四十.



 ふらりと木の下で足を止めた保智が上を見上げた。淡く薄桃色を帯びた枝の先に手を伸ばし、何を思っているのか溜息を吐く。
 一歩後ろを歩いていた圭祐は首を傾げ、それ以外の動作をしない相方の隣に並んだ。

「保くん? どうしたの」
「あ、いや別に……」

 何を見ていたんだろうと上を向くと、保智の指の先に蕾が見える。

「梅かぁ。もう蕾がついてるんだね」

 そう言ってから圭祐はぷっと吹き出した。
 別に、と言いながら神妙な顔をしている。喋りたいことがあるのにどう言えばいいのか分からないといった表情だ。軽率な発言をしないのは彼の良いところだが、慎重すぎるのも時々じれったい。

「梅がどうかした? それとも別のこと?」
「え……ああ。その、圭祐は強いなと思って」
「強い?」

 蕾に触れながらそんなことを考えていた保智は、半年前より老け込んだように見えた。原因はひとつしかない。真面目な性格のせいで色々と気持ちが振り回されてしまったんだろう。
 そういえば衛明館に戻って以降、保智の方からあまり話しかけてこない気がする。
 ぎこちないというほどではないが、どこか距離を置いているような。

「ねえ保くん。僕がいない間に何かあった?」

 ぴくりと動いた指先がその答え。
 枝から目を逸らし、かといってこちらを向いてくれるわけでもない相方の腕を取り、ぐるりと正面を向かせる。

「ちゃんと言ってよ。どんな言葉でもいいから、今思ってること。強いって何が?」

 そうやって自分の中の何かと比べて、保智はいつも諦めるように溜息をつくのだ。彼には彼の強さがあり、圭祐や他の人間がどんなに努力しても敵わないものをたくさん持っているのに。本人はちっとも自覚できないらしい。

「いや、大したことじゃないんだけど。なんていうか……圧倒された」
「青山さんをぶったこととか?」
「や、圭祐の生き方とか、考え方とか。ただただ圧倒されるばかりで……正直、俺なんかがいたら足手まといなんじゃないかと」

 言い終わらないうちに保智の頬を引っ叩いていた。豆鉄砲を食らった鳩のような顔で呆然としている相方の胸倉を掴み、顔を引き寄せる。

「あのね。足手まといだったらとっくに蹴り飛ばしてるよ。邪魔な存在だったら一緒に散歩なんかしないよ。僕が義理で人と付き合う性格じゃないのは知ってるでしょ?」
「……知ってる、けど」
「じゃあ二度とそんな風に考えないで」

 胸倉を離すと、保智は滑稽なほど慌てて謝ってきた。
 どうやって謝ればいいのかとひたすら戸惑っていた巴とは正反対だ。

「強いって一口に言っても様々だし、それが本当の強さとは限らないけど。自分が決めたことには何も迷わない。後悔もしないよ」

 そうして相方の頑丈な胸をぽんと叩く。

「だから、保くんの足りない言葉を補うのは僕の仕事。その代わり保くんは僕の手が届かないところを補ってね」
「ほとんどなさそうだけど……」
「あるよ。ほら、枝に手が届かないじゃん」

 梅の蕾を近くで見たいと頼むと、一瞬きょとんとした保智は何を動揺しているのか挙動不審な素振りで辺りを見回し、やっと枝を引き寄せてくれた。
 蕾はまだ小さく、開花までもうしばらくかかるだろう。

「咲いたらみんなでお花見しようね」
「ああ、そうだな」



 衛明館の門をくぐると館内から賑やかな声が聞こえてきた。
 一際大きな声は宏幸で、誰かと口論している様子。それに便乗した虎卍隊の野次が拍手をしたり絶叫したり。龍華隊と氷鷺隊の声がほとんど聞こえないのは仕方ないとしても、彼らのいる雰囲気はちゃんと感じられる。

 守りたいものが全部、ここにあった。
 彼らのいるこの場所こそが自分にとっての『家』。
 巴にも、いつかそう感じてもらえたらいい。

「圭祐」

 ふと呼ばれて顔を上げると、巴が玄関から出てきた。
 まだ白昼の明るさに慣れないのか眩しそうに瞼を落としたが、昼夜逆転生活を改善するようにと皓司に叱られて日々努力中。最近の二人は兄弟のように見える。

「青山さん。どうかしました?」
「お遣いを頼まれた」

 相変わらず緩慢な動作で、もう子猫とは呼べないほどに大きくなった黒猫を懐から取り出した。

「猫の首輪を買ってこいと言われたんだけど、どこに売ってるのかな」
「首輪? こないだつけてあげたばかりですよ」

 ミゥーと罪のない声で鳴く猫の頭を撫でると、巴は「垣根に引っ掛けてちぎったらしい」という。もしかして首輪を買いに行く為に猫を懐に入れていたんだろうか。

「良かったら一緒に行きましょうか? 猫は置いて」
「え、連れて行かなくてもいいのか?」
「着物を仕立てに行くわけじゃないんですから」

 連れて行かないと売ってもらえないって聞いた、などと完全に騙されている巴の腕から猫を抱き上げ、保智に押し付ける。そういうことを言うのは甲斐しかいない。

「しょうがないなぁ。甲斐くんにも首輪を買ってきてあげなきゃ」
「誰に首輪だって?」

 戸口から顔を出した本人がニヤニヤと笑って巴の頭に手を乗せた。

「人間性を学ぶには動物の世話が一番だと思ってネ」
「それなら甲斐くんにも必要なんじゃないの」
「おれはもう世話してるヨ。バカ猫の」
「てめー! 誰がバカ猫だこの鬼畜犬!」

 言った途端に宏幸の怒声が響き、広間の障子が倒れる。また始まった。
 その後に巻き添えを食らうであろう保智を残して、圭祐は巴の手を引いた。

「行きましょう、青山さん」


 衛明館の屋根上から陽気な鶯の鳴き声がひとつ。
 巴と花見の段取りでもしよう。









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