてやらないわけにはいかず、だが今しがた勝呂に経費の問題を叩かれたばかりでハイそうですかと頷くわけにもいかない。
 浄次はしばらく唸り、諭すように冴希の目を見た。

「理由は分かったが、今すぐには無理だ」
「……なんでやのん」
「組織の金を個人の感情の為に費やす事はできん。当分は日本刀で我慢してくれ」
「二度も資金で買うてくれとは言ってへんけど」

 意味が分からず言葉を返しかねていると、冴希は自身の体重よりも重い刀を片手でぽんぽんと玩びながら当たり前のように言い放つ。

「ジョージの給料で買うてくれたらええねん。それなら誰にも迷惑かからへん」

 ───図々しいにも程がある。

「……何故俺の給料をお前にくれてやらねばならんのだ」
「御頭っちゅうんは部下がおらへんと勤まらない役職やろ? その部下が戦えないんやで?」
「日本刀を使えと言っとるんだ! 背負い刀しか使えんのなら日本刀を背負え!」
「そういう問題ちゃうねん! アホちゃうん!?」
「ちゃうちゃうやかまし……痛ッ!!」

 足の爪先に刀を突き落とされた。鞘入りとはいえ軽く骨を砕きそうなその重みは十分凶器に値する。仲間の血が染み込んだ刃を抜かずとも、鞘を武器にすればいいのではないか。
 屈んで悶絶していると頭上から荒い鼻息が飛んでくる。

「頭が使えへんのなら金ぐらい使ったらどうやねん。誰の為にうちら犠牲になったと思てるんや」
「俺が知るか! 文句なら斗上に言え!」
「はぁー? 責任は御頭が取るもんやろ」

 一体誰の入れ知恵でこんな事になったのか、自分も巻き添えを食らった身であるのに責められてばかりで腑に落ちないことだらけだ。
 もしや皓司の最終計画はここにあったのだろうか。
 箱根で感じた責任の二文字はどこか空虚なものに思えたが、今はどっしりと現実味を帯びてわが身に降りかかっている。願わくばこれもまた幻であってくれ───。



「もうすぐお昼ご飯だよ、冴希ちゃん」
「殿下。今な、ジョージが刀買うてやるって約束してくれてん」
「そうか、よかったねえ」
「やっぱ二本持っといた方が使い分けできて便利やしな」




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