三十七.



「とにかく、皆聞いての通りだ。青山の降格願は受理する」

 途端に龍華隊の猛抗議が炸裂し、冴希と深慈郎は揃って肩を落とした。冴希に限っては目の前の朝食にまだありつけないのかという落胆である。

「じゃうちはまた隊長が変わるんですか!?」
「御前、今度は大丈夫ですから続けて下さいよ!」
「ごめん。嫌だ」
「きっぱりフラれたー!」

 そう、それが問題だ。
 隆はまさか巴が隊長役を降りるとは予想していなかった。反省して一から隊長をやり直すものだとばかり思っていたのだが。辞表はもちろん認めない。巴の戦力は今の隠密衆に必要だ。
 この中で龍華隊の隊長が務まりそうなのは───
 け、と頭に浮かんだ名前を即座に打ち消し、他を探す。
 か、と思いついたがまったく相応しくないと思い直して、次。

 ……もう品切れだ。

「それについては私の方で目星をつけている人材がおりますのでお任せ下さい」

 まだ本人には会っても話してもいないので確定ではないが、という皓司に、浄次はびくりと肩を強張らせた。

「まさか父上ではなかろうな……」
「先代がよろしいですか」
「いいわけないだろう!」

 会ってもいないという事はここにいない人物か。
 沙霧は断固拒否だろうし、たとえ浄正だとしても彼は頭になるべくしてなり上がった男。それ以外の地位には不向きだ。
 まったくピンと来ないが皓司に誰だと聞くのは何だか癪で、隆はひたすら頭を悩ませた。



「そういえば、みんな何で生きてるんだ?」

 朝食の最中ぽつりと漏らした巴の疑問に、周りの隊士が一斉に滑る。

「今頃ですか……。だからあれは斗上さんの策略で、部下とか仲間とかそういうもんの精神的な連結を分かってない青山さんに見せしめとしてですね」
「うん、それは分かる」
「朱雀さんが神様の力で魂と肉体を回収して、腐らないように保存しといてくれたんですよ」

 食材みたいだな、と素直な感想を述べて、巴はまた首を捻った。

「だから無傷で生き返ったのか。でも御頭は関係ないのに俺のせいで大怪我して、今も包帯したままだ。朱雀の力で治してもらえなかっ……」
「しっ! 本人がその事に気づいてないんで言わないように」
「……ああ、うん」

 朱雀によれば誰でも好き勝手に生き返らせていいわけじゃないらしい。
 本来まだ寿命がある人間を例外で殺したから、残っている寿命を返しただけだという。
 全能とはいえ自然の摂理に反する事は神様でも駄目なのだ。
 今回の都合を「特例」として協力してくれた朱雀の寛容さにはほとほと頭が下がる。気まぐれな性格だからと本人は言うが、禁忌を破ってくれた事に変わりはない。


 まだ十二月だと思っている巴のボケっぷりに広間が沸き、おせちが食べたいなら自分が作ろうとやる気満々の皓司に冴希と宏幸が同時に手を挙げて注文する。
 傍らで保智に焼き魚の目玉を食わせようとしていた甲斐が、ふと斜め向かいを見た。

「巴サンのその世間知らずで無知な性格って昔からデスか」

 そういうお前の人畜有害な性格は昔からなのか、とは誰も突っ込まなかったが、興味を引く質問に一同の視線が集まる。ちびちびと粥を食べていた巴は何故か驚いた表情で顔を上げた。

「性格……?」
「よっぽど無関心に育てられたか、あるいは極端に偏愛されて人形扱いだったとか」
「甲斐、人の家庭事情を詮索するのは失礼だぞ……」

 横から窘める幼馴染の口に魚の頭を押し込み、教えて下さいよと横柄に頼む。
 巴は自分の事を話さなければならない状況に困った様子で、おずおずと匙を置いた。

「無関心だったのか逆だったのかは分からないけど、十三歳まで家の外に出してもらえなかった。庭に出るのも駄目で、天窓しかない部屋でずっと暮らしてた。母以外の人とはほとんど話したこともない」

 誰かが「まるで監禁状態じゃないか」と呟く。
 監禁という言葉にわずかに眉を顰めた巴はそれきり喋る気配もなく、隆が口を開こうとした時、皓司が懐から一枚の紙を取り出した。

「実は巴の宗門改帳の写しを手に入れまして、こちらに」

 宗門人別改帳、いわゆる戸籍の台帳だ。いつの間にそんなものを手に入れたのかと聞くと、巴が相模へ脱走した際、瀞舟が寝間着の袖に突っ込んでおいたらしい。着替えさせた時に気づいて乾かしていたのだと言い、見るからに年季の入った紙を広げる。

「出生は常陸国鹿島郡祝町。ほう、祝町といえば花町と称する郭街ですね」
「さすが遊び人。でも郭しかないわけじゃないだろう、たまたまそこに家が……」

 手元を覗くと、まず目についたのが一家の姓。
 それは“青山”ではなかった。
 さらにおかしな点がいくつもある。記載されている一家の所在地は常陸国多賀郡友部村。祝町などとは書いていない。

「ねえ皓司。これ違う人のじゃないか? 姓が“一条”だし、どこに祝町なんて」
「一条 初音、というのが巴の本当の姓名だそうですよ」

 皓司が紙の左端を示した。『庶子 初音 十歳』───たしかに書いてある。
 だが追記として『元禄五年弥生 失踪、生死不明』とも書かれていた。

「はつねちゃん。可愛い名前ですね」

 隣から覗き込んできた圭祐がそう言って、あれと首を捻る。

「天和二年生まれ……? 青山さん今二十七歳ですよね?」
「二年なら二十四歳じゃないですか?」

 圭祐と深慈郎に指摘された本人も首を捻り、八歳だと教えられた時から数えてきたので今は二十七で合っていると思う、などと曖昧な計算で生きてきた己を露呈する。


 そもそも庶子という事は、一条の正妻の子ではない。倅二人娘四人と書かれているこれが正妻の子、つまり一条家の嫡出子で、末席に書かれている巴は妾腹だ。
 祝町の文字もその下に出生地として記されていた。

「十歳で鈴乃屋より引取───あれ、鈴乃屋って」

 別に珍しいわけではないのだが。

「お母さんは遊女だったのか」

 郭の名前に聞き覚えがある。だいぶ昔に浄正の口から聞いたような。
 遊女の子で十まで郭で育ち、日の当たらない部屋に監禁され外にも出してもらえず。
 その意味するところが、嫌でも分かってしまった。




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